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真実の愛を紡げる人間とはどのような人間かを考察してきました。
しかし真実の愛を紡げる人間同志がカップルになったとしても、
すぐに紡げるという物でもないのです。


真実の愛を紡げる人間は、
「高潔な振る舞いに自己満足を感じるモラリスト」と定義しました。
容姿や金ではなく、人格の貴賎で恋人を選びます。
とすると
「恋人はモラリスト(条件を満たす存在)であれば誰でも良いの?
それが唯一の愛と言えないのでは?」
そう感じる人も多いでしょう。

私は「モラリスト(条件を満たす)なら誰でもいい」それで良いと思います。
私が恋人を探していた頃もこんな感じでした。
ただし、あくまで恋愛相手としての選定段階までについてです。
5年も10年も付き合ったにも拘らず、上記のような
「条件を満たすなら誰でもいい」という感情を持つ人は異常ですが。
人間は他者や物にでも長年を共にした存在に「愛着」を持ちます。
愛着とは「永い間を共に過ごしたことにより生じる精神的繋がりや執着」です。
また、長い年月を過ごす間に困難を共に乗り越えれば、互いでの信頼が強まります。
共に困難を乗り越える事により、
「ああ、ピンチになってもこの人は私を見捨てて逃げ出さない」
という証明が信頼へと繋がるのです。

キッカケはモラリストだから付き合った。

そしてモラリストの彼と長年過ごし、苦楽を共に乗り越えて信頼と愛着が深まった。

そして長い年月で培った信頼と愛着から
私の中で彼は単なる恋人から「唯一」の存在へと変化した。


こういう変化があって当然だと思います。
長年連れ添った老夫婦の絆が新婚夫婦よりも強固である場合が多いのもこの為です。
ですが、まだ大して同じ時間を過ごしたわけでもないのに、例えば告白の段階で、
「貴方が唯一の存在です」なんて言われたら私は「頭がおかしい」と思います。

「何でお前は俺と苦楽を共にした経験もロクに無いのに、
なんで恋人同士で何年も連れ添った訳でもないのに、
俺の事をそんな風に思えるんだ?・・・金か?顔か?何が目当てだ?」

そう思います。
ただし、苛酷な環境下で友や相方として危機を乗り越えあったり、
幼馴染などで、長い期間ふれあってお互いの信頼と愛着を既に深めている状況での
告白などは例外といえるでしょう(この場合は唯一と思ってもおかしくは無い)

真実の愛は一日にして成らず、
幾たびもの困難と、長い年月が育むものだ。


と言う事ですね。
だから恋愛のキッカケなんて「条件に合いそうだから付き合ってみよっと」
こんな感覚で問題ないと感じます、
長く一緒に居た訳でもないのに深く愛せる訳ないんですから。


この理論でいくと
「最初は金目当て、顔目当てでも愛着さえ湧けば真実の愛だろ」と感じますが、
愛着も信頼感も物質的な利点は無く、精神面の繋がりや精神的満足に類する物です。
つまり内面への満足よりも金銭やイケメンなどの物質面を重視する人間にとっては、
この信頼や愛着は「さして重要でもない」と感じるでしょう。
夫の退職金を目当てとした熟年離婚をするような妻、
甲斐甲斐しく世話してくれた古女房を捨てて若い女に走るような夫、

こういう人達ですね。

逆に精神的、内面的つながりを大切にする人とはどんな人でしょうか?
それは真実の愛を紡げる人間とは?の考察でも出した
「高潔な振る舞い(精神)に自己満足を感じる人」ではないかと思います。

金やイケメンなどの物質面を重視する人間は、
何十年何百年一緒に居ようが、真実の愛を育む事は難しいです。
彼らにとっての愛とは「金持ちの恋人が居る」「イケメンの恋人が居る」という
恋人が持つステータスに陶酔して舞い上がる事なのでしょう。
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なるほど、大変よく分かりました。
つまり、「モラル」と「愛着」が長い時間をかけて上手に融合したもの。
それこそが、真実の愛だと思われるわけですね。
そのような愛は、私もとても美しいと思います。
きっとそれを崇拝する覚悟さんのこころの中もきっと美しいのでしょうね、
すばらしいことです。

