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私もよく見ている(そして強く共感している)
WATAさんのblog、Operation:Mindcrime
大変詳細かつ痛快に先日の朝まで生討論を
斬り捨てていたので、これを紹介させて頂きます。

朝生「激論!少子化の何が悪い?!」(1) 選挙は行こう&森永神発言1
http://fallen-angel.rulez.jp/blog/archives/2005/11/post_184.html
朝生「激論!少子化の何が悪い?!」(2) 寄生虫とサヨクの結託を阻止せよ。
http://fallen-angel.rulez.jp/blog/archives/2005/11/post_185.html

なお、此方では「北欧パラダイス神話」も見事に斬り捨てられています。
北欧、とくにスウェーデンなどは男女が平等で
平和的な福祉国家というイメージがありますが、
相当なほころびを見せている国家のひとつで在る事は事実です。


スウェーデンという国家
http://www.tctv.ne.jp/enoku/newpage13.html

またスウェーデンは人口は日本の10分の1以下ながら、
児童ポルノサイト(アニメ漫画ではなく、実際の幼女)が
日本とほぼ同数存在するという性モラルの低い国家
でもあります。
夏のカーニバルでの「乱交文化」も有名ですしね。
そういった意味で「日本の未来を予想する負のモデル国家」
としてみると面白いかも知れませんね。

児童ポルノサイト数(アメリカの凄さに乾杯w)
http://www.paradisearmy.com/PASOK8E.HTM
***********************************
1位  アメリカ (10,503件/ 61.72%)
2位  韓国 (1,353件/ 7.95%)  
3位  ロシア (1,232件/ 7.24%)
4位  ブラジル (1,210件/ 7.11%)
5位  イタリア (423件/ 2.49%)  
6位  スペイン (288件/ 1.69%)  
7位  チェコ (285件/ 1.67%)  
8位  日本 (165件/ 0.97%)
9位  スウェーデン (123件/ 0.72%)
10位 カナダ (116件/ 0.68%)

***********************************

ちなみに日本は総人口/児童ポルノサイト数という人口比でみると
先進国中でも児童ポルノサイト数は最低クラスになります。
ネットが発達している先進国で人口が多い国ならば
それに比例してエロサイトは当然多くなるので。

児童ポルノ撤廃という面では日本は優れた国家と言えるでしょう。

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皆さんは「女性塾」という団体をご存知でしょうか?
現在では珍しい「保守系女性団体」です。
男女差別撤廃を通り越して、(育児を含めた)生物的な男女の差異すら
無視しようとする行き過ぎたジェンダーフリーを打ち倒し
道徳的に生きる価値観を広めようという団体です。
その内容には我々喪男ジェダイ派としても感心するところが
ありますので、ここに紹介しておきます。


西尾幹二のインターネット目録
http://nishio.main.jp/blog/archives/2005/10/post_243.html
女性塾参加者 長谷川真美さんのご意見を抜粋

一部抜粋
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もともとこの塾は鎌倉の前市議、伊藤玲子さんという
女性の信念から出発したものである。
女性で議員になっている人は、左翼系圧倒的に多く、
家庭を大切にする保守的な女性は政治の場にほとんど出てこない。
そのため、政治の上では、左よりの女性の意見が
女性の意見の代表のようにして反映されていく。
この悪循環を断ち切るには、保守系の女性議員を育てるしかないというお考えだ。
民主党や、左派の政党は早くからマドンナ戦術といって、
女性議員の擁立や連携する組織を作っているが、
保守系にはそういったものが全くなかった。
発言力のあるバカな女性が日本を亡ぼすのではないか、
という危機感から、伊藤玲子さんのたった一人からの行動が始まった。
この女性塾を立ち上げるために伊藤さんは遠く広島まで私にも会いに来てくださった。
日本全国そうやって、この人、と紹介された女性には飛んで会いに行かれた。
多くの賛同者が現れたことは言うまでもない。
そうして伊藤さんのこの熱意に、自民党の山谷えり子参議院議員
賛同なさり、看板としての塾長を引受けてくださることになった。
このことが安倍晋三氏の耳に届き、ご本人がシンポジウムの
パネリストに自ら進んでなると言われ、いつのまにやら
この日の大きな会を開く所まで膨らんだのだ。
中山文部科学大臣も含め、18人もの国会議員が
お祝いに駆けつけてくださったそうである。
この度の衆議院選挙で、自民党女性議員が7名から26名に
増えたということだが、そのことを喜んでばかりはいられない。
女性であればいいというものではない。
今マスコミでもてはやされている女性議員は
当然この会には現れなかったし、

保守系とされている女性議員の中にも、左翼と見まがうばかりの人もいるからだ。
私が教育委員を通常の任期の半分で辞めさせられた時、
西尾先生からは市議に出る気はないかと言われた。
教科書も、教育も、物事を正していく実際の力はやはり政治なのだ
というのは、常々感じていることなので、考えないことではなかった。
だが、やはり家庭を持っている女性が議員になることは容易なことではない。
普通の仕事と異なり、議員になれば自分の時間の優先順位が自ずと家庭ではなくなる。
多くの普通の女性は、まず自分の家庭を守りたいと思っているはずだ。
稲田朋美衆議院議員は、衆議院議員に立候補すると子供さんに言ったときに
「いいよおかあさんはもともと死んだと思っているから」
と言われたという。

~中略~

自分と同じような問題意識を共有する女性は、地元の友人の中にはほとんどいない
ところが、その日出会った女性達とは最初からびんびん響きあえた。
すぐに意気投合した。普段は孤立無援のように感じていることが多いのだけれど、
仲間がいることを確認できてとても嬉しかった。
そのことが、今回の一番の収穫であったかもしれない。
なぜ女性、女性というのだろうかと思われる方がおられるかもしれない。
それは今問題になっている男女共同参画社会基本法のような、
フェミニズムが核となっているものに対して正面切って戦うのは、
男性にはなかなか難しいことだからだ。
男性がフェミニズムを攻撃すれば、かならず差別だと言われて
攻撃をかわされ、うやむやになってしまう。

女性の愚かさは同性である女性が指摘しなくては、
なかなか有効に作用しないのだ。

実力のある、発言力ある女性の議員が求められる所以である。
家族や国や日本の良きものを壊そうとしている女性に対抗するためには、
伝統的な価値観を持つごく普通の日本的な女性が
立ち上がるしかないのかもしれない。

*********************************************************

この強調部分を読んで頂けると判るとおり、
喪男道が常に主張し続けている
「女性同士の中で自浄作用を持て!!」
という事と同様の主張されているのがわかりますね。
こういった女性が今後の未来を担う「若い世代」から
ドンドンと生まれて行く事を私は切に願います。


以下も併せてご覧ください。
参議院議員、山谷えりこHP
http://www.yamatani-eriko.com/infomation/index.html

バカな女が国を滅ぼす~「女性塾」・伊藤玲子応援ブログ
http://blog.goo.ne.jp/josei-jyuku/


昨晩の「朝まで生討論」は議題が「少子化」だったのですが、
これを見て面白い事を発見したので考察してみます。


日本の出生率は第二次ベビーブーム(昭和45~50年)
以降は低下の一途をたどって来ました。
そして現在は出生率は1.299人という過去最低の数値に
なっている事は皆さんもご存知かとは思います。

ですが、この1.299という極めて低い値に実は秘密が隠されていて、
既婚者に限れば実は平均出生率は2.2~2.3人
未だにそれなりの値が確保されているのです。
そしてこれは1975年辺りから現在まであまり変化が無いと言うのです。
(若干下がり気味傾向という感じ)
これは以下の公的機関の調査でも同様の見解がなされています。


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強制社会政策統括官の少子化対策・高齢社会対策案(平成10年度)
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-1998/images/f1_331.gif
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-1998/haku9811.htm#04

我が国では婚姻外での出生が少なく,既婚者の出生児数は
大きく低下していないことから,出生率低下は主として
初婚年齢の上昇 (晩婚化)や結婚しない人の増加(非婚化)に
よるものと考えられる。晩婚化・非婚化の進行に伴い,
結婚する人が減り,結婚に伴う出生が減少して,出生率が低下する。

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つまり少子化問題の根底は結婚した人が子供を産まないのではなく、
「結婚したくない、結婚できない未婚非婚層」
最大のネックなのです。
彼らの存在が既婚者の出生率2.2~2.3という数値を
1.299まで引き下げているのです。
これを踏み台として以前の考察内容と繋ぎ合わせていきましょう。


