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傍観者さんから
カテゴリ:投稿コーナー
カンナさーん (著)深谷かほる」に対して返信を頂きました。



今回のエントリ、大変面白かったです。私だったら漫画喫茶にあっても多分手に取らないであろう漫画をレビューしてもらい、視野が広がりました。しかし、カンナさんに自分の理想を具現化した女性を見出すとは、覚悟さんは度量が広い方ですね。私だったら、そんな男を選んだ時点でその女は馬鹿であり、同情する必要はない、と決め付け、それ以上思いが至らなかったと思います。

さて今回のエントリを読んで思い出した漫画がありましたので、書き込みさせていただきました。

少し古い話ですが、『モーニング』に『天才柳沢教授の生活』という漫画が連載されていました。結構人気があり、ドラマ化もされていたような気がします。

漫画そのものはとても面白く、作品自体は私も大好きでした。設定やエピソードが秀逸で、個別のストーリーも考えさせるものが多く、青年誌に掲載された女性作家の漫画としては、成功した部類に入ると思います。

ただ、私はどうもこの作者(女性)と登場人物(特に女性)が好きになれませんでした。性格が悪い、好みのタイプじゃない、というのではなく、この作者が書く作品からは、多くの非モテが感じるであろう、ある種の女性に対する不信感がビシバシと伝わって来るからです。

例えばこのような回があります。就職活動が終わった時期、出席する学生がほとんどいない教室で、柳沢教授が経済史についての講義をします。たまたま出席した女子学生は居眠りをします。女子学生は金色夜叉風の夢を見ます。夢の中、女子学生は和服を着付けて海岸を歩きます。彼女には三味線引き(現実の世界ではロッカー)の彼氏がいますが、卒業を機に銀行家(柳沢教授と同じ顔をしている)と婚約することになっています。自分の後を追う三味線引きに対し、女子学生はもうついてくるな、と逆ギレします。

なぜ三味線引きと分かれるのか?と聞く銀行家(教授)に対し、女子学生は以下のように答えます。

「私は中学ではツッパリ、高校ではヤンキー、大学ではロック野郎とそのご時世で相応しい男と付き合ってまいりました。そして世に出ようという今 また人生に節目をつけなければいけないと思うのです」

あなたの愛には節目が必要なのですか?と聞く銀行家(教授)に対し、彼女はこう答えます「そうでございます やはり社会人はバリバリのエリートでなくては」

しかし銀行家は彼女に対し、まもなくアメリカのウォール街で起こる恐慌の影響で、彼の銀行も倒産するであろうと述べます。そして取り残されるのはあなたと私、二人きりです、あなたの過去の節目よりずっと長いのです、それでもあなたは私について来れますか?と問いただします(このシーンは、現実世界での教授による金融恐慌についての講義とシンクロしているようです)。

それを聞き、彼女は我に帰ります。そして急に姿がみえなくなった三味線引きを探し、以下のように言います「私一人で 出口のないトンネルに入るのはいや」

ここで彼女は夢から覚めます。教授からは、この次は目を開けて講義を聞くように、と言われて終わります。その後、彼女は現実世界のロッカーとよりを戻して話が終わります。

この話は一見、エリートとの結婚に目がくらんだ女子学生が、あるきっかけから真実の愛に目覚めた、という純愛話のように見えます。しかし私はなんともいえない不信感を感じてしまいます。

先ず、「私一人で 出口のないトンネルに入るのはいや」とは、どういうことでしょう?彼女には新たな節目で選んだエリート銀行家という伴侶がいるはずです。出口のないトンネルには、彼女一人ではなく、結婚相手の銀行家もいるはずです。なぜ彼と二人でやっていこうと思わないのでしょう?

第二に、ではもし銀行が倒産せず、出口のないトンネルに入らなくてすむのなら、彼女はどうするのでしょう?その場合は人生の節目に従い、そのままエリート銀行家と結婚すればいいわけでしょうか?それでもやはりロッカーの彼氏を選ぶのでしょうか?収入も社会的地位も上り調子の男ではなく、学生という社会でのみステータスの高い男を選ぶべきなのでしょうか?

すべての女性がそうだとまでは言いませんが、このエピソードは、ある種の女性にとって、恋愛対象がいかに戦略的に選択されているかを如実にあらわしているような気がします。それぞれのステージごとに、いかに高く評価される男を選ぶべきか、ということです。そして次のステージに進むと、前のステージの評価は無視されてしまいます。そこで選ばれる評価に首尾一貫性はありません。

穿った見方をすれば、作者自身も自分にそうした打算的な恋愛観があることを自覚しており、それで社会的地位や収入にとらわれない恋人選びというストーリーを描いたのではないか、とも思われます。その意味では、必ずしもきれいごとだけではすまない世の中で、女性がどのように考え、行動しているかを描いたという点で非常に正直であると言えます。しかし、それをいかにも純愛であるかのように描くのには、うそ臭さを感じてしまいます。

例えば、このエピソードの中では、銀行家は柳沢教授がモデルになっています。しかし、もしその銀行家が一人の個人であり、その女子学生を本当に好きだったとしたらどうなるでしょう?結局、その女子学生は彼のステータス目当てに近づいてきただけであり、彼の前途が危ういとなれば、さっさと昔の恋人のもとに走ってしまったわけです。それをさも純愛であるかのように描くのは、なんだかあまりにご都合主義のような気がします。

もっとも、これは男性(というか私)の側から見た意見なので、女性の側からはまた違った意見があるかもしれません(しかしこのブログを見る女性は皆無に等しいと思いますので、検証は不可能でしょう)。もっと色々書きたいことがありますが、ご迷惑でなければ、また別の機会に書き込みさせていただければと思っています。覚悟さん、今後ともブログの管理と興味深い文章の執筆、頑張ってください。
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まとめ






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