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今回はちょっとドーデモ良い話ですが・・・

オタクな方々は既にご存知でしょうが、私のハンドルネームとイメージ画像は
「覚悟のススメ」という漫画の主人公、葉隠覚悟から拝借しています。
彼は典型的な武士道主義者で、弱い者に優しくて義を尊ぶ反面、
不義の者とは戦う事を恐れません(己が死ぬ事も敵を殺す事も厭わない)
その姿勢はモテナイ男としては強く憧れるものを感じさせます。
彼が戦闘時に身につける鎧「強化外骨格」はモテナイ男が身に付ける
「護身の心」にも何となく思えてしまったり・・・

またイメージ画像についてある「雑草などという草はない」という言ですが、
これは植物学者でもあった昭和天皇陛下が仰ったお言葉です。
(それを覚悟のススメの作者が作中で拝借した模様)
私はこの雑草をモテナイ男(キモメン)になぞらえて考え、

キモメンなどという人種はない!!
キモメンもイケメンも何メンも全て等しく人間だ!!
他人を慮る優しさがあるならば!!

(逆にそれを知らぬなら、イケメンだろうが人とは認めない)

こういう思想を表現するのにピッタリだと思って選びました。

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※以下は偏見も混じる考察ですがご容赦下さい※

本田氏のサイト「しろはた」を読んである事を思い出しました。
一般人(特に女性)のモテナイ男に対するフォローは我々から見ると
実に不愉快に感じる事が多いのです。
所詮これらも個人レベルの体験といえばその通りですが・・・


本田氏のコメント、
僕も「オリはキモメンだよーう」と嘆いていると
女から「あなたはキモメンじゃないから安心してください」
なんてメールが来たりして激怒したものです。



まさにこの通りで女性は必ず「貴方はキモメンじゃないわ」
というフォローをするのです。
「キモメンでもいいじゃない、貴方は人間よ」
「横暴な人間(DQN)よりはキモメンのほうが人間らしいわ」
などとは言わないのです。
「貴方はキモメンじゃないわ」と言われて真っ先に思うのは、
「俺がもし,もっと容姿が醜くキモかったらこいつはどう思った?」という事です。
相手が自分に好意的なのか、表面上に体裁をとっているのかは兎も角として、
根本的にキモメンに対する差別を持ってる事を否定しないのです。
「キモメンは大嫌いだけど、あなたは許容範囲だから許してもいいわ」
こういう事なのでしょう。
これは自分以外のキモメン(友人、同志)を侮蔑されたにも等しい言葉です。
自分と苦楽を共にした仲間を蔑まれて結果的に自分の立場をヨイショされても

怒りこそ感じても喜びなど感じる訳がありません。

「キモメンだって優しければいいじゃない、自分を認めていいのよ」
とは言わないのです。

まあ、キモメン差別が在る事自体はいかんともし難いですし、
今更是正も期待していません。
ですが、疑問なのはなぜ女性は他人を褒める時に
「周りを蔑んで褒めたい対象を持ち上げる」
という不遜な手法を何の疑問も持たずに平気でするのでしょうか?

褒め言葉でも、無碍に他者を貶める言動に
怒りを感じる気持ちが理解出来ないのでしょうか?

(但し悪党(DQN)のような蔑まれて然るべき人間の場合は例外ですが)

極めて邪推的な意見ですが、
女性は「私がされて嬉しい事は他人も嬉しいと思うはずだ」
と思ってるのではないでしょうか?
つまりは「自分以外の存在を卑下して自分がヨイショされる事」
誰しもが喜ぶ事と勝手に勘違いをしているのではないでしょうか?
それは自分がそういう人間だと言う事の裏返しなのでしょう。
そんな行為に快楽を感じられる女性が多数派なのでは・・・と思えるのです。


私なりに色々と護身方法を考察してきましたが、
これ以外にも有効な護身方法をご存知の方はぜひ教えて頂ければと思います。

生き残ったものの勝ちです、騙されれば死です。
多くの投稿をお待ちしております。


女性に強烈なトラウマを持ってるわけではないが、モテナイになった男。
そして崖っぷちギリギリで寄生目的で熱烈なアピールをしてくる負け犬。
そんなプレッシャーに「本当はイイ人なんじゃないかな」と洗脳されかけてる状態。

そんな状況から目を覚ます方法を考えてみましょう。

「コイツは真実の愛なんて紡げない女だな」と看破できれば酔いが醒めるわけです。
そのためには「相手に本音(心の汚い部分)をゲロらせる」のが手っ取り早いです。
思わず本音の醜い部分を吐き出させる為に以下のモノを利用するとよさげです。

1.酒
2.2ショットチャット(メッセンジャー)
3.同調現象


1ですが人間は酒が入って酔いが回ると気が大きくなり、本音を漏らし易くなります。
2については経験者も多いでしょうが、メールや掲示板と違って
リアルタイムかつ顔の見えない関係で会話を続けると本音や失言が出易いです。
顔をあわせていない故にプレッシャーから解放される事と
熟考する時間が無い状況の会話故に感情に走りがちになります。
3については人間は相手に取り入ろう、好かれようと思うと
相手と同じ行動、同じ意識を持とうとします。
これを逆手にとって自分が大嫌いな思想(非道徳的な思想)を
あえて肯定的に述べて、それに対して相手が「同調」するのか
堂々と「否定」するのかをカマ掛けるのです。
それに対し同調をするようであれば「卑俗な人間」と言えますし、
嫌われる事を恐れずに「否定」を述べるのであれば、尊敬できる人物かも知れません。
ですから、此方に好意を持って接してくる女性にメッセンジャーなどを持ちかけ、
「モニター越しだけど乾杯しよう♪」などと酒を勧めて、酒が回ったであろう頃合に
「好きになってしまったら、どんな状況であろうとどうしようもないよね♪」とか
モテナイ男が大嫌いな思想を肯定的に述べてカマかけてみるのです。
ここで注意点として女性を糾弾するような論旨は一切口出ししないで下さい。
これを口走ると猛然と反論する事があります(それはそれで醜さの証明になりますが)
男には厳しく、女の怠惰は容認するような方向性で誘導して下さい。