「晩婚化から二極化へ 」
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国立社会保障・人口問題研究所
晩婚化・非婚化の要因
http://www.esri.go.jp/jp/forum1/050620/kicho-iwasawa1.pdf

・結婚に利点があると思う人は利点はないと思う人よりも多く
 7割程度、しかし男性で利点無し派が急増。
・利点として薄れているのは「社会的信頼の獲得(男女)」、
 「親の期待に答える(男女)」、「生活の便利さ(男性)」
・利点として強まっているのは「子供や家族が持てる(男女)」、
 「経済的余裕(女性)」

***************************



此方の資料を見ていただくと判りますが、
男性の結婚否定派は急速に増加しています。
5年ごとに3%~5%ずつコンスタントに右肩上がりで上昇し、
対して女性が5年単位でも1%前後しか上昇していないのです。
女性は依然として結婚に期待している人が多いのに対して、
男性は結婚したがらない人が急速に増えているわけです。
つまり「男性にとっては結婚するメリットが無い」
「女性にとっては結婚するメリットは今だ大きい」のでしょう。
現代の日本はそういう社会になっていると思われます。

「女性は結婚したがっている」
「男性は結婚したがらない」


結婚は両者の合意でのみ行われる行為です。
女性にしろ男性にしろ一方が結婚したがらないのなら成立しません
「なぜ男性が結婚したがらないのか?」の原因はさておいても、
非婚化を解消するには「男性が結婚したくなる」ように
せねばならないと言うことです。
そして次に此方の記事を確認していただきたいのです。


「参議院とモテナイ男」
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国民生活・経済に関する調査報告
参議院国民生活・経済に関する調査会(平成十三年六月)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/ayumi/houkoku/kokumin/koku01.htm

人を愛するとか生きるということを社会・家庭・教育の中で
体験しないできた状況下での未婚化、晩婚化の回復については、
現在は強者には幾らでも女性が寄ってくるが、
弱者には女性が寄っていかないむき出しの競争社会になっている。
競争や自己責任というイデオロギーが浸透する中で、
女性が相手の年収や学歴を問わずについていくことは今後あり得ず、
晩婚化、少子化は相当程度続くだろうとの見解が示された。
また、結婚は、男性にとっては性別役割分業がなくなったことにより
合理性がなくなり、女性にとってはすべてを失うことの方が
多いという意味でリスキーなものになっている。
合理性がなくリスクであると考えたときに、目に見えない信頼や
愛をどのように作り上げるかが必要との認識が示された。


参議院の見解が○chの見解と全く同じだwww

*******************************************



こちらの参議院の見解、
現在は強者には幾らでも女性が寄ってくるが、
弱者には女性が寄っていかないむき出しの競争社会になっている。

これが正しい(場所が場所だけに信頼度は高い)とするなら、
前出の国立社会保障の統計と併せて考えますと女性は
あくまで「金持ちやイケメンなどの稀少な強者」
のみと結婚したがってるわけです。
※注意※
これを見て「私は贅沢なんて言ってないわ!!」
否定する女性は自分が「自覚なき贅沢者」でないか
此方の記事と照らし合わせて再確認してください。
「童貞処女=モラリスト?」

しかし、実際には現実の大半の男性は
「大した金もない、イケメンとはいえない男性」な訳です。
私の推論ですが、こういう女性の「欲深さ」を感じ取って
あーあーそうですか!!俺は結婚欲自体捨てます、あほらしい!!」
としている人も多いでしょう。

まあ恨み節は置いといて、男性は「結婚自体がしたくない」
思っている訳ですからこれを結婚させるのはかなりの至難な事です。
結婚制度を「現状よりも男性にとって魅力的である制度」
換えてあげねばならないからです。
これは即ち女性に対しての「妻の利得制限」「妻の権利一部制限」
という相反した面が少なからずあるという事です。
フェミニスト国家である日本がこんな事を了承するはずがない!!
だとするならば、後は「イケメンや金持ちなどの強者」
結婚を願望する女性に与えてやるほうがより現実的でしょう。

ですが年収1000万以上の男性は全体の6%程度で、
尚且つそれは「定年間際の老人」「扶養手当がついている既婚者」
などのおよそ結婚対象外と言える男性も多く含んでいるのです。

国税庁民間給与の実態調査結果(平成16年度)
http://www.nta.go.jp/category/toukei/tokei/menu/minkan/h16/01.pdf

また街中を見回せば判りますが、女性が満足するような
イケメンもまた全ての女性の子宮を満たしてやれるほどの
数は存在しないのです。
(私的な感覚ですが、男性全体の10%未満でしょう)
とするならば、どうするか・・・
やはり一部の金持ちやイケメン大勢の女性を娶って
一夫多妻制(多夫多妻制)とするのが理想的なのではないでしょうか?
これを良しとせずあくまで性善的な手段で非婚化を解決するなら
弱者(貧乏ブサメン)にも女性が普通に寄って来る社会
を作らねばなりません。
それも短期間(10~20年程度)のうちに!!

それが絶対に不可能なことは欲深き女性ご自身
よーく理解していると思います。
あなた年収350万円「加藤大君顔」と付き合って
浮気も搾取もせずに、パートして家庭を共に支え、
仲睦まじくセックスして、子供を産んで育てる事ができますか?
そして、そういう事を大半の女性が幸せと
感じられる社会が実現可能だと思いますか?

そう思うのでしたらその具体的方策をぜひ発表してください。

ちなみに朝まで生討論でのアンケートでは
ブサイクな貧乏男性とでも結婚できる(愛が紡げる)か?
という問いに手を挙げた人はおよそ50人中(もっと居たかも)0人でした。


最終的結論は以前から上げていた「一夫多妻制」の採用。
やはりこれ以外にありえないと今回の朝生をみて確信しました。
男性が余る?大丈夫、男性には風俗二次元もあります。
イスラム社会に生きるモテない男と違って
ガス抜きする手段は幾らでもあるのです
そしてご自身の未来の為、日本の未来の為に一夫多妻の有効性を
声高に叫んでくれる女性が1人でも多くなる事を私は願って止みません。
男性がそんな事を口走っても「男尊女卑だ」と責められてしまいます。
女性自身が一夫多妻制を主張する事に意味があるのです。
なお、一夫多妻制についての考察については此方もご覧ください。
「(2)恋愛社会下層者の不満を解消させる」




※追記※
しかし、思うのですが、女性が解放されればされるほど
逆に男尊女卑的(一夫多妻)というか女性が寄生虫化していって
男性に依存するようになっていく気がするのですが・・・
女性が誇り高く独立した人間として成長する為に男女差を撤廃したはずが、
はるか原始的な一夫多妻制が必要な状況に行き着くとは皮肉なものです。
一夫多妻が必要な現状は男に飼われる事を
望んでいる女性が増えた事を意味します。

社会主義という一見すると理想的かつ平等な社会を作ってみたけど、
実際はみんな怠惰になってしまって社会腐敗を起こした・・・
それに近い流れを最近のフェミニズムから感じてしまうのです。


※追記2※
今回のフェミニスト論客の代表と目される社民党の福島議員に
ついての話でこんな面白い書き込みを見つけました。

**************************************************
社民党の福島は子供に
「お前に母親らしいことをしてもらったことがない」
って言われたんじゃなかったっけw
こいつも責任放棄してフェミ活動だろ。
子供を生めるような人間じゃないのにw

**************************************************


これが真実だとすると彼女達先鋭的フェミニストの目指すところは
育児家事の完全放棄、母性の完全放棄なのかも知れませんね。


今週の「最強伝説黒沢」は非常に感慨深い内容でした。
要約すると、ホームレスを金属バットで襲撃していた若者達
(DQN)を黒沢が撃退するという内容
なのですが、
これは現代人が忘れたものを的確に示唆していると感じました。

ホームレス達を金属バットで襲撃したDQN達は
それを止めに入った黒沢にも殴りかかりましたが、
腕力に勝る黒沢に逆にバットを奪われます。
形勢が逆転した途端、DQN達は急に理論理屈をこねくり回して
ホームレスに暴力を振るうことを正当化しようとし始めます。

やれ税金を払っていない、やれ汚い・・・
それに対してに黒沢の返答がこれです。


************************************************
それ以上ぬかすと、おまえらが最低よっ!
言い過ぎ、やり過ぎ!
冒すことになる、人間の尊厳!
禁じ手っ!
ほとんど唯一・・・・・・それだけがこの世の禁じ手!
人間は人間を・・・何があろうと、踏みにじっちゃダメ・・・!
そりゃあおまえらはバカだから・・・人を軽んじたり・・・甘くみたり・・・
要するに見下す・・・・・・!なんの検証もなく・・・あっさり人を見下す!
いや、実は・・・・・・それはおまえらに限らない
けっこう誰でもしてる・・・それくらいは・・・・・・・・心の中で!
が・・・・・・止まれ!
そこでとまれ・・・!限界だそこが!
その先・・・人を虫けら扱いしたら・・・・・・アウト!
それをやったら・・・やられたほうは決起!
奮い立つしかなくなる!