しかし、「モラル」と「愛着」は、男女間の愛だけではなく、
友愛でも極めて大事なファクターですよね。
さらに言ってしまえば、友愛は恋愛と違って相手が複数であることがモラルに反しない。
ということは、恋愛よりも切り捨てられる人数が減るわけだから、
恋愛よりよっぽどすばらしいということになります。

ところが今までの覚悟さんの「真実の愛」のお話は、
専ら男女愛のことについて書かれていて、
そもそも友愛は眼中にない気がします。
やはり恋愛でないと、いけない理由がおありでしょうか?
「モラル・愛着至上理論」においては、友愛が一番いいではありませんか。
(「みんなで一生おともだちでいましょうね」というやつです)

そこでもし、「いや、でも友愛より恋愛がいい」と思った場合は、
友愛になくて恋愛にあるもの、
すなわちこれまで(故意に?)されてこなかった
「性的魅力の重要性」についての議論が不可欠かと思います。
覚悟さん、皆さん、いかがでしょうか。

*なお先に言っておきますと、
性的魅力という言葉が、容姿の美しさを直接指すとは思っていません。
人間の様々な要素の総合的な魅力のことです。
【2005/08/08 00:23】 URL | 豬花 #wkZD1s/g[ 編集]
これについてはモテナイ男の中でも色々と考えが分かれる部分でしょうが・・・
この質問には2つの議題が含まれているように思います。

1.なぜモテナイ男は友愛と恋愛のうち、恋愛により執着するのか?
2.友愛と恋愛の差は?(友愛で恋愛は代用できるのでは?)
この2つです。

1についてですが、
モテナイ男にとっては
「恋愛の方がより入手困難」だから関心事となり易いと考えます。
実は、真実の友愛はモテナイ男でも案外容易く手に入ります。
友愛にはSEXや金銭は一般的に絡みません。
ですから、容姿や財産は友人の条件としては「価値が低い」と言えます。
よって、尊敬できる奴、イイ奴、一緒に居て楽しい奴が求められます。
つまり内面さえ優れていれば、ブサイク貧乏人でも親友を作る事は容易いです。
私にも竹馬の友と言える親友がいますし(真実の友情は既に手に入ってる)
そして、個人的に男性の方が人格者が多いように感じます。
これも真実の友愛が手に入り易い理由かも知れません。
もっともこれは男女の性格差よりも人脈の無さが要因と思いますが。
(モテナイ男は容姿蔑視などから女性との人脈が拙い)

しかし、友愛とは異なり真実の恋愛は中々手に入りません。
恋愛に於いては友愛と異なり、SEXに結婚に育児も視野に入るからです。
よって、容姿や金を強く求める人が殆どです。
そしてそれらで劣るモテナイ男は差別と報われない感で絶望と諦観を感じ、
さらにそれがルサンチマンへと繋がります。

容易く手に入らないからこそよりルサンチマンや葛藤を感じる、
心に強い印象を与え、議題としても良く上がる。
逆に容易く手に入る友愛は別に悩んだり深く考える必要がない、
よって議題にもあまり出さない。
こういった理由になります。
ですから友人に恵まれなかったモテナイ男の場合は
「恋人よりも親友が欲しい」と嘆く人も多いです。


次は2ですね。
まず恋愛と友愛の違いですが、交尾の有無が大きいでしょう。
恋愛とは交尾が視野に入りますが、友愛にはそこまで入りません。
異性と交尾をして子孫を残したいという「本能的欲求」による差です。
ですから、友愛は恋愛の代わりにはなりません。
精神的繫がりは満たせても、交尾し子孫を育む欲望が満たせないからです。