この判断方法は私の友人のモテナイ男に教えてもらいました。
彼は容姿その他、なんら一般人と比べて問題の無い男ですが、
私と似たような純愛主義者故に女性に絶望してモテナイ男となりました。
彼はまだ恋愛に絶望してなかったときに積極的に「真実の愛」を紡げる存在を
探していたらしいですが、その時の判定法として上記の手段を多用していたようです。

彼曰く「100人以上にカマ掛けたけど全滅」との事でした。

勿論、このカマ掛けをクリアしたからといって必ずしも出来た女とは限りませんし、
こちらのカマ掛けを見抜いてしまったならば更に裏を掛かれる事もあります。
それにこのカマ掛けに引っかかる人間は「極悪なズベタ」という訳でもありません。
気が弱くて流され易い人、普通の人も引っかかるでしょう。
ですが、そんなそこら辺にゴロゴロしている俗物がモテナイ男に
(下心無しに)純粋に好意を抱くことなどありえません。
モテナイ男なんかを真に愛せる女など、
浮世離れしているほど出来た女です。
そうじゃないなら「生きた財布」として見られてると思って良いでしょう。

なお、かなり下品な内容になるのですが・・・
オナニーをヘトヘトになるまで連発して、それを毎日繰り返すと
女性のアプローチとかに対して何も感じなくなって護身度が高まるそうです。
上記の方法とあわせて活用すると良いでしょう。


護身護身と言いますが要は簡単な事です。
女の内面を勝手に想像するな、近づく女全てが売女だ!!
この思想を自身に定着させてください。

「この女性はひょっとしたら真実の愛が紡げるのではないだろうか?」
こういった余計な惑いを捨て、「女=詐欺師」という構図で
機械的に女性に対して嫌悪と拒絶を感じて然るべき行動を取るように
自身に「思い込み」を擦り付けるのです。
実際には数千、数万に1人という割合では真実の愛を紡げる女性も
居るかも知れません(根拠はなく、適当な数字ですのであしからず)
ですが、そういった余計な希望を持っているから騙される訳で、
希望を圧倒的な恐怖で塗りつぶせば良いのです。
そのためには本blogの内容を熟読するなり、
女の醜さの証明テンプレの内容を熟読するのも良いでしょう。
個人体験ではなく、統計上で女性の醜さを突きつけられると
より強烈な恐怖心が湧き上がります。
もっとも、自身がで女性に手酷い暴虐を受けたモテナイ男なら
既に護身完成済みでしょうが・・・


理想論はこのようになりますが、実際は大して女性に侮蔑を受けたわけではない、
単純にブサイク故に無視されてきたというモテナイ男も多いことでしょう。
こういう男は女性を憎み切れないので「隙は多い」と言えます。
正常な、人道的な人間は好意を受けたら好意で返したくなります。
たとえ苦手な相手にでも好意を受けたら、それを敵意や無視で返すのは
実はかなり苦痛な事なのです。
(ですから例え相手がキモメンでも、好意を受けながら「ウザイ、キモイ」
などの侮蔑でサラッと返せる人間はある意味で凄まじい人格と言えるでしょう)


好意をロクに受けたことがない
モテナイ男はこの苦痛を知りません。
この苦痛(好意を拒否せねばならない)に対して
経験不足故に耐性が低いのです。


ですから、相手が下心がある事を薄々感じても、あまりに熱烈な好意を受けると
なし崩し的に篭絡される危険性はあると認識するべきでしょう。
そういった時に冷静に相手を見直すための術も考える必要があります。
それは次の考察で述べていこうと思います。


Linehardtさんより、応援のコメントを戴きました。
電波男でも取り上げられたニーチェの一節のパロディのようです。



ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語りき』より
覚悟氏の不屈の精神に捧ぐ


私はあなたがたに喪男の三段の変化を語ろう。いかに喪男が駱駝となり、獅子となり、最後に子供となるかを。

畏敬の念を備えた、強くて、忍耐強い喪男の精神にとっては、世の女とDQNからの多くの嘲笑が存在する。その嘲笑の強さが、恋愛を、もっとも重い恋愛を求めるのだ。

何が最も重い恋愛か、喪男たちよ?と忍耐強い精神は問う。私はそれをみずからに引き受け、自分の強さを喜びたいのだ、と。

最も重い恋愛とは、孤独の樫の実をかじり、克己の草の根を口にして、真の愛のためには魂の飢えにも耐えることであろうか。

しかし、この上もなく孤独な砂漠の中で、第二の変化が起こる。喪男の精神はここで獅子となる。彼はモラルをわがものとし、自分の砂漠の支配者になろうとする。自分を支配する最期の者を、彼はここで、自分のために捜し出す。精神は喪男の最後の支配者、恋愛を相手取り、この巨大な龍と勝利をかけて闘おうとする。