************************************************


この言葉を言い終わったあとに黒沢は凄みの効いた目で
DQNを睨みつけますが、逆切れしたDQNが黒沢に
襲い掛かりますが、逆に打ちのめされてしまいます。
黒沢が言った事は「やったらやり返される」という単純な事です。
そしてそれが理解できずに他人の領海を安易に
侵すことを愚かだと説いたのでしょう。

最近の若者・・・特に女性を見ていると感じるのですが、
他人を平気で傷つける割には自分がその報復を受ける
可能性があるという思考が完全に欠落しているのです。

他人を理不尽に傷つけても、
逆に他人に傷つけられる事は想像できない

自分だけは何をしてもどう振舞っても報復を受けない
そういった根拠のない自己中心的な自信を持っているように感じます。
幾ら法律があるとはいえ、所詮人間は感情で動く存在です。
心を、アイデンティティを完膚なきまでに奪われれば、
己の未来すら捨てた暴挙(報復)にでても不思議はありません。
そして人間は例えば強力な凶器と相手を殺す覚悟を持っていれば
Mrオクレのような貧弱な人間がボブサップを殺す事だって可能なのです。
つまり、見た目が弱そうだから報復はされないなどという勝手な思い込みは
気休めにも何にもなりません、単なる油断と言っていいでしょう。
人の尊厳を踏みにじる行為には必ず「報復」を受けるリスクが
隠されていて、それは時に己の命を落とすことにも繋がりかねない。
そんなリスクを犯してまで人を侮蔑する事に価値があるのでしょうか?

騎士道だか武士道だかの格言でこんな言葉があります。
「剣を抜くものは、己もまた剣によって倒される事を覚悟すべきである」
如何なる理由があろうとも他人を傷つけるならば、
相手の報復の刃を受けて自分が傷つく覚悟を
持たねば卑怯である
という思想です。
これは私も常々意識している事で、たとえ大義名分を持って
「DQNを打ち倒す」という理由の元に(暴力、言論を問わず)力の行使
行うとしても、己もまた力の行使による報復で打ち倒される覚悟
持つべきと自分に言い聞かせています。
そういう覚悟のないものが、ましてや利己的な欲望で
他人を傷つけている奴がいざ相手からの逆襲を受けたら
命乞いやら、「暴力イクナイ」などと詭弁を駆使して
逃げだそうとする様ほど醜いものはありませんからね。


同じような事を「甲虫王者ムシキング」の第五話でも感じました。
巨大な樹木の上に村落を築き、その果実を糧として生活している
とある村では葉を食べるアゲハの幼虫は害虫として皆殺しにされます。
それを不憫に思った愛虫家のグルムという男は村を捨て、
生き残ったアゲハを別の森に移してやって、
そこでアゲハ達と共に過ごしていたのでした。
しかし、それに感づいた村人達は害虫であるアゲハを殲滅する為に
グルムの家を襲撃し、彼が我が子のように大切に育てたアゲハを虐殺します。
グルムが血涙を流して泣き叫びアゲハの命乞いをするのを
怒号で一喝し、侮蔑の言葉と共に容赦なく焼き払い叩き潰していきました。
グルムはその絶望と怒りから、闇の住人としての潜在能力を発現させ、
凶暴な巨大甲虫を召喚して、アゲハの敵を討つために村人を襲います
すると情けない事に、今度はその村人は命乞いを始めるのです。
その様が非常に無様で情けなくて、やるせない気持ちに襲われました。

勘違い無きように言いますが、アゲハを駆除しようとするのは
村の糧を守ろうとする仕方のない面があり、
いわゆる害虫駆除と同じようなものです。
一方的な人間のエゴではありますが、同胞を守ろうとする意志も
介在した行為であり、一概に責められる行為ではありません
(もっとも、皆殺しなどという野蛮な方法ではなく、移住させたり
間引き程度に留めるという妥協案を考えなかったのは村人の落ち度です)

しかしながら、それはやはり「剣を抜く者の覚悟」をもって
行うべきだったと私は思います。
いざ力関係が逆転し、自分が「殺される側」にまわった途端、
恥も外聞もなく命乞いをする
そこには人間としての尊厳も誇りも感じることは出来ません
村の村長は最後まで命乞いをせず、逃げる事もせずに
果敢にグルムと巨大甲虫に戦いを挑み敗れます。
その姿勢には「剣を抜く者の覚悟」を感じ取れたのが幸いでしょうか・・・

己がエゴを通す為、理不尽な欲望を通す為剣を抜くとしても
せめて「報復で打ち倒される覚悟」を持って剣を抜くのが
人間としての最低限の誇りだろうと思うのです。
そして多くのモテナイ男を批判する人間達からは
この「剣を抜く者の覚悟」が感じられないように思うのです。


町田女子高生殺害事件
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051118-00000025-mai-soci

どうもこの事件を元としてモテナイ男批判が
高まっているようなので考察してみます。
はっきり言えば「単なるストーカー殺人事件」
この事件はそれ以上でも以下でもありません。

日本では年間1400件以上の殺人事件が発生しており、
今回の事件のようなモテナイ男やオタクが犯人である猟奇性を
含んだ凶悪事件は多くて1年に数回或いは、
数年に1回程度発生するかしないか程度です。
(詳細は「モテナイ男に対する負のレッテル」を参照ください。

ちなみに殺人事件の原因TOPは
憤怒(ブチキレ)、痴情のもつれ、金銭トラブル
モテナイ男のそれとはかけ離れた原因が殆どです。
ブチキレ易くて、借金癖があり、浮気などを頻繁に行う人間
つまりヤクザヤンキーチンピラ染みた人間(DQN)
殺人事件の大半を担っているのです
オタク云々モテナイ男云々をどうにかするよりも、
チンピラ染みた人間を処分した方が
よっぽど日本は平和になるのですがねw
なぜその本質に気がつかない馬鹿が多いのか!!

にも拘らずマスゴミが「こういう事件なら視聴率を稼げるぜ、ウハ!!」
ワザワザ偏重報道した事件に見事に踊らされている様を見ると
あまりに滑稽であるとしか形容できません。

再度言います、この事件は年間1400件起こっている
殺人事件のうちのたった1件に過ぎないのです。
その1/1400の事件を取りざたして
モテナイ男を語ろうなどとは
浅はか過ぎやしませんか?




※追記※
この事件への率直な感想を述べさせて貰いますと、
「あーあ、鯛男(モテタイ男)の馬鹿が暴走しやがった~」です。
現実の女なんかに下手に手を出したばかりにこんな無様な結末
迎えた大馬鹿野郎、さっさと現実女には見切りをつけて
二次元萌えの世界に傾倒していればこんな馬鹿げた事を
しなくて済んだかも知れないのにね、あーあ・・・


私たち恋愛放棄をした「モテタクナイ男」
何が何でもモテタイと足掻く「モテタイ男」は同じ非モテと
言えどもその考え方、生き方には天と地程も差があります
(はっきり言えば、お互いを忌み嫌っているといっても良い)
ですから、私は今回の事件は「同志が犯した暴走」ではなく
「敵対思想派の馬鹿が自爆しやがった」程度にしか思っていません。
(実際には当事者間では色々と苦悩や葛藤があったのでしょうけど・・・)

こういう馬鹿なキモメンでも平和的に、尚且つ幸せに生きられるように
生み出された思想が「萌え」であり、「電波男」なのですがね。
これから少年院に行くであろう彼には、
本田透氏の著書を一式差し入れしてあげたいものです。


私が常駐している某掲示板にて面白い資料を発見したので紹介します。


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国民生活・経済に関する調査報告
参議院国民生活・経済に関する調査会(平成十三年六月)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/ayumi/houkoku/kokumin/koku01.htm

