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3.女性の善悪は自分がキモチイイ=善、自分がキモチワルイ=悪

これは考察するまでもなく、そのままですね。
自分の感情が大切なので、自分が気持ちいい(感情が認める)ものは善、
自分が気持ち悪い(感情が認めない)ものは悪と見なすと言うことです。

ですが、ここで疑問に思うことがあります。
自分の快楽を追及するならボランティア活動などを
する女性は殆どいない筈なのです。
ボランティアを行うには労力やお金などの
「自己犠牲」が多少なりとも必要になるからです。
ですがボランティア活動をする女性は男性のそれと比べ
数的には決して少なくはありません。
実はこういった女性は「弱ってる人に施しをするのが気持ちいい」
こういった感情から(気持ちよくなりたいから)やっているのです。
「本当は身銭を切りたくないが、ここで見過ごしては人としての恥だ」
という責任感から他人を救うことは少ないのです。
逆に男性はこういった責任感から
「本心はやりたくないが誇りのために敢えて自己犠牲を払う」
こういう救済を行う場合が少なからずあります。
そして男はそういう嫌々ながらも美学の為に行う
自己犠牲に耐えられてしまうのです。
(国の為に特攻して死んだ兵士の人々や武士道などが典型ですね)
そしてこの男女の感覚の差異は、

5.真の愛を貰った女性は天使となるが、真の愛を貰えなかった女性は悪魔となる。

この内容にも繋がって、女性を良い人間に育てるには
「人に優しくするのが気持ちいい」という事を
教育なり人間関係を通して教えなければいけないのです。
男性のように嫌々ながらも美学に従う事が出来ないのですから。
本書によると女性は
他人の悪意を受ければ受けるほど己も醜くなる
こう述べています。
言い換えれば
優しさ(愛)を受ければ受けるほど
他人にも同じように接したくなる

ようになるのです。
女性は他人との関係から学んだ事を反面教師として
逆の方向(善人)として成長することが難しく、
善き人と触れ合えば善人となり、醜き人と触れ合えば
悪人となり易いとも言えるでしょう。


逆に男性は醜い人間と触れ合えば、反骨心的にそれを反面教師として
「こんな醜い人間になるものか!!」と自分が見てきた世界に
反逆するような行動に出る傾向があります。
ですが女性は
「私がこんな酷い目にあったんだから、私だって
 他人を利用して不幸にしてやらないと不公平だ」

こういう思考に至ってしまい易いようなのです。

ですが、これまたある疑問が浮かび上がります。
愛されれば心が奇麗になるのが女性とするならば、
美しい故に周囲にチヤホヤされて天狗になっている
女性は何故そうなってしまうのでしょうか?
あれだけ愛されているのに、優しいどころか
周囲の人間を明らかに見下す態度を取っています。


実は「甘やかされている」のと
「愛される」というのは全く違うのです。
美しい女性に優しくしようとする男性は大抵が身体を
目当てとして「気持ちいいセックスがしたい」
ただその為に上っ面の優しさで甘やかします。
同時に甘やかすとはある意味では相手の領域に
あまり踏み込まず当たり障りない距離で馴れ合って、
信頼を築くために本来必要である最低限の傷付け合いすらも
放棄しているということになります。

こういう「甘やかされる事に慣れた人間」は非常に厄介です。
まったく甘やかされずにひたすら厳しく接されて歪んだ人間
(極度に厳しい躾を受けた人やイジメラレっ子)を
普通に戻す事は割と簡単です。
(ある程度甘やかし気味に)ひたすら愛してやればそれでOKです。
水や肥料が少なすぎて枯れかけた花を蘇らせるには
たっぷりと水と肥料を与えれば割とすぐに元に戻ります。

しかし、水や肥料を与えすぎて根腐れを起こした花
(甘やかされて天狗になった人)を元に戻すのは非常に大変です。

薬品に付けて殺菌し、水や肥料を少なめに押さえ、
花の状態を見ながら腐った根を根気よく治療せねばなりません。
「甘やかされ過ぎる」ぐらいなら「厳しくされ過ぎた」方が
よっぽどマトモな人間に育つと私は考えます。