精神がもはや愛とも恋とも呼ぼうとしないこの巨大な龍とは何か。その名は「汝なすべし」。それに対して、獅子の精神は「われ欲す」と言う。

龍は言う。「すべての恋愛はすでに創造されてしまっており、その全ての価値―それは私だ。じつのところ、もはや、『われ欲す』など存在してはならないのだ!」

新しい恋愛を創造する―それは獅子にもまだ出来ることではない。だが、新しい恋愛のために今までの恋愛を放棄すること―これは獅子の力でも出来ることだ。自由を創造し、恋愛に対してさえも聖なる否を言うこと、わが喪男たちよ、そのためにこそ獅子が必要なのだ。

しかし言ってみよ、わが喪男たち。獅子にさえなしえぬことが、子供になしうるのか?どうして強奪する獅子が、さらに萌える子供にならねばならないのか?子供は無垢であり、忘却である。新しい始まりであり、遊びである。自らまわる車輪であり、聖なる肯定である。

そうなのだ、わが喪男たちよ。創造の遊びのためには、聖なる肯定が必要なのだ。精神はここで、自分自身の恋愛を意思するようになる。恋愛を喪失していた者が、自分の恋愛を獲得するのだ。


前回の考察で「そんな事を考える負け犬が本当にいるのか?」
という疑念を戴きました。
答えを先に言いますと「分らない」です。
私も負け犬の寄生行為が日常茶飯事に起きてる事とは思っていません。
ですが、そういった困窮した負け犬が年収400万円台の男と
結婚(寄生)する事により、メリットが発生する事は確かです。
金銭的メリットを排除してまで負け犬がプライドを選ぶという確たる証拠も無い以上は
最悪の事態を想定して護身考察を進めてもおかしくはないと考えます。
大事故にあう人間とは往々として「油断している人間」なのですから。

※以下は偏見も混じる邪推ですがご了承下さい※


結婚の概念に対する考え方は置いておいて、結婚する事により発生する
余剰資金について考えたいと思います。
第一に共同生活では住居費や光熱費が個人個人で暮らすよりも大分浮きます。
(スーパーなどでの大量買いにより食費も結構浮きます)
私は兄と二人暮しをしていた事がありますが、約3割ほど軽減されました。

1人で生活した場合に個々の最低限生活費が10万円x2の計20万円と仮定すると、
2人で共同生活した場合は14~5万程度で済みます(1人あたま7万円前後)
この点踏まえて、以下の試算をしてみましょう。
(税金や扶養控除、扶養手当は計算が複雑になるのでこの場合は除外します)

年収300万円の女性と年収450万円の男性が結婚したと想定します。
まず、女性の結婚前の最低限生活費を試算してみます。

住居費:5万円
電気代:4000円
水道代:4000円
ガス代:4000円
食費:600円x3x30=5万4000円


合計:11万6000円となります。
年収300万円を税を考慮せずに12ヶ月で割ると月収25万円ですので、
25万円-11万6000円=13万4000円
これが貯金や娯楽に回せる余剰資金となります。


これが男性と結婚して共働きとなった場合は、
11万6000円(独身時の生活費)x2人分x0.7(共同生活による軽減率)
となり、16万2400円となります。
これを750万(合計年収)÷12ヶ月=月収62万5000円なので、
一月の余剰資金は差し引き46万2600円です。

これを÷2(夫婦財産共有の権利により山分け)すると23万1300円となり、
1人暮らしのときの余剰資金のおよそ2倍近くとなります。
しかも、これは山分け(平等に分配)したらこうなると言うだけで、
例えば旦那の小遣いを「老後の為、マイホームの為」と言いくるめて安く落とし、
旦那の余剰資金をくすねて個人の口座に移す事も出来ます。
もちろん、結婚してそのまま正社員を続けるのは難しい事なので、
仮に妻がパートとなった場合は妻の年収は120万~150万程度に落ちます。
ですがそれでも、(450万+120万)÷12=47万5000円で
47万5000円-16万2400円=31万2600円が余剰資金となり、
これを平等分配しても15万6300円となって、
パートという正社員よりも楽な労働で
1人暮らし時の余剰資金を上回ります。


「家事がある」などと言いますが、現在は家電製品の発達で
家事が極めて楽になったこと、女性が家事を一手に引き受けるなどという
「男にとってラクチン」な慣習が事実上消失している事はご存知と思います。
ついでに言えば、寄生を目当てとする女性は「制御し易い気弱な男性」
狙うのですから家事を押し付けるのはなおさら簡単でしょう。

また「子育てで金が掛かるから余剰資金が減少する」と思う方もいるでしょう。
ですが、子を産み育てる事は単なる苦役なのでしょうか?
浮気してイケメンの子種を貰って、イケメンの子供を産み育てられるなら
それはそれは雌として本懐と言えるほどの喜びでしょう。
シングルマザーとなってまで優秀な精子で妊娠したがり、
精子バンクを活用する女性などは、まさに優秀な我子を残したいという
雌の本能を象徴する存在だと思います。
そしてそれは本能から考えれば不自然な感情ではありません。
ましてやその金がブサイク夫からチョロまかした金ならば・・・
貧しい負け犬が一人暮らしでは
子を産み育てる事自体が極めて困難

なのですから、優秀な精子の子供を真っ当に育てられる
余剰資金が手に入るだけでも相当なメリットと言えるのではと考えます。

勿論これらを全て計算ずくで女性がやるとも限りません。
ですが、その場その場の困窮を凌ごうと足掻き、
その場その場の快楽に身を任せて流れてみたら、
結果として上記のような寄生染みた行為を行うに至ってた・・・
という事も十分に考えられます。
そして男から見れば「全て計算してやった」ように見えるでしょう。


恋愛を完全に放棄しているモテナイ男を主軸とした本blogとしては
語るべき事では無いのかも知れません。
ですが、本田氏が9月頃に護身ノウハウ本を出すということで、
私も「モテの魔の手からの護身術」を考察してみようと思います。