人を愛するとか生きるということを社会・家庭・教育の中で
体験しないできた状況下
での未婚化、晩婚化の回復については、
現在は強者には幾らでも女性が寄ってくるが、
弱者には女性が寄っていかないむき出しの競争社会になっている。
競争や自己責任というイデオロギーが浸透する中で、
女性が相手の年収や学歴を問わずについていくことは今後あり得ず
晩婚化、少子化は相当程度続くだろうとの見解が示された。
また、結婚は、男性にとっては性別役割分業がなくなったことにより
合理性がなくなり、女性にとってはすべてを失うことの方が
多いという意味でリスキーなものになっている。
合理性がなくリスクであると考えたときに、目に見えない信頼や
愛をどのように作り上げるかが必要との認識が示された。


参議院の見解が○chの見解と全く同じだwww

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この資料は以前にも軽く目を通していたのですが、
このような本blogおよびモテナイ男の多くが主張する意見に
クリティカルヒットする記述があった事には気がつきませんでした。
なんというか嬉しいですね・・・
我々が血眼になって主張していた事が
モテ側が血眼になって否定していた事が
国会という国家首脳が集まる場所でアッサリと
現実として認識されていたのですからw


※追記※
私個人はこの状況を打開するにはやはり一夫多妻或いは
多夫多妻制の導入以外にありえないと考えます。
(詳細は「(2)恋愛社会下層者の不満を解消させる」をご覧ください)
殆どの雌が「金持ちやイケメンの雄」にしか群がらない、
「貧乏やブサメンの雄」には見向きもしない現状なのに
優れた雄と劣る雄で同じ数(1人)の雌としかツガイになれない
というのは明らかに現状に合っていないのです。
欲深き大勢の雌の子宮を満たしてやるには
キムタクホリエモンのような人間が何人もの女性を娶り、
ハーレムを形成して子供を産ませまくる以外に方法は無いのですから。
もっとも、キムタクやホリエモン自身がこのような事を主張すると
「自分に都合の良い社会を作ろうとしている」と言われかねないので、
むしろ、恋愛の外側にいる我々モテナイ男がこういった
「決して表に出せないイケメンと女の本音」を主張して、
彼奴らを解放してやらねばならないのかもしれません。
彼奴らの欲望を満たしてやれば我々への八つ当たりも減るでしょうから。

おい、日本中の女を連れてきてケツをむき出しにして
キムタクやホリエモンの前に並ばせろ!!
それで奴らが片っ端から種付けしてやれば
20年後には日本はイケメンと金持ちだらけになってるぜ!!


このブライアンホーク理論は私は実に現実的な意見だと思いますw


まったく、ドーデモ良い雑談なのですが、
私、またまたリアル黒沢を演じてしまいました。


昨日の現場では交通整理のガードマンが急病で休んだらしく、
私が代わりに交通整理を担当しました(これが交通整理初体験)
二車線(往来)の道路が作業用のクレーン車を止めたため、
一車線になってしまい、往来の車同士が衝突してしまうため、
その交通整理を行う作業だったのですが・・・
昼間はさほど交通量も多くなく視界も良かったので
手によるストップとゴーの指示で捌ききれたのですが、
夕方になってくると薄暗く視界も悪くなり
帰宅ラッシュで交通量もかなり多くなってしまいました。
そこで現場の監督に人員の補充と誘導灯を要求しましたが、
一言「ゴメン、どっちも無いw」

そこで私は誘導灯も無い状態で薄暗く、車も多い道路で
たった一人交通整理を行う羽目になりました
当然、歩道からハンドシグナルなぞ出していても
ドライバーには殆ど見えないので車道に出て思いっきり
手振りして指示するしかありませんでした。
それで止まってくれる車もあれば、
気がつかずに突っ込んでくる車もいます。

そして一台の車がかなりのスピードで私に向って突っ込んで来ました。
「ヤバイ」と直感的に感じて、とっさの「黒沢ダイブ」を敢行!!
間一髪轢かれずに済みました・・・
黒沢に憧れ、黒沢のように生きたいと願った私ですが、
この「黒沢ダイブ」だけはリアルで体験したくなかったのが本音です。
だってこれ、一歩間違えば死ぬかもしれない状況でしか出せない技ですからねw

また、車の危険以外にも寒さとの戦いも熾烈なものでした。
交通整理に割ける人員が私1人という状況でしたので
昼夜ぶっ通しの作業となり、食事も休憩もロクに取れない上に
当日は曇天でクソ寒かったので体の芯まで凍えました
(終わった時には体中がガクガク震えて、特にヒザから下は麻痺状態)
その後に立ち飲み屋で口にした豚汁の美味さと温かさは格別でした。
勿論、豚汁と一緒になんこつライスを貪ったのはデフォです!!



※追記※
ある意味では喪男というのは幸せな生き方なのかもしれません。
だって、普通の人間は色恋沙汰に命を懸けて蹴落としあっている間に
私はたった一杯の豚汁となんこつライスに生きる喜びを見出せたのですから・・・
劣るからこそ見えてくるものもある
そんな事も決して少なくないんじゃないかと。
女の肌の温もりは知らずとも、
豚汁の温かさは誰よりも知っている

それが私、覚悟という喪男の生き様なのです。


おもしろいトラックバックを頂いたので紹介します。

不倫も浮気も嫌い。。。20代後半OL、まっすぐ生きるのだ
http://ameblo.jp/lafayettegirl/


不倫、浮気が嫌いと堂々と明言しているlafayettegirlさん(女性)のblogです。
はっきり言って、私はこのような事を明言している若い女性は
現実、ネット上共に初めてお目にかかりました
(女=自分は浮気してOK、男はダメというのは幾らでもありますが)
ただまぁ、内容を良く読めば判ると思いますが、
喪男道で主張している「モラリスト」とは若干毛色が異なり、
どちらかと言えば「恋愛という行為を冷静に捉えている」
表現した方がしっくりと来るかもしれません。
結構、クールに割り切った思考や表現が随所にありますからね。

それでも現代の恋愛観、特に女性の恋愛観としては
随分と理知的であると言えるでしょう。
この恋愛に対する距離感や冷静な視点は以前に喪男道で紹介した
kmzusawaの日記に似ているような気がするのです
(あちらは非モテ女性側からの意見ですが)
lafayettegirlさんは当blogの思想に興味を持っていらっしゃる
ようですが、むしろこちらよりもkmzusawaさんの思想のほうが
色々と相性が良かったり、共感できる部分も多いのではと思います。

恋愛という行為に良い意味で冷静な視点を持っている女性は、
少なくともネット界隈では稀少なので、そういった女性同士が
輪をつくり、思想を語り合ってより深め合う事は良いことだと思いますので、
このお二方には仲介の意味も込めまして本記事をトラックバック致しました。



※追記※
私は喪男としてもモラリストとしても、自身が女性と輪を作るよりも
「真面目な女性」同士の仲介役として裏方作業地味にやる方が良いかなと。


「萌える男考察その2~共通幻想」で語ったとおり、
モテナイ男が女性全体を敵視しがちなのはモラリスト女性と
俗物的な地雷女が見分けが付かなくて全て敵に見えてしまう、
挙句に女性側も「私はモラリストです、地雷じゃありません」と
声を出してくれないので全てが敵に思えてしまって
どーしようもないという状況
だからではないかと推察しました。

逆に考えれば、純愛主義者のモラリストオタクだけが集う
コミュニティ等をネット上に作り、そこで恋人なり友人なりを
作れば良いとも言えます。
純愛主義者のモラリストしか存在しない訳ですから、
ヤリ捨てされる事も、貢される事も、心を弄ばれる事もありません。
要するに「純愛主義者だけが集う出会い系サイト」みたいなもんです。
余談ですが、私がまだモテタイ男だったころ(2年以上前)に
これを思いついて、「これをやったら金儲けできるかも、ウハッ!!」
などと本気で考えていた頃もありました。
タイムスリップが出来たならあの頃の自分の脳天をかち割りたいです。


ですが突き詰めて考えると、こんなコミュニティを打ち立てた
ところで、それを維持するのは非常に困難なのです。
その理由を列挙しますと、

1.モラリストを利用しようとしてエゴイストが参入してくる。
2.根がエゴイスト(自覚無し)の似非モラリストが参入してくる。
3.男女人数差が極端だと、サークルクラッシュ的な事態に発展する。
4.モラリストだけという信頼感に少しでも傷が付けば一瞬で破綻する。


1については「モラリストだけの出会い系コミュ」と言う事が
知れ渡れば、当然ながら「騙し易いカモの集団」と見なして
利用しようとするエゴイスト(ヤリチン、ヤリマン)
ほっかむりをして集まってくる事は想像に難くありません。
例えばモラリストを装いコミュに参加して、
油断してる女性メンバーをやり捨てにするヤリチン、
同じように男性を貢君として利用しようとするヤリマン。
こういった存在を完全にシャットアウトするのは難しいでしょう。