しかし、人格の貴賎だけで恋人を選ぶとしたら、
人格者ならば同性とでも付き合える事になります。
ですが、真実の愛を紡げる人間といえど、
同性との恋愛は拒否する人も多いでしょう。
(同性愛者を迫害したりはせず、対等な存在としては接しますが)
つまり人格の貴賎よりも「性別(性的魅力)」で差別したことになります。
性対象としては異性を選ぶのは本能としては正しいです。
そして、性的魅力に優れる異性を求めるという事も本能としては正しいです。
しかし、真実の愛を紡げる人は前者の本能は普通に認めるのに、
後者の本能には忌避している事になります。

これは
「真実の愛を紡げる人間とは?~その2」でも語ったとおり、
真実の愛を紡げる人間も
「道徳に抵触しない差別」ならば平気で行うという話に繋がります。
逆に言えば道徳に抵触する差別は忌避するのです。

恋愛対象の選択(異性)で、人格以上に性的魅力を重視する
⇒道徳に反する差別
異性のみを恋愛対象とする(同性は恋愛対象としない)
⇒道徳に反しない差別
(ただし、同性愛者を迫害や蔑視する行為は人権に抵触するので忌避)
ですから、醜人と美人を差別はしなくても、
同性異性は(性対象として)平気で差別します。
異性と交尾し、子を育みたいという欲求は道徳的に見て合意の取れた欲求です。
ただし、何年も連れ添った伴侶が子供を産めない身体になったからと
別れえるとしたら「愛着」を無視したことになるので責められる事もあるでしょうが。
(恋人選定段階で子を産めない事を理由に除外するのは致し方なしと言えます)

悪人に冷たくしても心が痛まない
家族や肉親を平然と優遇する(限度はあるが)
動物を殺して食べても気にしない(食べ物への感謝はする)
これと同列に「異性のみを恋愛対象する」という差別を並べているのです。

ついでに言いますが、
「モテナイ男のルサンチマン」の容姿と性格の項で語っている通り、
異性の判断基準に性的魅力を含める事自体には異議は唱えません。
ただし以下の序列を守るベキとはしていますが。
※この場合は美顔=性的魅力に優れると捉えて下さい※

美顔+美心>醜顔+美心>>(超えられない壁)>>美顔+醜心=醜顔+醜心
【2005/08/08 06:07】 URL | 覚悟 #o25/X8aE[ 編集]
 多分自分が「喪男」とは違うカテゴリーに入る人間であるせいで理解がおぼついていないのだと思うのですが、ひとつ質問させて下さい。

 何故 「真実の愛」を求める必然があるのでしょう?

 私は基本的に、女性とは基本的に自己愛に基づいて生きており、自分の利益と世間体の良さを両立させることに腐心している存在である、と思っています。でもそれでいいのではないでしょうか? 他でもないこの私自身も自己愛と利益と世間体を大事にして生きています。私自身がそうした穢れた主体である以上、他者にそうした潔白さを要求することは身勝手であると考えます。

 もしかすると「覚悟#o25/X8aE」さんは私と異なる方なのかもしれません。私とは異なり、本当に尊重すべき他者に対して「常に」誠実でいられる方なのかもしれません。私はそういう人間ではないし、今後誰かを愛したとしても(とはいえその可能性は皆無です。後に述べます)その誰かのために本当に誠実であり続けることが出来るかどうか、自信がありません。そして、相手が私の与り知らないところで嘘をつき、利己的な行動に走ったとしてもそれで相手を断罪出来る厳格さもありません。

 何故なら、まさにそうした嘘や腹芸や利己心を交えた世界の中に私は生きているからです。そういう世界で私は仕事をして、ブログを更新して、本を読んで、眠ります。そうした嘘や腹芸や利己心は、それだけを取り上げれば悪でしょう。しかしその人物にそうする必然が生じたと思うなら、私はその人間を責めたいとは思いません。

