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豬花さんから、おたよりが届きましたので紹介いたします。
カテゴリ:電波男考察
真実の愛を紡げる人間とは?」への返信です。



覚悟様、毎日お疲れ様です。

今回の内容は衝撃的でした。
もしよろしければ、覚悟様でも他の方でもいいので
ご意見が伺いたいところなのですが……

私は、真実の愛は理性からは生まれない気がします。

「橋の下でも付いていく云々」のくだりで、
「付いていきたいから行くよ」という動機より、
「ここで見捨てたら私は醜い人間になる」という
動機のほうが、より真実の愛に近いと
書かれているかと思います。

しかし、私としては、
「付いていきたいから行くよ」のほうが
真実の愛に近い気がするのです。

「だって、あなたが行くんでしょう?
橋の下だろうがそのまま凍え死のうが、
そんなもの苦痛でも何でもない。
私は純粋にあなたと一緒に行きたいから行くのだ。
あなたさえいれば、橋の下でも大理石の家に勝るのだ。
それほどあなたといるのは、無条件に幸福なのだ」

その人にまつわる全てを幸福と感じる。
これが真実の愛ではないかと思うのです。

対して「ここで見捨てたら醜い人間になる」
と考えるのは、自分のポリシーに対する愛であって、
相手に対する愛ではないように思えます。
もちろん自分のポリシーに対する愛は
「良心」として社会的に必要なので、
維持するべきではありますが。

長い上に下らない文章になってしまい申し訳ありません。
コメントいただければ幸いです。
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コメントを求められたので、回答致します。
私もぶっちゃけ何が真実の愛なのか分りません。
人の数だけある物なのかも知れませんね。

ですから、ここで示した真実の愛は
私が電波男から感じて読み取った真実の愛です。
豬花さんの感じた真実の愛もまた真実の愛なのでしょう。

私個人の考え方では、人間は純粋に他人の為だけに
絶命や破滅にすら繋がる利他行為を行えるほど優しくないと考えています。
つまり本能に逆らうほどの利他行為です。
それが自分の子のように遺伝子を継ぐ相手に対してであれば、
それらも理解できますが(自分の分身を愛する訳だから半分は自己愛)

どんな美しい愛も純粋に相手の為だけを考えている訳ではなく、
実は自分の欲望が絡んでいるのでは?と考えています。
例えば豬花さんが答えた例でなら、
相手の男性がイケメンだったから無一文でも付いていった・・・とか。
「雄として魅力があったから付いて行きたい気持ちが湧き上がった」
だけではないかと。
勿論私が考察した真実の愛も
「誇りを守った自己への満足」という褒賞を目当てとした結果です。

それを例えばイケメンとか金とか俗欲的な方向で満足を得ようとするのか、
自分が高潔であろうとする精神的方向で満足を得ようとするのか
そういった違い程度しかないんじゃないかなぁと。
どっちも自分が気持ちよくなりたいからです。
私の言う真実の愛も自分が気持ちよくなりたいからです。

ですが、物質的な方向でなく
人間としての高潔さにその満足を見出しているという点で
私は私の考える真実の愛がより美しいと考えています。

ぜーんぶ私の妄想に過ぎない理論ですが、一応こんなところです。
結局は自分が信じる真実の愛が真実の愛なんでしょう。
十人十色ですね。
【2005/08/05 03:32】 URL | 覚悟 #o25/X8aE[ 編集]
どうもはじめまして。益田ラヂヲと申します。

真実の愛が何であるかはともかくとして、

> 「付いていきたいから行くよ」のほうが真実の愛に近い気がするのです。
>
> 「だって、あなたが行くんでしょう?
> 橋の下だろうがそのまま凍え死のうが、そんなもの苦痛でも何でもない。
> 私は純粋にあなたと一緒に行きたいから行くのだ。
> あなたさえいれば、橋の下でも大理石の家に勝るのだ。
> それほどあなたといるのは、無条件に幸福なのだ」
>
> その人にまつわる全てを幸福と感じる。
> これが真実の愛ではないかと思うのです。

「付いていきたいから行くよ」という精神は、上記のように、プラスに作用すれば素晴らしく幸せだと思うのですが、逆に言えば、「キモいからキモい」という精神を肯定することにもなりかねないのではないか、と思うのです。

善悪正負に関わらず、自己の感情や衝動について、そのまま流されるのではなく、一旦立ち止まって、熟考してから、覚悟を決めて、行動に移す、という「理性」こそが大切なのではないでしょうか?

もちろん、「付いていきたいから行くよ」という精神自体は、全くもって非難されるべきものではないのですが、それはいわば「結果オーライ」なだけで、やはり、あまりに情動的に過ぎ、高リスクな行動だと思います。

リスクを考える、というのは何も、損得ずくで行動する、ということではなくて、相手と自分の関係について冷静にとらえ、リスクがあることを承知した上で、「敢えて行く」という精神こそが重要なのだと考えます。
【2005/08/05 04:27】 URL | 益田ラヂヲ #vHTz.PsE[ 編集]
覚悟さん、益田さん、コメントありがとうございます。
大変興味深く拝読させていただきました。

>覚悟さん
仰るとおり、「真実の愛」は十人十色ですね。
私はやっぱり無償の愛は存在すると思うので、
「行きたいから行くよ」という
より無償の愛に近いほうが、真実に近いのかな…と
(あくまで個人的に)思ったりします。
しかし、「愛」というのは、
考えるだけでちょっぴり幸せになれる、
大変楽しいテーマですね。

>益田さん
もちろん、「全て激情のままに動いてOK」
というわけではありません。
(激情のままの愛もまた美しくはありますが)
そこで、「自意識への愛」、
すなわち「良心」または「理性」の存在が
重要になってくるのではないかと思います。

「この人、気持ち悪いから嫌い」などと思った際には、
良心と理性をめいっぱい働かせて、
そんなことを考えた自分を戒める一方で
理性的な対応をすべきです。

ただ、恋愛に関しては、
「理性的な恋愛」というのが楽しいかどうかは
正直分かりません(^^;
理性と情熱の狭間で苦しみ悶えながら
揺れ動くのは楽しいですが…。
【2005/08/05 05:53】 URL | 豬花 #wkZD1s/g[ 編集]














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