※以下は偏見も混じる邪推ですがご了承下さい※

モテの魔の手とは、今までモテナイ男だった存在が何らかのキッカケで
女性から強烈なアプローチを受ける状態を指します。
主にそういう状況になるパターンは2通りあって、

1、地位や名声や富を得て、それに女性が群がってくる。
2、恋愛社会で無価値となった女性が寄生先を形振り構わず求めている。


これらの状況が考えられます。
1の状況に関しては一般人が直面する事は殆ど無いでしょう。
強いていえば宝くじで高額当選を当てるぐらいですか・・・
逆に現実的なのは2の状況でしょう。
我々のイメージでは負け犬と聞くと仕事のできるキャリアウーマンを想像します。
ですが、平成14年度の国税庁「民間給与実態統計調査」によりますと、
男性の平均年収は567万円、女性の平均年収は280万円となり、その差は2倍以上です。
年代別のグラフを見ると男性は60歳までは右肩上がりに増額するのに対し、
女性は34歳をピークとして以降は逆に減額傾向を見せます。
なお、上記の統計はパートやアルバイトではなく、正社員に限った統計なので、
「既婚女性の統計分により女性の年収が下がっている」という訳でもなさそうです。

つまり、負け犬は小金持ちというイメージは真っ赤なウソで、
一部の優秀な女性以外は大半が低所得に苦しんでいる状況なのです。

イケメンや金持ちを追っかけたものの、箸にも棒にも引っかからず。
歳だけは食って日々肌は衰え、化粧で隠せるのも時間の問題。
年収は300万も稼げず、伸びる見込みも無い。

こういった「貧しい負け犬」から見れば年収400万円台の男性にでも
藁をも縋る思いで寄生しようと思ってもおかしくはありません。
本当に切羽詰った女は形振り構わない凄まじい足掻きを見せます。

「俺みたいな超絶ブ男なら心配ないだろ」などと思うのは早計です。
女性にはブサイク夫に生活費を貰い、子種は浮気でイケメンに貰うという
カッコウの託卵のような禁じ手があります。
実際にドイツでは7万人の新生児のうち10%が種違いという調査結果が出ています。
(詳細は「現実社会との恋愛観の乖離~その2」を参照)
ですから夫は生きた財布としての価値さえあれば十分なのです。
イケメンには「私を玩具にして弄んでOK,中出しもOK」などと言えば、
落ち目になったオバハンでも肉便器として相手にして貰えるでしょう。
ブサイクな男を夫として迎えながらも、
「優秀な精子で妊娠する」という雌の本能は満たせるのです。

となれば「どうせ俺みたいなブサイクに」などとタカを括っている男性は
足元を掬いやすいターゲット(カモ)と見られるでしょう。
秋葉原などにいる贋作絵を売りつける詐欺女性(通称エウリアン)は、
ブサイクでモサい男性を選んで声を掛けると言われています。
つまりは女性慣れしていない男性をカモと見なしているのでしょう。
この思考は崖っぷち負け犬にも当てはまるように思います。

では、これら恐るべき女に目を付けられた場合はどう身を守れば良いのでしょうか?
具体的対策は次の考察から述べます。


皆さんはネイサンズ事件をご存知でしょうか?
他のサイトでも色々と晒されている事件ではありますが、
「オタクへの偏見が企業謝罪にまで繋がった」という点で
おもしろい事件なので本blogでも取り上げておこうと思います。
勿論、事件を起こしたバカをさらし者にしてやる意味もあります。

事件の発端は今年の8月12~14日に東京で開かれた「コミックマーケット」です。
会場に出店したネイサンズというホットドックチェーンのアルバイトスタッフが、
実名で運営していたブログに
「みんな頑張ってバイトしています!まぁお客はみんなオタ」
「大量オタ。これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!」

などと写真付きで記事を掲載したとの事。 
これを読んだユーザーが「客をばかにしている」などと掲示板などで反発。
結果、大量のクレームが寄せられて代表取締が謝罪するという事態に発展しました。

まずオタクに対しての侮蔑ですが、これ自体は内心に留めておく分には
偏見ではあるものの、個人の自由と言えば自由でしょう。
ですから彼女の落ち度とは
「正当性の無い偏見をTPOを弁えず、社会に発してしまった」事に尽きます。
ましてや本名と自身の立場を明かした上でのこの暴言ですから、
かなりのバカです。
自分の行動がどういう影響を及ぼすのかを想定出来ないのでしょう、自業自得ですね。

ですが、こういったバカは例外としてもオタクに対する侮蔑を持つ人は
決して少なくないでしょう。

またコメントにある「ぶあぁぁぁぁあ」という効果音ですが、
こんな言葉を発している人を私は見たことがありません。
(私も当日コミケにいました、ぶっちゃけ常連です)
恐らくですが「デブブサイクが汗をかきながら懸命に呼吸している」
というイメージを侮蔑的に表現しているのだとは思いますが・・・

恐らく彼女の中では「デブブサイク=オタク=キモイ」という括りで
まとめているのでブサイクであればオタクもクソも関係なく
同じような侮蔑的な感情を抱くのでしょう。
ですから「俺はモテナイ男だが、オタクじゃないぜ」と侮ってはいけません。
容姿が醜い人間そのものが彼女達からすれば侮蔑対象であり、
オタクはその代名詞に過ぎないと言う事。
「モテナイ男に対する社会的イメージ」でも語りましたが、
この差別の本質をキチンと認識する必要があるでしょう。