 美容整形について考えてみれば分かりやすいと思います。美容整形とは恐らく覚悟さんの視点からすれば「悪」でしょう。それは美醜を云々する世俗的で唾棄すべき価値観に染まったからこそ成される行為なのですから。私も美容整形を基本的に肯定するつもりはありません。ただ、その人がそうする必然があると己の中で結論付けて成した行為なのだとしたら、私はその人を裁くことは出来ません。

 何が言いたいかというと、この世の中は腹芸と騙し合いと自己愛に満ちていて、三次元の女性も(もちろん私も)倫理的に振る舞うことなど出来なくて、人格的にも完璧とは言えないでしょう。しかし、私はそれが「当たり前」だと思うので、そうしたノイズを排した恋愛を(己もまた無垢である、という確信の元に)求められる気持ちが分からないのです。

 ちなみに私が誰かを愛する可能性が皆無であるというのは、私は異性・同性を問わず他者に恋愛感情を抱いたことが全くないからです。あるのはその人物を全面的に受容する恋愛の経験ではなく、たまたま言葉を交わすことでお互いの何かを共有したと思える、そんなささやかな記憶です。……それだけで十分ではないか、と思うのです(それをこそ「友愛」と呼ぶべきでしょう)。それ以上のもの、あり得ない「真実の愛」を誰かに求めることも誰かから求められることも、私にとっては非常にうざったいです。

 既に長ったらしいコメントになってしまいました。不都合なら削除してもらっても構いません。ただ、過去にこういう文章を書いたことがあります。これらについてのみ目を通して、こういう人間がいるのだと理解していただければ幸いです。
http://d.hatena.ne.jp/iduru/20050201
http://d.hatena.ne.jp/iduru/20050214
http://d.hatena.ne.jp/iduru/20050217
【2005/08/08 07:50】 URL | いづる #EX99ggaM[ 編集]
はじめまして、いずるさん。
こちらのコメントはこのblogの姿勢と関わる話なので
投稿コーナーに移させていただきます。
【2005/08/08 15:43】 URL | 覚悟 #o25/X8aE[ 編集]
遅くなりましたが、以下私の考える「愛」と「恋」です。

【愛とは】
ただ、何の理由もなく、相手がそこに存在するだけで
相手を好ましいと思うこと。
相手をどうしたいと思うでもなく、見返りを求めるでもなく、
ただ相手の幸せそうな顔を見て好ましいと思うこと。

友愛、家族愛、恋愛、いろんな愛の形の
究極形態です。

【恋とは】
ただ、何の理由もなく、相手がそこに存在するだけで
相手を好ましく思い、その上で欲しいと思うこと。
自分および対象の社会的・精神的・その他の
リスクもリターンも一切考えず、ただ相手の
身も心をも欲すること。

フィクションだと……
『曽根崎心中』『ロミオとジュリエット』『メディア』
あたりがぴったりくるかな、と。
(もちろん現実にこのシナリオを実行したらただのアホです、
恋に社会性を持たせるためには常識と良心が必要)

どちらにせよ、要は「好きになった理由がない」
というのが大事じゃないかな、と考えます。
お金持ちだから、ハンサムだから、人格が優れてるから…
と、理由をつけて恋をするとします。
そうすると、
世の中にもっと条件のいい人は探せばいるはずなのに、
手近なところで妥協したのでしょうか。
恋人はリスクとリターンを考えた末の産物なのでしょうか。

私は、恋の原動力は「何でか知らんが好き」
という、理性では制御できない感情だと思っています。
ただ、だから「何でか知らんが好き」で
突っ走れ、とは思いません。
それは純粋さ故に美しいですが、大変危険です。
良心や常識でうまく舵をとり、ブレーキをかける。
それもまた、苦悩するが故に美しいです。

いかがでしょうか。
とりとめもない文章になりましたが……。
覚悟さんの逆鱗に触れないことを祈ります(笑)
【2005/08/15 03:28】 URL | 豬花 #wkZD1s/g[ 編集]














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まとめ






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