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電波男に何度も出てくる「真実の愛」
それを紡げる人間とはどういう人間なのでしょう?
電波男考察~その1では真実の愛を、

「相手を出来るだけ傷つけないように配慮し、尊敬しあう関係」
「お互いがお互いを無償で愛を与え合えるほどの強固な信頼関係」


こういった、本能ではなく理性から生まれる愛と定義しました。
当然ながら「容姿に釣られた」「金銭に釣られた」などの
俗欲的な理由がメインの愛は「真実の愛」とは言えません。
そこでより具体的に真実の愛を把握する為に、
以下のような制約をも乗り越えられる愛という前提で考察してみます。

1.イケメン、金などの物質的魅力(雄としての魅力)から愛している訳ではない。
  (ドブサイク貧乏人が相手でも愛する事ができる)
2.相手が危機的状況ならば、我が身を省みずに救出にいける。
3.相手側の魅力と言えるものは人格的にモラリストとかの「内面魅力」のみ。


1については電波男の中で容姿主義、拝金主義が強固に忌避されている為、
2については本田氏の「無一文で橋の下生活になっても付いてくる女」という発言から、
3については電波男が真実の愛を「キモメン」をも愛せる程としている事と、
優しさや道徳の大切さを訴えている部分が随所に見受けえられる為です。
つまりは、ドブサイク貧乏人で、唯一の長所がモラリストである。
そんな人間を命を掛けるほどに愛するという事になります。
こういう人間を愛することができるのは、滅私奉公的な
完全なる無償の愛を注げる人物のように思います。

ですが、私の考えでは
完全なる無償の愛などは存在しないと考えています。
どんなに自己犠牲的な行為にも何らかの自分に対する報酬を
目的とした欲望が必ず含まれていると思います。
具体的にあげると、

1.容姿や金銭など物質的見返り(異性としての魅力)を期待しての愛
2.自身の高潔な行動に対する精神的満足(自己満足、自己陶酔)を期待しての愛


大まかにこのどちらかの自己愛が根幹として含まれていると考えます。
純粋に他者の為だけに愛を与えられるほど人間は優しくないのです。
1はどう考えても論外なので、真実の愛を紡げる人間は2と言えるでしょう。
考えてみれば、ドブサイク貧乏モラリストを命懸けで愛して得られるものは
人道主義を通した(容姿や金銭になびかず内面で伴侶を選び愛した)
自分自身への自己満足で分泌された脳内快楽物質ぐらいしかないですからね。

2のような思想の人間は一見すると、
どんな人間にも分け隔てなく愛情を注ぐタイプに思えます。
誰か1人の人間を「世界で一番愛している!!」
などとは言えなさそうです。
高潔な博愛は紡げても、男女で紡ぐ真実の愛は難しいように思えます。

ですが、真実の愛を紡げる人間といえど、マザーテレサのような
完璧に近い博愛主義者という訳でもありません。
彼らもまた他者に優先序列をつけて、
(良い意味で)差別を行っているのです。


それについては次の考察で詳しく述べていきます。
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まとめ






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