ネイサンズ店員ヲタ罵倒事件 まとめサイト
http://www.geocities.jp/hotdog_bolg/

問題のブログ(ミラー)
http://www.geocities.jp/hotdog_bolg/bloglog/1.html
http://www.geocities.jp/hotdog_bolg/bloglog/2.html

Yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050823-00000032-zdn_n-sci
「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に
ITdediaニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0508/23/news037.html
「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に

ホットドック屋ネイサンズのHP
http://nathans.co.jp/


本日、本田透氏が表参道の青山ブックセンターにて、トークショウを開催しました。
私は仕事の都合で参加できませんでしたが・・・

次回作の発表もあったようで、「モテの魔の手を防ぐには?」がテーマのようです。
題名は「電波大戦 ~ぼくたちの護身入門」(9月下旬発売予定)

要するに今までモテナイ男だった存在が、何らかの手段で
地位や名声を手に入れてしまい男の金や名声に集るウジムシ女
利用されないようにするにはどうすべきか?、という考察の本となるようです。
(つまりは今の本田氏の悩みを綴っているということです)

金も地位も名誉も無いモテナイ男の場合は意味が無さそうに思える内容ですが、
人生何があるか分らないので読んで損は無いと考えます。
ひょっとしたら地位と名誉を手に入れることがあるかも知れませんし、
本当に切羽つまった負け犬なら年収400万程度の男にでも、
藁にも縋る気持ちで寄生しようとしてくる可能性はあります。

「本当に切羽詰った女」は男の想像を絶した足掻きをします。
そんな女に捕まったら最期、尻の毛まで毟られて熟年離婚は確実、
さらには浮気されて種違いの子を育てさせられるコンボも可能性大です。


詳細は以下をご覧下さい。
しろはた:「萌える大甲子園」2005年8月19日の記事
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/saru/nikki038.htm
Operation:Mindcryme:「本田透トークショウレポート」
http://fallen-angel.rulez.jp/blog/archives/2005/08/post_106.html


※追記※
どうやら本田氏は「電波男2」「キモメン葛藤小説」に加えて
電波男からギャグ部分を抜いて社会分析評論的な側面を強めた
「電波男の強化版」の執筆を進めているらしいです。

イヤッッッッホウ!!・・・思わず我を忘れてしまいました!!


※以下は偏見に満ち溢れた内容なのでご容赦下さい※

先日、某掲示板で性モラルの乱れに対する討論を行っていました。
そこで安易な性行為の果ての中絶を糾弾していた時に
中絶擁護派から以下のような回答を頂きました。
恐らくは多くの中絶を擁護する人にとっての本音であると確信します。


いいじゃねーかようるせーなぁ・・・
3ヶ月の胎児に意識なんぞねーんだから
虫に命があることは誰でも知ってるけどさ、
その虫と自我の目覚めた人間の価値を
同列に扱うなんて基地外じゃねーの?お前らw



実際に法的には胎児は人間ではありません。
また、堕胎罪により安易な堕胎は禁止されていますが、
優生保護法での「経済理由による堕胎」を拡大解釈して
育てるのがめんどいから堕胎しようという行為が
なし崩し的に認められているのです。
(本来は、ミルク代も払えない、住む家もない、食事もままならない
という衣食住が欠けたド貧乏に困窮した状況での堕胎を認める条件)

上記の思想には反吐が出ますが、止める権限は我々にありません。
彼(彼女?)は中出ししたいがままに繰り返し、
中絶したいがままに繰り返すのでしょう。
今までも、これからも、ずっとずっと・・・

ですが、このクズ野郎の母親は自らのお腹に宿った
「人間としての権限すら持たないゴミのような存在」
いとおしいと思ったから彼はこの世に生まれてこれたのです。
彼の母親が彼と同じ思想だったならば、
彼は胎児だったうちに身体をミンチ状に砕かれ、
絶命して廃棄物処理されていました。

死ぬ事は何時でもどこでも出来ます。
本気で死にたいと思ったなら、速攻で飛び降りれば死ねます。
どんな脆弱な人間でも死ぬ権利と死ぬ自由は持っています。

しかし、抗う牙すら持たない胎児や幼子は親に縋ってしか生きられません。
親に「生きる権利」を与えて貰わねば生きられないのです。
生きることは自由ではない!!
だから避妊無しでセックスするときは、
子供に生きる権利を与えてあげられる状況を、
その環境を紡げる信頼できるパートナーを得た状況で行って下さい。
そしてそれが出来る人間と出来ない人間を吟味する目を養って下さい。



とは言っても、年間30万件(未公認含め60万件)の堕胎が行われているのですから、
「いーじゃねーかようるせぇなぁ、胎児は虫ケラ」
これが日本人の性モラルにおける主流であり、
こういう人間が恋愛を飽食できる以上、止めようがありません。
そしてこういう雄ほど雌の本能を刺激するのがまた悲しいものがあります。
「より優秀な精子を求める」という雌の本能からすれば、
こういった闘争的(自己中心的)な雄の精子は魅力的でしょう。
勿論、反感を抱く女性も多いでしょうが、
それは雌としての本能からの反感ではなく、理性(道徳)によるものです。
本能という面では雌がこういった雄を求めることは寧ろ自然です。
その本能と理性のせめぎ合いに打ち勝てる強固な人間でなければ、
こういった存在に身体を許してしまうのでしょう。


まぁ、それも人生といえば人生ですがね・・・全ては己が思うがままです。



※追記※
中絶件数の未統計分を含めると60万件以上という部分について、

「孕ませる性と孕む性:避妊責任の実体化の可能性を探る」
(宮路尚子一橋大助教授著)

http://www.kinokopress.com/civil/0102.htm
母体保護法(元優生保護法)外の中絶件数は、
同法内によるものの2~3倍と推定されている。