2については自分はモラリストと勝手に思い込んでいたが、
イケメンにナンパされたらアッサリ落ちて、気が付いたら
肉欲の虜になってるような

「頭では純愛主義者だが、子宮がイケメンに逆らえない」
という自覚なきヤリマン等です。
こういう存在はパッと見にはモラリストに見えてしまう
(本人は本気だから当然)のが非常に厄介です。
これらがコミュ内で問題を起こせば当然ながら信頼は失墜します。

3については例えばモラリストのオタクを集ったのは良いが、
男100に対して女が1などとなってしまえば、
最初はモラリストだった女性が調子付いてお姫様気分になってしまい
複数の男性に意識無意識問わず、勘違いをさせるような粉掛けを行い、
それに惑わされた男同志で争ってしまうような可能性があります。

もちろん、強固なモラリスト男性ばかりならそういった
事態にはならないでしょうが、モラリストもピンキリですから
「ヌルいモラリスト」だった場合はそういう状況下では
正常な判断力を失って暴走する事は十分に考えられます。
こうなればやはりコミュとしての信頼は失墜するでしょう。
そして喪男道でのコメント状況を確認すると、こういったコミュを
作ったとしても恐らくは男女比は数十:1或いは100:1
という状況になる可能性は非常に高いです。

4については1.2.3のような状況が一度でも起こってしまえば
その瞬間にそのコミュは機能を果たさなくなります。
そもそもモラリストのコミュに参加しようなどと思う人は
現実社会で相当に傷ついたり人間不信になっているような輩でしょう。
そんなガラスの心を持つ人間はたった一つ信じれら無いことが
起こってしまえばその瞬間、心が砕けてしまいます。
それがモラリストコミュニティのモロさでしょう。

現在、しろはたや喪男道がそれなりに機能しているのは
女性を排除するスタイルを取っているからで、
もしも女性を許容するスタイルであったならば、
大なり小なり1.2.3に類する問題が
発生してトラブルを起こす可能性は十分にあります。

実際には男女が「モラリストなオタク」などという属性の元に集い、
手を取り合うようなコミュニティを形成するのは非常に困難でしょう。
というか、私を含めた一部のモテナイ男は既に「女性」というだけで
なんか理由無き怒りがこみ上げてくるような状況に陥って
しまっているのでそもそも無理というものです。

ですが、まだそこまで女性に絶望していない
若いモテナイ予備軍が居たら、システムや理念を十分に練りこんで
現状の問題点を克服し、こういったコミュニティの実現を
図るのも良いかも知れません。

それらに協力、参加しようという度量も気概も既に私には
残っていませんが、せめて草葉の陰から見守ってあげようとは思います。


某所にて「モラリストの癖になんでDQNやヤリマンに異常に攻撃的なんだ?」
と糾弾を受けたのでそれについて語ろうと思います。
(ここで指すモラル(道徳)は「これが俺のジャスティス」を参照)


まず、モラリストには二つの種類があると私は考えます。
どちらも自分自身の言動にモラルと言う枷をはめるのは前提として、

1.モラルに反した言動を取る人間に対して攻撃や差別を認めるモラリスト。
 (道徳という基準で他者を差別する差別容認主義者)
2.モラルに反した言動を取る人間に対しての攻撃や差別を認めないモラリスト。
 (道徳という基準ですら差別をしない、善人悪人での差別すらしない平等主義者)


前者の代表はマルコムX、後者(博愛主義者とも言う)の代表はマザーテレサでしょう。
本blogの記事の内容を見ていただければ判りますが、
私はバリバリの攻撃的モラリストです。

私はよく「モラリストの癖になんでDQNやヤリマンに異常に攻撃的なんだ?」
非難される事がありますが、そういう問いを出す人は、
恐らくモラリスト=博愛主義者と定義しているのでしょう。
ですが、実際にはモラリストにはこのように2タイプあるわけです。
博愛主義者という聖人的な極めて一部の人間を除き、
モラリストというのも所詮は差別主義者で在る事は変わりません。
DQNも私も差別主義者と言う点では同じなのです。
この2者の違いは、自分の私利私欲という基準で他者を差別するのか、
人道思想を基準として差別するのかの違いだけとも言えます。

話を戻して、攻撃的モラリストと博愛主義者ぞれぞれ長所と短所を見てみましょう。

**********************************************
攻撃的モラリストの短所
・モラルに反する行為を行う人には攻撃的で容赦が無い。
・その攻撃性故に火種を拡大させる恐れがある。
攻撃的モラリストの長所
・理論理屈の通らない暴漢に対してためらいなく攻撃できる。
 (目の前で女性がレイプされそう等の緊急事態が発生した時に対応できる)
・攻撃性故に他者からの詐欺、洗脳行為に屈する可能性が低い。

博愛主義者の短所
・悪人にも愛を向けるため、悪人の隠れ蓑やパシリとして悪用されやすい。
・悪人が弁舌の持ち主だった場合は洗脳される可能性が高い。
・目の前で女性がレイプされそう、などという緊急事態に対応できない。
 (理論理屈の通らない暴漢に対しても「止めてください」としか言えない)
博愛主義者の長所
・悪人にも愛を向けるため、稀に悪人を改心させる事ができる。
・攻撃性が非常に低いため、他者に与えるプレッシャーが少ない。
・見栄えが良い。
**********************************************

つまり、マザーテレサのような博愛主義者も
マルコムXのような攻撃的モラリストも共に一長一短です。
マザーテレサのような博愛主義者は病人や貧者など弱者の救済に、
マルコムXのような攻撃的モラリストは差別撤廃や
人権獲得などの不正との闘争
に向いていると個人的には考えます。
(博愛主義者ではDQNに洗脳されていいように利用される可能性が高い)



※余談※
博愛主義者の代表としてマザーテレサを出していますが、
実は彼女は演説の中で「中絶をしたり容認する人は愛の無い人」
結構厳しいコメントを残しています。
彼女も実際のところはモラルと言う基準で他者を差別しているわけです。
勿論、程度の差はありますけどね・・・・ちなみに現ローマ法王に至っては
「中絶する奴らは最低、こいつらは地獄に落ちる」と明言してますw


某所にて「覚悟の言っている道徳(モラル)って何よ?」
という意見を目にしたのでそれについて語ろうと思います。
道徳というものは細部に渡って見れば
必ずしも普遍的とは言い難いものでしょう。
ですが、おおよその根幹に関しては共通するものがあると思います。

一言で言えば「自分がされて嫌な事は他人にするな」です。
人を殺してOKという社会があったとしましょう。
当然ながら誰かが自分を殺す事もOKな訳です。
自分が殺されるのがOKじゃ困るから、
自分も人殺しをしないと言う足枷を自ら背負い込み、
それを他者にも共通合意として認識してもらう。
「俺は貴方を殺さないから、貴方も俺を殺しちゃダメ!!」

これが道徳の基本でしょう。
浮気にしろ、強姦にしろ、窃盗にしろ全て同じです。
自分がされると嫌だから、皆でしないように
約束しましょうって事ですね。


こういった「自分がされたら嫌な事を他人にしない」
という約束が崩壊した社会はどうなるでしょうか?
それはマッドマックスのモヒカンDQNが街中をうろうろして
好き勝手に強姦をしたり、殺人をしたりするような社会です。
道徳が壊れても法律と警察(強制力)で対応できると慢心するのは早計です。
道徳が完全に廃れてスラム化した場所(ニューヨークやヨハネスブルグ)
などでは、もはや誰も犯罪に対する罪悪感が無く、
法で処罰される事を知った上でも己の欲望を抑えられない人間が
多数発生して犯罪を犯しまくる状況に既に強制力が
対処しきれないという異常事態に陥っています。
完全に道徳が崩壊した社会では、法律すら無意味です。
当然ですね、法律を生み出す根本とは道徳思想
(自分がされて嫌な事を他人にしない思想)なのですから。

この「自分がされて嫌な事を他人にしない」という思想を掘り下げると
「利己的な欲望で他人を傷つける事を出来るだけ自制する」
これにぶち当たるでしょう。
勿論、人間が生活する上で全く他人を傷つけないのは不可能です。
だから、例えば受験やスポーツのように自らの意思で
戦場に出ている者同士が正々堂々実力で蹴落としあう事は
許容範囲とされています(私もそういう状況では平気で蹴落とします)