同じような事がいわゆる「肉便器」と言われる
女性にも当てはまります。
彼女達は男性から必要とはされていますが、
それは愛する人としてではなく精液処理場として
道具として必要にされているだけです。
彼女達は彼氏が途切れる事はありませんが
人として愛される事がないので、弱者に優しくする事を
気持ちいいと思えるようになる事は少ないでしょう。
もっとも、本人達は精液を注入される事が
愛される事と勘違いしているようですがね・・・
或いはそう思い込まないと自分が
汚く愚かな人間としか思えなくて
自我崩壊してしまうのかもしれませんが。

ですが、真の愛を知るには自分の現状を正しく認識して
現実を受け入れなければ難しいのですよね・・・

ここで真に愛する、愛されるという事を考えてみます。
「電波男考察~その1」でも語っていますが、相手を人生を賭けて
支えようとする絶対的信頼関係以外にも、
真実の愛には時には厳しさも必要なのです。
例えば、相手が人として恥ずべき道に身を落とそうと
したら相手をぶん殴ってでも止める。
相手と大喧嘩して破局となるとしても懸命に相手を止める。
愛しているが故に厳しい事を言う事も、
愛しているが故に頬を叩くこともあるのです。

なぜなら、真に愛しているから相手に恥ずべき道に
堕ちて欲しくないし、そうなったとしたら
いくら愛していると言えども見捨てざるを得ません。
あまりに人道的に外れた人間をそれでも愛し続けることは、
自分も鬼畜道に落ちる事を意味します。
ですから、本当の本当に相手が外道となってしまったら、
自分が真人間でいようと思う以上は例え真に愛している存在でも
見放して完全な別離をせざるを得ません。
例えば私の子供が身勝手な理由で強姦殺人などを犯したら、
我が子の擁護など一切せず、涙を流して息子を警察に突き出します。
仮に我が子が未成年で
「客観的に見てあまりにも軽い刑(被害者が納得しない刑)」
留まったとしたら涙を流して息子を刺し殺し、自らも命を絶ちます。
諺にある「泣いて馬しょくを切る」という精神です。

もちろん、そんなことは出来る限りしたくありません。
だから、そうなる前に愛するものが外道に
ならないように懸命に止めようと努力します。
それをしないって事はつまり
「相手がどうなろうが気にしていない」という事なのです。
相手がどんなに醜くなろうと、大して愛してもいないなら
踏み込む必要も無いしどうでもいいですから・・・
相手を自分の犠牲を厭わずに支えようとする信頼関係と
厳しさを含めて真に愛されると言えるのです。
こういった愛を(両親なり、恋人なり、友達なりから)受けて
育った女性が真に優しい女性に育つのでしょう。

平たく言えば、キチンと躾を受けてきた女性
真っ当な女性に育ち、放任主義的にほっぽらかされてた
女性は(喪男から見ると)まともで在る事は少ないって事ですね。


※追記※
この論については家庭環境などに対する差別も含まれるので、
私はあまり支持したくない面もあります。
他人から酷い事をされた女性はそれを優しさに
変えることができると信じたいです。

ですが、世の女性を見るとどうにもそうは思えないのが
残念でなりません・・・
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>「私がこんな酷い目にあったんだから、私だって
 他人を利用して不幸にしてやらないと不公平だ」
こういう思考に至ってしまうようなのです。

まさに私がそうです。
DQNへの怨念で周りが見えなく
なってしまわないよう、自省しなくては。

>「泣いて馬しょくを切る」という精神です。
覚悟さんは強い方ですね。
覚悟さんのような方ならよき親になれると思います。
【2005/10/18 18:02】 URL | ヌルポガッ #zZJBNDww[ 編集]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1438902/detail?rd

その女性の皆様は最近お隣の韓国で男性漁りに精を出されているようで。m9(^Д^)
そのうちお隣の国の種までカッコウの対象にされるんでしょうね。

くわばらくわばr(ry
【2005/10/20 14:28】 URL | 魔法使い #-[ 編集]
女に憎しみを抱くようになった。
なにが女性差別だ。
ふざけんな。
【2005/10/22 18:59】 URL | ヌルポガッ #zZJBNDww[ 編集]














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まとめ






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