上記の論を引用し、(30万件x2倍~3倍=60~90万件)と致しました。
母体保護法外による中絶=指定医療機関外または未届で行われた中絶、
いわゆる「闇中絶」という事です。


熊樟からの
カテゴリ:モテナイ男のルサンチマンの
非モテブーム?についてのご意見です。



今回のSPAの特集、私も読みました。いつも自分たちでブームを捏造し、それを取材して記事にするという手法をとるSPAにしては、良心的な内容だったのではないかと思います。理由は覚悟さんが書かれていたように、非モテブームという、マスコミ主導のブームが、当事者である非モテ男性からは必ずしも歓迎されていないことをはっきりと報告しているからです。

このマスコミ主導の非モテブームの経済的な成功は、図らずも『電波男』で本田透氏が喝破した、今後、恋愛資本主義はオタクの取り込みに向かうであろうという予想を証明することになったと思います。しかしながらそれは、本田氏の言うように恋愛資本主義の末期症状ではあるかもしれないが、依然として強力な力を持ち続けていることも見せつけています。

さて、SPAの特集の中で特に印象に残ったのが、「いまさら“発見”されたかのような扱いには怒りがこみ上げます」と述べる方のコメントでした。SPAを読まれた方には蛇足的な説明ですが、その男性は、オタクはそれまで存在していたにもかかわらず、ずっと見下され、女性の彼氏候補からは外れていた、たまたま電車男で発見されてキモカワイイとか言われても、今までの自分はなんだったんだと言いたい、と憤っています。

この彼の怒りは、他の非モテ、特にキモオタの男性には容易に理解できるのではないかと思います。それまで散々見下され、あるいは不可視の存在として扱われながら、一時的なブームで興味本位で注目され、それまでの酷い扱いをまるでなかったかのようにされるのは、納得がいかない、フェアではないという感情が起こるのは当然だと思います。

ただ、こうした非モテ男性の反感は、ちょっと極端だ、とある心理学者がコメントしているのが気になりました。恋愛心理学(そんなものがあるとは知らなかった)の専門家を名乗るこの心理学者は、現在の女性はなかなか理想の男性が見つからないので恋愛に疲れているのだから、非モテの男性は下に見られていると反発する必要はないであろうと述べます。そしてこのブームに乗って、新たな出会いが広がる可能性がある、と彼は主張します。

しかし、結局、非モテブームと言うのは、電車男をはじめとする一部のメディアミックスのことだけを指しているのであり、実際の日常生活で非モテが注目されるところまでは行っていないのではないか、と個人的には思います。現実問題として、非モテ男性を自分の恋愛対象として見直そうと言う女性はほとんどいないのではないでしょうか。いやそうではない、実際にいるのだ、という情報をどなたかがお持ちであれば、是非教えていただきたいと思います。

以下は個人的な話になります。先日、ある知り合いの女性が話しているのを聞いたのですが、彼女にはアキバ系のオタクの知り合いがいるそうです。彼女も電車男を読んでおり、そのアキバ系男性に対し、「あなたも早くエルメスさんを見つけなよ」と説教したそうです。それを聞いた時に私は、「なぜあなたがその男と付き合わないのだろうか?」と疑問に思いました(その時、彼女は彼氏と別れたばかりだとも言っていました)。結局、非モテブームとは、自分で非モテ男性と付き合うのではなく、他人が非モテ男性と付き合っているのを見て楽しんでいるだけの現象だと思います(この辺の事情は、色々な方がすでに指摘していますが)。いくら非モテブームが盛んになっても、現実の世界の恋愛そのものは依然として変わっていないような気がします。

いずれにせよ、今回の特集は非モテの問題を考えるに当たり、色々と興味深かったです。ただ、いかにもSPAっぽいと思ったのは、特集の最後に非モテ男とモテ女との対談が載っていたのですが、これがなんとなくヤラセっぽかったと言うことです。

これも読まれている方には蛇足かもしれませんが、ある男性が、たとえば自分と一日中三国志の話をするのと、他の男と遊園地に行くのとどっちがいいのか、と聞くのに対し、ある女性は、遊園地なんて飽きたから三国志の方がいい、と答えます。しかしこれはいかにもヤラセ、あるいはせいぜい、この女性のその場のノリでの答えのように思えます。あくまでも個人的な偏見に過ぎませんが、背景を知らない者に三国志の話をしても5分も持てばいいほうで、そのうちすぐに飽きられてしまうのがオチだと思います。

覚悟さんが提唱するように、目障りな男と 目障りな負け犬をくっつけて黙らせるのはなかなかいい方法だと思います。ただ残念ながら、現状はまだその段階に至っていないような気がします。この非モテブームも、あと数年持てばいいのではないか、そして非モテで経済効果を得ることが出来なくなった恋愛資本主義は、次の獲物を探し始めるのではないか、と個人的に思っています。いずれにせよ、真の非モテの置かれる環境は、何一つ変わらないような気がします。


巨大な剣。
全長は優にラビの身の丈を超えていた。
重さは並の剣の5倍以上あるだろうか・・・立派な両手剣。
それでもこの種の剣としてはやや短めだが、その分刃幅と厚みはより重厚だった。
ジグムントは愛用の巨大ザックからそれを取り出して鞘袋から抜き、
刀身を剥き出しにする。
暖炉の焔が刃を照らし、怪しい光を描き出す。
(滅多に使うことはなかろうが、一応は手入れしとかんとな・・・)
錆止めグリスをボロ布に染み込ませ、ごく薄く剣に塗布する。
普通、グリスを刃先に塗ると切れ味を悪くするが、この剣には関係ない。
敵を鎧ごと打ち砕く為に生み出された剣だから。