また、「利己的な欲望で他人を平気で傷つける」危険因子に対して
糾弾を行うことも「正当な闘争」と言えるでしょう。

つまり私にとっての道徳とは

「利己的な欲望で他人を傷つける事を出来るだけ自制する」
この理論を守れる人間(モラリスト)には天使であり、
この理論を守れない人間(エゴイスト)には鬼(冷血漢)になる。
そしてエゴイストに対して鬼になる事はモラル(道徳)には抵触しない。
さらに言えば本人がモラリストでも(理由如何ではあるが)
エゴイストを擁護するようならばやはり冷たく対応せざるを得ない。

※注意※
鬼になる=暴力などを安易に振るうという事ではありません。
「目の前で女性がレイプされそうだ」などの例外を除き、
出来る限り合法的な対応で糾弾したほうが良いとは思います。


私にとっての道徳とはこういうものです。
それが是か非かは人によって判断の分かれるところでしょうけどね。


先日行われた正男Masao氏主催のオフ会についてですが、
予想通りといいますか、モテ側(Masao氏天馬氏)
非モテ側(hazama氏umeten氏)トラブルが起こったようです。


[Masao氏の意見]
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/11/post_f02e.html#more
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/11/post_51e5.html#more
[hazama氏の意見]
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20051110
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20051111


天馬氏とのトラブルについては天馬氏が謝罪した事によって
一応の決着を見たのでこれ以上追求する必要も無さそうです。
謝罪文がumeten氏とhazama氏に対して
同一文のコピペだったいう点はいただけませんが・・・
一方、Masao氏の方は逆ギレという最低のパターンに
なりつつあるのでネタとして紹介しておきます。
話を要約すると・・・

Masao:「OFFに超非モテな奴が居たけど、ちゃんと配慮してる俺って偉いでしょw」
hazama:「そういう事を口に出して言うのは一番デリカシーがないと思う。
      そういった欺瞞的な姿勢をとるなら非モテ云々を軽々しく語るな!!」
Masao:「何しようが俺の勝手でしょ、倫理も論理も関係ない、好きにするよw」
hazama:「ああそう、その論調でいうなら非モテの荒らしたちが勝手にアンタの
      blogを攻撃するのも好きにした結果だろ?それも認めるんだな?」
Masao:「俺が他人に好き勝手して傷つけるのはいいけど、相手が俺にするのはダメw」


こういう流れな訳です・・・
リンク先のblog内容を読み比べて頂くと良く判りますが、
hazama氏の方が論理的にも倫理的にもいわゆる「正論」を述べていて、
対してMasao氏はかなり独善的かつ強烈な主観論で対応しています。
まあモテ側の欺瞞野郎が非モテの論客にボコボコにされたという事で
とても喜ばしい結果に終わったのですが、
この論理的かつ倫理的な思考、思想をもった人物が
女性からは嫌悪されていて、主観的かつジャイアニズム
(お前の者は俺のもの俺のものは俺のもの)的な
思考をもった人間が女性からの愛を飽食しているというのを
考えると非常に悲しいものを感じざるを得ません。

このOFF会には女性の参加者もいたようですが、
一連の騒動で彼女達がどういった対応を取るのかが見所と思います。
具体的に言えばhazama氏の応援をするようなら見直すが、
これでもなおMasao氏の擁護に回るようならゴミ以下ですね。
恐らくは日和見主義の臆病者である女性は
無関係という立場で凌いで、嵐が収まった頃にまた
Masao氏との馴れ合いを始めるつもりでしょうけど。
ホント、そういう事をする雌ブタにはあの言葉を送りたいと思います。

死ねばいいのにねw



※追記※
余談ですが、某参加者の報告によると
Masao氏は「松井(稼頭央)に似ていますね」という風に言われて
松井秀喜の方と勘違いして非常に腹を立てていたそうです。
私はこの話が事実だとしたら彼の人格を如実に表す、
最低のエピソードであると思います。
松井秀喜は容姿こそイケメンとは言い難いですが、
能力も人格も共に優れた日本を代表する紳士の1人です。
それに似ていると言われて不機嫌になったり、
あまつさえ露骨に腹を立てるというのは彼が極端な
「容姿至上主義」を内面に持っているという事の証明です。
さらに言えば、他人の言に対して受け流しが全く出来ない、
度量の狭さをも表しているでしょう。


「萌える男考察その1~自我の保障」の内容を受けて
「共通幻想」という点について深く考えてみましょう。

同じ目的、理想を持った人間が一緒に居ると幸せ
違う目的、違う理想を持った人間が一緒に居ると不幸


これらの思想は我々でいえば「モテナイ男(喪男)」
「オタク」というカテゴリを作って仲間意識を持ったり
する事と同じと言えるでしょう。
さらに拡大して考えれば、同一民族による
「国家」という集団も同じ様なものです。
似たもの同志で一緒に居ると安心で幸せなのです。
だから人は人種、思想、宗教、境遇、趣味といった
共通項でカテゴリを作り、その中に帰属して
精神の拠り所となる「同じ理想を持つ他者」と近しくなり
「違う理想を持つ他者」と距離を置こうとするわけです。
この論理で言えば実際はモテナイ男のように
「性別」というカテゴリ分けで関係を分断する事は
あまり意味が無い行為となってしまいます。
なぜなら「理想や目的が同じ」であれば、
男だろうが女だろうが同志と言えるからです。

ではなぜモテナイ男が「女は醜い」というような
女性を目の仇にするような発言を取りがちかというと
女性という種族はモテナイ男(ジェダイ派)と
理想や目的が相容れない存在である

と判断しているからでしょう。
さらに具体的に言えば、女性の中にはモテナイ男が
規定するような厳格な純愛主義者は存在しない、
居たとしてもとても男とつりあう程の人数が
存在しないという状況だからです。

これはオタク趣味についても言えるでしょう。
アニメが好きな女性が少ない云々という単純な問題ではなく、
「社会的に無価値でも、何かに熱烈に打ち込む楽しさ」
理解、許容すると言う意味でのオタク(に理解ある)女性
が少ないと言うことです。
厳密には「少ない」と言うのは間違いかも知れません。
「私は純愛主義者ですし、オタクに理解がありますよ」
声を上げて自己の理想を他者に伝えようとする女性が
少ないので我々から見ると「実際に少ない」と判断せざるを得ない。
そういった方が正しいのかも知れません。

つまり、モテナイ男と女性の確執の本質とは
モラリスト(純愛主義者)とDQN(エゴイスト)の
住み分けが出来ていない事かもしれません。


例えばモラリストしか居ないモラリスト村があったとします。
そこには男も女も全てがモラリストです。
もしも別の村であるモラリストがDQNに虐められて人間不信なり、
異性不信になったとしてもモラリストしかいないモラリスト村に
逃げ込めばそこで友達も或いは恋人も安心して作れるでしょう。
なぜなら「モラリスト(同じ理想を持つ同志)」しか居ないのですから。
同志しか存在しないコミュニティなら他人を疑う必要はありません。


我々がなぜ他人を疑って心を閉ざしがちかと言えば、
相手が「敵(エゴイスト)」なのか「味方(モラリスト)」なのか
或いは「傍観者(一般人)」なのかそれが見分けが付かない。
敵も味方も傍観者も全てが一緒くたに同じ空間に
存在して常に臨戦態勢を強いられ気が抜けない。

こういう緊張状態に陥るからでしょう。
社会では仕事や学校などでこのような緊張を
強いられる場面が多々あります。
だからこそ、家族や友人と言う安心できる集団を別個に作り、
戦場と安息の地を切り分けして戦いの疲れを癒そうとするのです。

周囲の人間が敵なのか味方なのか見分けが付かないなら、
自分を確実に守る為には「全てが敵の可能性がある」
そういう戦場のような緊張状態で居る必要があります。
常に相手が敵である可能性を想定して行動を選択するわけです。
油断している状態で「敵」に付け込まれると、
財産や肉体や精神を略取される可能性が上がるからです。
具体的に言えば、やり捨てられる貢がされる
癒し役のペットとして心をオモチャにされるといったところです。

ですから我々モテナイ男は「味方しか集まらないコミュニティ」
を作る事に躍起になってきました。
2chのモテナイ男板しろはた夏の葬列、この喪男道もそうです。
実際にモラリスト+モテナイなんていう稀少な属性を持った人間で
コミュニティを作ろうと思ったら現実社会では非常に困難です。
会社や学校で「貴方はモテナイですか?モラリストですか?」などと
聞いてまわるわけにはいきませんからね。
そういう意味でネット上とはそういったマイノリティの
コミュニティを形成するのに非常に便利なわけです。


