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※モテナイ男は喪男と非モテをひっくるめた総称とします。

読書感想日記さんのところでこのようなご意見がありました。
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そして、非モテが置かれている苦境は、むしろ非モテが
多くのマイノリティ派閥の集合であるということに
原因があるのじゃないか、と最近は思っている。

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私はこの意見を「モテナイ男達の団結」を示唆していると解釈したので、
「何故モテナイ男は団結が出来ないか?」と考えてみます。
まず、一部を除いて大方のモテナイ男の目標は以下の2点だと思います。

・恋愛資本主義の打倒or衰退(恋愛放棄の自由)
・DQN(横暴エゴイスト)蔑視の気風を高める


実際は派閥ごとに細かい差異はあるでしょうが、
おおよその目標はどこも似たようなものです。
ですが、実際は団結はおろかモテナイ男同士で争うこともしばしばで、
「俺のやり方の方が正しい」と洗脳合戦をしている。
なぜこのような結果になるのか?
答えは簡単「お互いが妥協が出来ないから」です。
私は様々な掲示板やブログでモテナイ男と議論をしてきましたが、
私も含め彼らは「手段に拘りすぎて目的を見失い易い」人々が
モテ側の人々に比べて非常に多いと感じています。
対するモテ側の人はモテナイ男とは逆で
「目的達成の為なら手段を選ばない」人が相対的に多いように感じます。

これは「モテナイ男になると手段至上主義者になる」
「モテ側になると結果至上主義者になる」という訳ではなく、
元々手段至上主義者であった人間が
モテナイ男になり易いからでは?
と思っています。
同じように元々が結果至上主義者だった人間はモテ側になり易いのでしょう。
「純愛」という手段(過程)をもって「脱童貞」という結果を求めたとすると、
モテ側の人は「脱童貞」という目的達成のためならば「純愛」という
手段を無視して肉欲」という手段も平気で選べる。
目的達成の為なら純粋に愛しているわけでもない相手に愛してると嘯き、
心にも無いことを並べ立てるし、詐欺に近いことも出来る。

結果として「脱童貞」が出来ればそれで良いのですから。

このモテ側のスタイル「結果至上主義」はモテナイ男に対する姿勢にも現れてます。
例えばモテ側にだって純愛主義者も居れば
肉欲主義者も居て、その思想は一様ではありません。

その他の要素でも様々な差異があって、それらが原因となって
争いが起きても不思議ではないはずなのですが、
彼らは争うこと無く手を取り合えるのです。
「私達考えは違うけど、取り合えずモテナイ男はキモイから仲良く攻撃しよう」と。
「モテナイ男を〆る(目的)」の為には「手段を選ばない(違う思想者と平気で同調)」
対するモテナイ男は「純愛」という手段こそが大切であり、その手段をもって
「脱童貞」が出来ないなら目的そのものを放棄してしまうのです。
「理想の手段で目的が達成できないなら、こんな目的イラネ」
そういう道を選んでしまうからこそ「モテナイ男」になってしまったのでは?
当然、その手段(スタイル)に拘る姿勢は活動姿勢にも現れます。
それぞれが「己の理想とする手段」に拘るあまりに、
目的が同じ相手にでも多少の手段の違いで噛み付いてしまうのです
「目的(モテ側打倒)は同じだが、俺と同じ思想に改変しないならお前も敵だ!!」
こういう風になってしまうのです。
つまり喪男同士を団結させようと思うなら、他派閥の喪男を次々と
自派閥の思想で洗脳していき、すべての喪男の思想を1派閥の思想で
完全洗脳させるぐらいの勢いでやらないと不可能なのです。

相手だって自分のスタイルにこだわりをもって
活動している訳ですから、そんな事が容易に出来る筈がありません。

モテナイ男の目的とはつまるところ、
恋愛資本主義の打倒やDQN成敗などは2の次です。

喪男ジェダイ派は己が喪男ジェダイ派としてのスタイルを貫き通す事、
タモリクラブ派は己がタモリクラブ派としてのスタイルを貫き通す事、
電波男派は己が電波男派としてのスタイルを貫き通す事、