「おじさんって剣士だったんだ・・・」
不意の言葉に振り向くジグムント。
「起きてたのか・・・」
「うん、ちょっと目が覚めちゃった。」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


暫くの沈黙の後、重い表情でジグムントは口を開いた。
「ああ、昔な・・・傭兵をやってたんだ。」
「傭兵?、兵隊さんの事?」
「ああ、そんなもんだ。昨日の夜、人買いに売られたって話をしたろ?」
「うん・・・」
「親が俺を人買いに売って、人買いは俺を傭兵団に売ったのさ・・・
1000パンス、羊一頭分でな。」
「おじさんのうちも貧乏だったの?」

ラビの問いにジグムントの顔が少し歪む。
「実はな、そうでもない・・・親父は農園をいくつも持ってたしな。」
「ええっ!!おじさんってお金持ちだったの?」
「一応はな。」
「ならどうして人買いなんかに・・・」

ズタ袋の仮面が影の中に暗く沈む。
「顔がな、顔が醜かったんだ・・・それが原因でお袋との仲が最悪だった。」
「・・・・・・」

顔と声を暗く沈ませたままジグムントは続ける。
「俺は生まれつき顔が醜くてな、ボコボコと面の皮が膨れて化物のようだった、
同い年ぐらいの子からも家族からも疎まれた・・・お袋が特に酷くてな、
毎日俺を罵りながら殴った、親父や兄貴達は俺を殴りはしなかったが・・・
いつも汚いものでも見るように俺を見下していた。」

「・・・・・・」
ラビは神妙な表情でジグムントの話に耳を傾け続ける。
「俺は精神的に追い詰められて、頭がおかしくなっていた・・・
とうとう自分の面の皮を剥がしちまったんだ。」

「そんな・・・」
表情が歪むラビ。
「顔の肉を剥がせば、新しく奇麗な顔が生えてくると思ってた。
いや・・・思い込もうとしてた。まだ8歳だったから、
そんな馬鹿げた妄想を本気で信じてた。」

「・・・・・・」
「だが、新しい顔なんて生えてこなかった・・・余計に人間離れしただけだ。
家族とはさらに険悪になって、俺は書庫に閉じ込められる生活になった。
せめて退屈しないようにと親父が気を使ってくれたのかも知れん。
だが、それから3年ぐらい経ったある日、
俺を殴りにきたお袋を突き飛ばして大怪我を負わせちまった。
結局その数日後には俺は人買いに売られた、厄介払いの意味でな・・・
だけど、その書庫での生活は今思うと悪くなかった。
たくさんの本が読めたんだ、特に騎士の活躍を描いた小説や
騎士道を説いた本が大好きだった。」

「へえ・・・」
少しだけ明るい声になったジグムントにホッとするラビ。
「牛頭の巨人を勇敢な騎士が倒して姫を救う話、
小柄な騎士が大きな騎士と正々堂々戦って打ち破る話・・・
俺はそれらの本を読んで妄想に耽って、騎士になりきってた。」
「うんうん。」
「自分もいつか強くて優しい騎士になろうと一生懸命身体を鍛えていた・・・
大きな麻袋にありったけの本を詰めて、それを上げ下げしたり、
担いでずっと歩き続けたり。ひたすら体を鍛えていた、
騎士の物語を読んで自分を勇気付けながら。」


「へぇ~・・・おじさんが一番好きだった物語ってどんなの?」
興味津々で質問をするラビ、ジグムントも乗り気で語りを続けた。
「俺が一番好きだった話か・・・"ヒキガエルの騎士"って物語だったな。」
「ヒキガエルの騎士?・・・どんなお話なの?」
「ヒキガエルは大きくて力が強いが、醜くて他の蛙から仲間外れにされてたんだ。」
「うんうん」
「ヒキガエルは皆に見直してもらおうと、村を荒らしていた蛇に
戦いを挑んで見事その蛇を倒した。」
「それで、仲間に入れたの?」
「いや、村の蛙達はヒキガエルに優しくはしなかった・・・
ヒキガエルはめげずに村を荒らしに来た大ねずみも倒すんだ。」
「今度は?」
「それでもヒキガエルは仲間に入れて貰えなかった・・・
ヒキガエルは絶望して巣に引き篭もってしまう。
だがある日村を大きなトカゲが襲うんだ、大トカゲは蛇よりもネズミよりも
大きくて強く、蛙たちを次々に飲み込んだ、そこで蛙たちは
強いヒキガエルに取引を持ちかける、
"あの大トカゲを倒したら俺たちの仲間にしてやる"と。
そしてヒキガエルは3日3晩その大トカゲと死闘を繰り広げるんだ。」
「うん・・・」
「健闘もむなしく、ヒキガエルは大トカゲに敗れて飲み込まれてしまった。
だがヒキガエルの毒のせいで大トカゲは息絶え、二匹は相打ちとなるんだ。」
「そんな・・・」
「村の蛙たちは醜いヒキガエルと大トカゲが相打ちになった事を喜んで、
誰もヒキガエルの死を悲しまなかった。
そんな様子を見た神様が勇敢なヒキガエルを称えて
天で一番輝く星に生まれ変わらせて上げたんだ。」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


「可哀想だよ・・・」
悲しげな声でラビは呟いた。
「まあ星にはなれたけど・・・な。」
「一番輝く星になれたって!!誰もヒキガエルの事を悲しんでくれないなら・・・」
「・・・そうだな」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