「性モラルに対する女性のスタンス」の記事で書いたことですが、このように
モテナイ男の思想(同性異性に関係なくDQNと敵対する)に
共感する女性が居ない事に我々が怒るその裏には、
「折角、モラリストのコミュニティを作ったのになんで女は参加しないんだよ!!」
「結局、女には俺たちと同じ理想、同じ目的をもった奴なんて居ないじゃないか!!」
「もしも、同じ理想、同じ目的に共感するなら同志になれたかもしれないのに!!」

こういう落胆が隠されているのでしょうね。

敵も味方も分らないで殺気だっている相手と仲良くする為には
単に口だけで「味方だよ」というだけでは無意味です。
当然それだけでは相手は信用しないので、
態度や行動をもって「味方である」という証明する必要があります。
例えば、「武器を捨てる」、「仲良くしたい相手の敵対者に攻撃する」
などの手段を持って証明する必要があるのです。
そしてその証明の手段は自身へのリスクが高ければ高いほど効果的、
つまり「どれだけ身銭を切れるか」が証明には重要な訳です。

武器を捨てる=悪口を言わない、侮蔑しない
仲良くしたい相手の敵対者を協力して攻撃する=DQNを攻撃する

つまりはこういう事ですね。
特に後者は下手をすると女性仲間から村八分にされるという
リスクを背負っているので「味方である証明」にはうってつけです。
そしてモテナイ男は直接的にしろ間接的にしろ、女性に対して
俺たちの味方というなら武器を捨てろ、
俺たちの味方ならDQNを攻撃しろ

こういう風に味方である証明を求めたわけですが、
残念ながらこの証明に応じてくれた女性は皆無に等しい状況でした。
この「証明の拒否」こそが「女性が味方ではない事の証明」
そういう風に我々の多くは捉えてしまっているのです。


また、仮に男女が分け隔てなく仲良くできる理想的な
モラリストのコミュニティなどを立ててとしてもその維持には
かなりの問題があります(というかぶっちゃけ不可能に近い)
その理由については次の考察で示していこうと思います。



※追記※
この考察を読んだ同志の中には
「とうとう覚悟もひよったか!」と思う方も居るかも知れません。
ですが私は既に「女性」というだけで、理由なき嫌悪と怒りが
心の奥底からこみ上げてくる領域に達してしまっているので、
今後とも女性に譲歩した態度を取る事は一切無いと確約します。
あくまで「まだ完全な異性不信に至っていない若い喪予備軍」に対して
「こういう考えもあるよ」という意見を述べていると捉えて下さい。


本書では「大抵の人間は自我の喪失を最も恐れる」としています。
自我の喪失、つまり「死(自己否定による自殺を含める)」
「完全なる孤独」「自尊心の徹底した剥奪」と言う事ですね。
死は当然として、友も恋人も家族もペットもいない完全なる孤独や
人間(個人)としての尊厳を一切認められないかのような
差別や侮蔑は非常に恐ろしいものです
こういった状況を回避し精神を安定させて生き延びる為に
人間は精神的拠り所を求めるのが普通です。
(それを求めないのがニーチェが言うところの「超人」で
どんな恐怖や孤独にも精神が動揺しない人間離れした存在)
その拠り所とは、

1.恋人、友人、家族、ペットなどの存在
2.宗教や信仰への傾倒
3.萌え(アイドルやアニメキャラ等やバイクや車などの物体への思慕)


大まかに分けてこういった種類があり、
普通の人間が生きて行く以上はこの内のどれかによって
拠り所としなければ正常な精神を保つ事は難しいでしょう。

ここで、モテナイ男を最も悩ませている恋愛について
クローズアップして以上の事を考えると
「純愛主義者(モラリスト)」とは純愛によってしか
精神の拠り所と出来ない人間
と言えます。
逆に「ヤリチン、ヤリマン」と言われる人間は
恋愛に精神的拠り所という利点を求めていないか、
或いは肉欲を満たすことが精神的拠り所となる人間
になります。

つまりヤリチンヤリマンと純愛主義者は目的も理想も
全く相容れない存在であり、仲違いを起こすのは必然でしょう。
我々(喪男ジェダイ派)はいわゆる純愛主義者
(ここで言う純愛とは電波男での真実の愛)に分類されます。
純愛=真実の愛の定義については
「電波男考察~その1」
「真実の愛を紡げる人間とは?~その1」
「真実の愛を紡げる人間とは?~その2」
「恋が真実の愛へと変わるまで」を参照


しかしながら、これらを現実の世界で完遂する事は困難であり、
100%の完璧な純愛を貫く事はほとんど不可能に近いでしょう。
ですが0か100かという極論ではなく、80や90といった理想に
かなり近い純愛を体現している人はチラホラといます。
例えば、中睦まじくよりそう老夫婦や、顔に大火傷を負って
二目と見られない容姿と障害を抱えたレーサーの夫を
支え続けている妻の話、ゴルバチョフ夫妻の逸話などが
それらに当たると言えます。

萌える男においてはこういった理想的純愛関係を築くには
「共通幻想」が必要であるとしています。
難しい話ではなく、お互いが純愛主義者であれば
自然とその恋愛は純愛となるというだけです。

ですが、これは非常に重要な事で、
純愛とは片方がどれだけ聖人君子であったとしても、
片方がヤリチン、ヤリマンなら成立しません
もちろん、お互いがヤリチン、ヤリマンでも成立しません。
お互いが純愛という同じ(似通った)理想を持ち、
同じ(近い)目的地を目指しているからこそ成立するのです。


逆に言えば、純愛を目指す人にしろ、肉欲を至上とする人にしろ、
違う理想を持ち、違う目的地を目指す人間が腹を見せ合って
仲良くすることは非常に困難でしょう。
精々がお互いが距離をおいて「所詮他人だし」と冷めた目で
相手を見て割り切った非常にクールな関係をとる以外には
争いを回避する術はありません。
でもこれって仲が良い、愛し合っているとは言えませんよね?
このように異なる目的や理想を持った人間が無理に
一緒に居る事は非常に不幸な事なのです。
そして同じ目的、理想をもった人間が一緒になる事は
とても幸せであると言えます。


ここまでの話を前提として、次の考察では
共通幻想現在のモテナイ男と女性の確執について
色々と掘り下げていこうかなと思います。


11/9に本田透氏の著書「萌える男」がちくま書房より発刊されました。
私も早速読んでみましたが、内容的には電波男の内容からギャグなどの
余分な部分を抜いて、一般向けに分り易く書いたものです。

ですから、電波男を正しく読み解くことが出来た人間にとっては
さほど目新しい発見と言うのは無いと言えるかも知れません。
ですが、再発見というか読み直して新たに発見した部分があるので
それについて色々と考察しようと思います。


私は最近「ソルティレイ」というアニメにハマっています。
特別に高尚であったり、含蓄あるテーマという訳でもなく、
どちらかと言えば「萌えアニメ」に属する作品です。

私は以前に「脳内妻、脳内恋人への誠意」の記事でも書いたように
主人公が女性から都合よく好意を持たれる展開などには
基本的に感情移入したり、共感することはありません。
「女性からは侮蔑以外は受けられない」
「現実の女性は物欲、性欲至上主義である」

こういう価値観がもはや自分でもどうしようも無いほど強烈に
身体に染み付いている為、純粋な女性の存在や
(自分が)女性から好意を受けると言う状況そのものが
アニメの中ですら非現実的にしか感じられないからです。

しかし、このソルティレイは萌えアニメでありながら
既存の作品とはやや毛色が違っています。
まず、主人公のロイ40歳過ぎた無愛想なオヤジ
ヒロインのソルティに至っては人間ですらありません
(100%機械で出来たアンドロイド)
ソルティが機械故に人間の純粋で善意的な部分を
抽出したような性格をしているのが魅力でありますが、
これが生身の女性では素直に好感は抱けません。
「生身の女性は自分勝手でエグい」という身体で味わった
経験が脳裏を過って一気に冷めてしまうからです。
生身の女性にはおよそ期待できない浮世離れした人格が
人の手によって作られた存在ならばあり得るように思うのです。
また、それ以外にも共感しやすい点があります。