つまり「己の美意識と我を貫き通して生き抜くこと」そのものが、
本来ならば手段に過ぎない事こそが最も大切な目的なのです。

そしてこれは私も例外ではありません。
喪男の団結を気軽に訴えている人はこの問題点を理解してないのでしょう。
私が「派閥ごとにあまり干渉せず、各々が勝手に活動をしよう」
訴えるのも上記の理由からなのです。
たとえ目標は同じでもその手段に「揺ぎ無い信念と覚悟」を持っている人同士が
それを無理に団結(統一)しようとするのは骨肉の洗脳合戦を意味します。

ここでこんな事を考える人も出てくるでしょう。
「じゃあ目的の為には手段を選ばないように自己意識改革すれば?」と。
ハッキリ言ってそれは不可能です。
そんな意識改革が出来たとしたら団結云々どころか、
さっさと「脱喪」してしまうでしょう。

だって手段を選ばないんだから、セックスの為に
嘘でも詐欺でも何でもして女を引っ掛ける方向に動くからです。

手段に、己の美意識に拘り続けるからこそ
モテナイ男はモテナイ男であり続けられる。
結果至上主義に自己改革出来た時点で
自然とモテナイ男の道から外れていくでしょう。


恋愛が出来ないのも、
脱童貞が出来ないのも、
恋愛放棄しているのも、
DQNが許せないのも、
団結が出来ないのも、
今こうしてダンゴムシ状態なのも


全ては「徹底的に手段(己の美意識、価値観)に拘る」という気質故なのですから。
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【2006/01/15 23:22】 | #[ 編集]
はじめまして。つばさと申すものです。
ためになる喪哲学、いつもありがとうございます。

ところで、「元々手段至上主義者であった人間がモテナイ男になり易いからでは?」とのことですが、私個人の感覚としては、モテナイ男だからこそ手段至上主義なのではと思います。
恋愛手段云々以前の多くの事柄において、特に中高生時代などでは、結果至上で動けば成否に関係なく罵倒される(勝手に仕切ってるだとか、やり方が良くないだとか)、しかし手段至上でしかも結果を出せば誰も罵倒できない。
だから、どうしても手段至上になってゆくのでは、と思えます。

或いは、最終的には、自己の美意識、価値観に酔っていなければ、周囲の美意識、価値観に晒されて自己が崩壊してしまう、そういった立場に置かれている喪も多いのではという気もします。

駄文、失礼いたしました。
【2006/01/15 23:24】 URL | つばさ@電波男派 #ssgRGo9I[ 編集]
ここらへんに関しては卵が先か、鶏が先か的な一概に言えない部分がありますね。

恐らく先天的にそういう傾向が元々あったとは考えていますが、
それがモテナイ男になった結果、より強化されていく面も往々にあると思われます。

また、基本的に喪男の周囲の人間とは「喪男を否定する価値観」です。
これらに迎合する事は即ち「自殺に匹敵する自己否定」を
受け入れる必要があるわけです。

人並みのプライドがある人間なら、
好むと好まざると関係なく
その周囲に反する美意識を構築し、
それに重きをおくようになるでしょう。
そうしないって事は即ち、自殺に自分を追い込むに等しいのですから。
【2006/01/19 02:27】 URL | 覚悟 #o25/X8aE[ 編集]
むっちゃキモス。何でそんなにブサイん?真剣まじきもいから~色付きの文字
【2006/09/04 16:12】 URL | 可愛い女の子 #uCtES1xA[ 編集]














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[http://shrak.blog17.fc2.com/blog-entry-211.html:title]で引用された部分に補足させていただくと、俺がそこで出したマイノリティ/マジョリティってのは、フーコーの考える権力の構造を念頭に置いていたんだよね((http://www.ne.jp/asahi/village/good/foucault.htm とか 読書感想日記【2006/01/16 00:05】
モテない男性、女性に縁の無い男性のことを「非モテ」とか「喪男」などと称します。 最近知ったのですが、この二つは違うもののようで、はてなダイアリーでは「非モテ」が、2chでは「喪男」が主流になっているようです。 [http://shrak.blog17.fc2.com/blog-entry-197.html 男の魂に火をつけろ!【2006/01/16 00:16】

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