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今までに示したとおり、性モラルの回復についても絶望的です。

実は私が恋愛放棄というスタイルをとっている意味は
単純にリスク回避や絶望という意味以外にも
男が性モラルの崩れた女性に対して堂々と「NO」を突きつけて、
男は無条件で女性だからと(マ○コがあるからと)チヤホヤするという
悪しき常識をぶち壊して性モラルを回復させてやろう
という
信長もビックリの馬鹿げた野望があったのです。

その為に自分が一生孤独で、苦悩しながら死ぬなど取るに足らない事です。
未来の国民の為に1世代、2世代が犠牲になるというなら
耐えねばなるまいなどと思っていました。
どうせ、青春時代に汚いモノを見過ぎてトラウマ化して救われようがないのですから。
その後、日本が元々性モラルに疎くて子供の命を軽んじる民族である事、
男女比から考えて、30歳以下の年代は男性側は5~10%程度余っている為、
少なくとも500万人程度の男が恋愛放棄をしてNOを突きつけないと
無意味という事を知り、覚悟の野望は打ち砕かれました。
ですが、私にはもう一つの強固な意志が残っています。

世に悪しきがはびこり、それに絶望し諦観するのは
致し方ないこと・・・されど世に悪しきがはびこるからと
己も染まるのは愚劣の極み!!


残ったのはこの意地だけです。
この意地は前記した野望が打ち砕かれて更に強まりました。
無駄死にとしても己だけは流れに逆らって生きたいと強く思っています。

※以下は単なる戯れの上に右翼思想が混じるのですが、ご容赦下さい※


熱い風が 喪男には良く似合う

怒りを隠して 立ち上がれ

尊き理想守るため 傷つくこともあるだろう

荒野に 血が流れても

明日の 平和があればいいのさ

誇りを 忘れた 人々の代わりならば

(恋愛)放棄の 他には 選ぶ道は何もない

夢を 繋ごう 未来を信じて永久に


私の大好きな歌、
「戦士よ立ち上がれ(遠藤正明)」の歌詞をパクらせて頂きました。
元ネタは此方です
http://www.geocities.jp/m_murakata/kaku.htm

スマートに生きている方にはこのような泥臭い思想は極めて馬鹿馬鹿しい、
無理無駄無意味の塊のように見えるかも知れません。
実際に無理無駄無意味の塊です、ですが私は本気でそれを信奉してます。
「昔の武人はとても勇敢だったんだ、未来を信じてもっと苦しい事に耐えたんだ」
などと本気で思ったりしてます。
恋愛資本主義を米国、それを奇襲(真珠湾攻撃)した山本五十六が本田透(電波男著者)ならば、
私はそれに付き従う名も無き二等兵か・・などと妄想したりしてます。
そしてその結果訪れるのは無残な敗戦でしょう、ですがそれでも構いません。
自分でも俺マジで馬鹿と思いますが、まあ馬鹿は死ぬまで直りませんから。
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ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語りき』より
覚悟氏の不屈の精神に捧ぐ


私はあなたがたに喪男の三段の変化を語ろう。いかに喪男が駱駝となり、獅子となり、最後に子供となるかを。

畏敬の念を備えた、強くて、忍耐強い喪男の精神にとっては、世の女とDQNからの多くの嘲笑が存在する。その嘲笑の強さが、恋愛を、もっとも重い恋愛を求めるのだ。

何が最も重い恋愛か、喪男たちよ?と忍耐強い精神は問う。私はそれをみずからに引き受け、自分の強さを喜びたいのだ、と。

最も重い恋愛とは、孤独の樫の実をかじり、克己の草の根を口にして、真の愛のためには魂の飢えにも耐えることであろうか。

しかし、この上もなく孤独な砂漠の中で、第二の変化が起こる。喪男の精神はここで獅子となる。彼はモラルをわがものとし、自分の砂漠の支配者になろうとする。自分を支配する最期の者を、彼はここで、自分のために捜し出す。精神は喪男の最後の支配者、恋愛を相手取り、この巨大な龍と勝利をかけて闘おうとする。

精神がもはや愛とも恋とも呼ぼうとしないこの巨大な龍とは何か。その名は「汝なすべし」。それに対して、獅子の精神は「われ欲す」と言う。

龍は言う。「すべての恋愛はすでに創造されてしまっており、その全ての価値―それは私だ。じつのところ、もはや、『われ欲す』など存在してはならないのだ!」

新しい恋愛を創造する―それは獅子にもまだ出来ることではない。だが、新しい恋愛のために今までの恋愛を放棄すること―これは獅子の力でも出来ることだ。自由を創造し、恋愛に対してさえも聖なる否を言うこと、わが喪男たちよ、そのためにこそ獅子が必要なのだ。

しかし言ってみよ、わが喪男たち。獅子にさえなしえぬことが、子供になしうるのか?どうして強奪する獅子が、さらに萌える子供にならねばならないのか?子供は無垢であり、忘却である。新しい始まりであり、遊びである。自らまわる車輪であり、聖なる肯定である。

そうなのだ、わが喪男たちよ。創造の遊びのためには、聖なる肯定が必要なのだ。精神はここで、自分自身の恋愛を意思するようになる。恋愛を喪失していた者が、自分の恋愛を獲得するのだ。
【2005/08/23 21:05】 URL | Linehardt #eP8viYdY[ 編集]














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まとめ






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