ロイは端正な顔立ちではありますが、流石に歳なので
いわゆるイケメンとは言い難いキャラです(性的魅力が乏しい)
対するソルティはアンドロイドな上に外見は
ロイと親子ほども歳の離れた少女です。
こういった関係なので当然ながら「男と女」としての関係は
生まれず、「親と子」という形の絆で2人は繋がっていきます。
この性的関係を排除した「親子関係」という形がミソで、
「モテナイ男でも父親としてなら女性に好かれるかも?」
そんなある種の期待感を抱かせてくれるのです。
我々モテナイ男に多い傾向としてブサイク、世渡り下手、
真面目(馬鹿正直)、人道主義等がありますが、
こういうタイプは雄(交尾相手、恋人)としては全く無価値な反面、
父親(庇護者)としては比較的向いてるタイプと言えるでしょう。
ですから、父親として愛されるというならば
多少なりともリアリティを感じられるのです。


ですが、これは裏を返せば
「自分は男(雄)として女性から好意を受けられない」
という深い絶望でもあります。
異性からの愛を欲するなら最終的には
「心も身体も手に入れたい」
と思うことは極自然なことでしょう。
その極自然な感情を我々は女性からの
侮蔑によって剥ぎ取られてしまった。

その事がアニメの見方にまで影を落としている訳です。

ルパン三世では銭形警部というモテナイ男の
気質をもったキャラがいますが、ある事件がキッカケで
歳の離れた女の子と仲良くなるエピソードがあります。
しかし、相手はあくまで「父親のような存在」として銭形を
慕っているだけで、男として銭形を求めていた訳ではなかった
それを悟った銭形は彼女に気持ちを伝える事無く淡い恋心を捨てます。
そして1人、明かりの無い自室で彼女が別れ際に作っていって
くれた味噌汁を啜っていました
目に涙を浮かべ・・・

身体だけ手に入れるなどは論外
かといって心だけ手に入ってもやはり寂しい。
それでも我々は心だけ手に入れることすら厳しく、
ましてや心と身体を両方手に入れることは
現実味すら感じられない。


図らずも、ソルティレイというアニメを通して
自分の心の闇を再確認する事になった訳ですが、
まあそれは置いておくとして、ソルティたん
ツンデレオヤジのロイもどっちも「いい奴」なんで
何らかの形で幸せになって欲しいものです。
イイ人は幸せになって欲しいと純粋に思うのです。
せめてアニメの中だけは・・・ね


面白い資料を発見したので紹介します。


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国立社会保障・人口問題研究所
晩婚化・非婚化の要因
http://www.esri.go.jp/jp/forum1/050620/kicho-iwasawa1.pdf

・結婚に利点があると思う人は利点はないと思う人よりも多く
 7割程度、しかし男性で利点無し派が急増。

・利点として薄れているのは「社会的信頼の獲得(男女)」、
 「親の期待に答える(男女)」、「生活の便利さ(男性)」

・利点として強まっているのは「子供や家族が持てる(男女)」、
 「経済的余裕(女性)」
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上記の抜粋および、資料内にある統計を見ると分りますが、
男性の結婚否定派は急速に増加しています。
5年ごとに3%~5%ずつコンスタントに右肩上がりで上昇し、
対して女性が1%未満しか上昇していないのが笑えますw

女性は依然として結婚に期待している人が多いのに対して、
男性は結婚したがらない人が急速に増えているわけです。

つまり「男性にとっては結婚するメリットが無い」
「女性にとっては結婚するメリットは今だ大きい」のでしょう。
現代の日本はそういう社会になっていると思われます。
具体的に上げれば離婚、セクハラを筆頭とした裁判時での
女性への過度の優遇、女性専用車両などの女性優遇の気風、
女性側の家事や育児の放棄志向、性モラルの低下

こういった理由から、男性側の結婚へのリスクが
以前より高くなっているのは事実でしょう。

ここで結婚したがらない=モテナイ男とイメージするのは早計です。
これは私の個人的推察ですが、恐らくこの中にはいわゆる
イケメンヤリチンと言われる男性も数多く居ると推察します。
なぜなら、結婚においては男性が不利でも恋愛においては
子宮をうずかせる要素(主に容姿)さえ持っているならば
男性の方が色々と利点が多いからです。

1.男性は妊娠する心配はない。
2.結婚さえしなければ「恋愛の自由」のもと、
  浮気しようが相手から搾取しようが不問。
(2については必ずしも男性特有のメリットではありませんが)


まぁ、男だって時代と併せて色々と変化するのでしょう。
我々のように恋愛を捨て孤高に生きる道を選ぶモラリストもいれば、
「だったら結婚しないで女を利用し尽くしてやるぜ!!」
考える男性が増加してもなんら不思議はありません。
私の勝手な妄想なのですが、今後の日本では
「普通に結婚して家庭を築く」一般層は減少し、
ヤリチンか恋愛放棄の両極端な生き方を
選ぶ男性が増加するんじゃないかと考えます。


どちらを選ぶにしても根源として共通しているのは
「女性と運命共有をしても利益はない」という女性への絶望です。
女性に絶望した時にその人が(程度の差はあれ)
モラリストであれば恋愛放棄へ
エゴイストであったならばヤリチンへ
こういう風に分岐して行くのでしょう。

このように、女性をオモチャとしか見ないような男
女性を汚物として徹底忌避する男が両極化して増えた
ならば夫として男として女性や子供をまともに
庇護する男性は希少種となります。

つまり事実上の「夫不足」となる社会が来るんじゃないかと・・・
彼氏(セックスフレンド)として価値のある男性は
さして減らないでしょうが、庇護者(夫)として価値ある男性は
おそらく減少して行くのではないかと思います。

そうすると出生率が極端に低下するか或いは、
女性は衣食住から子育てまで全てを己の力で
こなさねばならない社会が到来するのかも知れません。
国が税金でそういった足手まといを養うにしても、
海外から男性を金で買ってきて「外人夫」
するにしても問題は山積です。
日本が多民族国家になり治安の悪化、
日本人種の混血化、財政負担の増大、老人問題etcetc・・・


私は今20代中盤なので天寿を全うするならば
あと50年は生きることになります。
恐らくは私も今後起こるそれらの負担を背負う
立場から逃れることは不可能であると思います。

ですが、日本という国がどこまで腐りきるのか
見届けたい好奇心もあるのは事実です。
我々は国の借金にしろ高齢化社会にしろ、
性モラルの問題にしろ最も辛酸と苦役を味わうであろう
「地獄の世代」なのかも知れません。
ですが、それゆえにこの日出国の変遷と没落を
見届ける生き証人ともなりえるのでしょう。
複雑な気持ちですね・・・



※余談※
西郷隆盛の恩師である迫田太次右衛門利済
このような歌を残しています。

虫よ虫よ 五節の草の 根を断つな
断てば己も共に枯れなん


これは虫=武士五節の草=農民と例えた歌で
武士たちよ、欲望に任せ農民達から無理な搾取をしてはいけない。
彼らこそが我々の生活の基盤を支えているのだ。
彼らを貪り、その根を絶ってしまえば己もまた自滅するだろう。
こういう自戒の意味を込めた立派な歌です。
この虫を女性五節の草を男性と置き換えても通じますね。

虫よ虫よ 五節の草の 根を絶つな
断てば己も共に枯れなん


これも気になる内容です。


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浮気は繰り返される
http://kodansha.cplaza.ne.jp/mgendai/2007/2007_10.html

だが、「1人だけ」の相手と「一度きり」の関係で
終わったという女性は、カジュアルセックス経験のある
女性の、14.3パーセントにすぎない。
経験者の8割以上は、2度、3度とカジュアルセックスを繰り返してゆく。
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考察という程のものでもありませんが、記事を見ての通り
一度でも「浮気」をやった人間はその殆どが「再犯」を犯すようです。
そりゃそうです、
二度とやらないと誓い守れるほど
反省するような人間は最初からやりません。
悔い改めるような性根が無いから罪を犯すのです。

これは自作の格言なんですが、

過ちを1度でも犯す者は大抵2度目の過ちも犯す。
そして2度以上過ちを犯す者は一生過ちを犯し続ける。


もしも「私はモラリストだが、妻や恋人が欲しい」
思っている人がいらっしゃったとしたらこの事を努々忘れずに。
過去現在問わず一度でも浮気をした人間は
その場で即切り捨てた方が賢明という事です。

切り捨てるのが嫌なら何度も浮気されてもヘラヘラと
していられる腐った価値観を身に着ける必要があるでしょう。
要するに相手の奴隷になれと言う事ですね。


もうねなんといいますか・・・私は声に出して叫びたい。

ロベスピエール




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