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最近のblogでは、モテナイ男とモテ側の論争を不毛であり、
(モテナイ側が譲歩する形で)和解、相互理解すべきという意見が見受けられます。
ですが、私から言わせればちょっとご都合主義にしか見えません。

我々にとって「絶対に揺るがない、変えるつもりがない性モラル観」
これを遵守して生きるには本blogのようなスタイルが都合が良いのです。
その都合良いスタイルを他者の為だけに捨てろと言われてもねぇ・・・
モテ側が「性モラルの緩さ」を捨てられないのと同じように、
我々も自分にとって都合の良いスタイルは中々に捨てられませんし、
道徳、倫理という誇りもあるので捨てようなどという気もさらさらありません。


また、ネイサンズ事件室井女史のオタク批判、それ以外にも
モテナイ男蔑視の記事を掲載するblogやサイトは色々とあります。
モテナイ男に攻撃的な姿勢の存在が少なくない事は否定できないところでしょう。
彼らとて「キモメン、オタク」という仮想敵(というか差別)を持って我々を攻撃します。
それに対して我々が「DQN、大多数の女」という仮想敵を作って、
反撃しても「やられた事をやり返している」に過ぎません。

私はこの関係が平等かつ平和的に解決など不可能だと認識しています。
むしろ「叩き叩かれ」で結果的にどっちもどっちの状況で
パワーバランスを保つ事が良いと思います。

一方的に殴られてばかりだとストレスが溜まって
現実世界での暴走に繋がりかねないからです。

そうならない為に「ストレス管理」という意味で小競合いは必要だと思います。
それを良しとせず、平等に平和的にこの問題を解決しようと思えば
両者全員が同時に「今後一切、相手側を侮蔑しない」という
非現実的な条約を結び、遵守する必要があります(そんなの無理です)


もっとも恐ろしい事態とは
一方が平和条約を破っているにも拘らず、
もう一方がキリスト宜しく我慢を強いられる

という状況です。
これは精神的にも非常に良くありません。
もちろん私も絶対に耐えられません。
だからお互いが不毛ながらも叩きあい、どちらかが一方的に
殴られるという不平等を解消して、ストレスが臨界突破しないように
調節出来ればそれで御の字のではないでしょうか?

私は争う事で憎しみが募るというのは半分は嘘だと思います。
相手と互角に殴り殴られというなら「お互い様だ」という心理が働いて
仲良くはなれなくとも、割とスッキリするものです。
近い内容を「無抵抗と非暴力」でも書いています
暴走を生む程に憎しみが募る場合とは、パワーバランスが崩れて
一方が圧倒的な勢いでもう一方をタコ殴りにするような状況でしょう。

私は今までイジメを受けた経験が何度かあります。
ですが、彼らを恨む気持ちは殆どありません(嫌いなのは変わりませんが)
なぜなら「その時その時でキッチリ殴り返してきた」からです。
自分を虐めた相手を毎回何らかの手段でキッチリと返り討ちにしてきました。
だからこそ、彼らに対して恨みつらみを残さずに済んだのです。

もしもこれらを行っていなかったら、私は・・・
手製の爆弾を抱えて同窓会の席上に
突っ込んでいたかもしれません。


ですから、中立的な立場というスタイルを取る存在も必要でしょうが、
オタクやモテナイ男に攻撃的な人々が存在する限りは、
カウンターとして私を含めた攻撃的なスタイルも必要という事です。
そしてモテナイ男の側に立って攻撃的なスタイルを取れる存在は
本田氏を含めて極めて稀少なのです。

ですから本blogはパワーバランスの面でこのスタイルを譲る事は絶対にできません。
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全面同意です。
意識的にせよ無意識的にせよ、自分達が今までにさんざん行ってきた
非モテ層への差別・中傷・弾圧については一切触れず、反撃が来る
ようになってから突然「和解・相互理解」なんて持ち出すのは、美辞麗句
で上辺を取り繕った非モテ側への言論弾圧としか思えません。
本当に「相互理解」を目指すなら議論は続けるべきでしょう。それが
不毛で嫌なのであれば最初から参加しなければ良い。

日頃周囲からさんざん袋叩きにされてるいじめられっ子が居たのに
その時は見て見ぬふりを続け、いざいじめられっ子が反撃の拳を
振り上げた途端、その手を掴んで「憎しみは憎しみしか生まないよ、
お互い仲良くしよう」とか突然ヒューマニズムを語り出すキチガイ電波
は、イジメっ子よりもタチが悪いです。
【2005/09/10 16:14】 URL | WATA #3/VKSDZ2[ 編集]
こんにちは。
室井氏は、まあ以前からどうかと思っていましたが、やっぱりでしたね。

すこし主旨から外れるかもしれませんが、オタクのほうが普通の女性(ドラマとか普通に見てるOL)
より現実を知っていると思うのです。

アニメって基本的に奇想天外な内容ですから(巨大ロボットとか出ますし)
そういうのってある時、ふっと気づくのではないでしょうか?

逆にドラマなどは、現実にあるものがほとんどです(舞台も人間もいます、フィクションなのは内容だけです)。なので、ドラマと現実の区別が
なかなかつかないのでは、ないでしょうか?

この点について、ぜひ覚悟さんからご意見をいただきたいです。
【2005/12/13 22:32】 URL | 日野 雅人 #-[ 編集]
恐らくは

【我々】
現実が醜いと現実認識し、その上で敢えて現実を拒んだり、
理想世界を描いて、そこに夢を見出そうとする。

【女性】
現実が醜いと現実認識し、
「じゃあ私も醜くていいよね♪」と
自分の欲望を
ダダ漏れさせる言い訳に利用している(現実に流されている)

こういう差があるように思います。
こういうスタンスの差が、
「非現実(二次元)を非現実として割り切って楽しむ」
これが出来るか出来ないかに繋がるのではないでしょうか?
現実を見抜いているのは同じですが、それに反逆しようと思うのか、
それに流されてしまうのかの差かと。


余談ですが、昨今の世の中は損得勘定で得する方に動く方が
賢いという風潮がありますが、それは「頭の良さ」とは違うかなと。

例えば新撰組の面々は頭脳的に優秀な人も多く、
幕府が潰える運命にあることも、日本が新時代に突入することも、
自分達が犬死になるであることもすべて予見した上で、
それでもなお「武士道」を貫く為に敢えて猪突猛進したのだと思います。

これは頭の良し悪し(現実を認識できるか否か)とは別次元の
「美学」の領域に入るものです。
この「美学」の為に敢えてそんな生き方をする事を
頭が悪いとする価値観は愚かしいと感じるところであります。
【2005/12/16 04:12】 URL | 覚悟 #o25/X8aE[ 編集]














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 前回記事において、非モテ過激派の言説はイスラム過激派、一部フェミニストと類似しており、攻撃対象が不要に拡大しているということを指摘した。今回は、どこで錯覚が起こったのかを調べてみることにしたい。  なお、非モテの女性は「非モテ過激派」という立場を取らな Niemals-Gasse【2005/10/08 00:09】

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まとめ






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