つい語り込んでしまったが、明日が早いことを思い出す。
「もう俺も寝るからラビも寝なさい、明日は早いからな」
「うん、オヤスミなさい・・・」


(一番輝く星になれたって・・・か。確かにそうだな・・・)
ジグムントの胸にはラビの言葉がやけに重く残っていた。



続く


パチッ、パチパチ・・・


周囲は既に夜の帳が落ちていた。
ジグムントとラビは捨てられた山小屋の中で火を焚き暖を取っていた。

「ごめんなさい・・・私が服で迷ってたせいでこんな山中で・・・」
ラビはしゅんとした表情で俯く。
「いや、お前だけのせいじゃない、俺が寝坊しちまったのがそもそもだ。」
「でも・・・」
「気にするなって。」
「ありがとう、ジグムントさん・・・」

少し笑顔が戻ったラビ。
対するジグムントは何ともむず痒そうな表情だ。
「ジグムントさんか・・・なんかこそばゆい呼び名だな。」
「えっ、じゃあ・・・お兄さんとか?」

ジグムントは口をへの字に曲げてさらにむず痒そうになる。
「ん~もっとこそばゆい・・・」
「じゃあ、お兄ちゃん!!」
「・・・・んぬぬ~もっともっとこそばゆい・・・」

「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「おっさんとか・・・後は呼び捨てでジグムントとか・・かな。」
「それはちょっと酷いよ・・・う~ん、おじさんとか?」
「おじさんか・・・年齢的にはそんなもんだし、それでいいか。」
「わかったそれにしようよ、おじさん♪」

ラビはにこやかな笑顔を見せた。
「そういえば、おじさんって歳はいくつなの?」
何気ない質問のつもりだった。
「歳か・・・・・・わかんねぇんだ・・・」
「えっ?」

ラビは不意な答えに意味を図りかねていた。
「多分30前半ぐらいだと思うんだが・・・誕生日を忘れちまった。
今まで一度も誕生日を祝ってもらった事も無いし、気に掛けたことも無い。
だからいつの間にか正確な歳を忘れちまった・・・」

「・・・・・・そっか。」
好奇心に満ちた目は悲しげな光へと変わり地に伏せた。
「ラビ、お前は歳いくつなんだ?」
濁した空気を換えようとジグムントが話を振る。
「あたしはね~14歳、3月12日生まれなんだ。」
「そうか・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」

(まずい、空気を戻そうと無理に話題を振ったが続かん・・・)
ジグムントは必死に頭を振り絞ってネタを考えていた。
「ねえ、おじさん!!」
「なっ、なんだ?」

急に口を開いたラビに一瞬ドキッとする。
「おじさんの誕生日、今日にしようよ!!それで~年齢は32歳!!」
「今日ってことは4月1日か・・・まあそれでいっか。」
あまり興味の無いジグムントはそっけなく答えた。
しかし、ラビはにこやかに話を続ける。
「だから、今日はおじさんの誕生日!!32歳の誕生日!!」
「ああ?・・・まあそうなるな。」
「だから、お祝いしてあげる・・・ハッピバースデイトューユー、
ハッピバースデイトューユー、ハッピバースデイディアおじさん~
ハッピバースデイトューユー♪」

「・・・・・・」

(初めて、だ・・・)
ジグムントは胸に熱いモノを感じた。
初めて誕生日を祝ってもらえた事。
初めて存在を認めてもらった事。
初めて誰かに愛された事。
そして、初めて嬉し涙を流した事・・・
「おじさん、泣いてるの?」
「・・・・・・・・・いや大丈夫だ、よし!!誕生日ならお祝いだな、
ちょっと贅沢して干し肉を食べる事にしよう。」

「やった~♪」
「干し肉とチーズを軽くあぶって、パンに挟んで食うと中々いけるんだ。」
「うんうん・・・」

暖炉の炎で軽くあぶった干し肉とチーズをパンに乗せる。
ジュッと油の浮いた干し肉と、柔らかく伸びたチーズが重なって食欲をそそる。
「さあ、出来たぞ・・・熱々のうちにこれを豪快に頬張ってワインを飲むと最高の相性だ。」
そう言ってジグムントはコップにワインを半分ほど注ぐ。
「いいか、お前はガキだから飲みすぎるなよ、ワインはコップの分だけにするんだ。」
「ウン、わかった。」
(さて、次は俺の分を作るか・・・・)
ジグムントが肉とチーズのあぶり加減を見張っていた矢先、ドタンッ!!
「ふへぇええ・・・・」
「なっ!?!?!?ラビ、どうした!!」
「えへへへへへへぇぇ・・・」
「あっクソ・・・テメェ!!」

見るとワインの瓶は半分ほどに減っている。
「だから、あれほどコップの分だけにしろっていったのに!!」
「ごめんらひゃい・・えへへ♪」

ジグムントはハァ~と大きなため息を付いた。
「もういい、ゆっくり寝ろ、火の番は俺がするから・・・」
ラビはジグムントに返事をする余裕も無く、
すーすーと寝息を立て深い眠りについていた。
(はぁ・・・子供らしいと言えば子供らしいけどよぉ・・・トホホ)
ラビの子供っぽさが憎らしい反面、昨日までの怯えた少女が
子供らしい純粋さを取り戻してくれたことが内心嬉しかった。

(まさか子供に慰められるとは思ってもみなかったよ・・・)
「ハッピーバースデイか・・・フフフ」

無邪気な寝顔を横目で眺めながらジグムントは悪くない気分にひとりごちていた。



続く


【浮気不倫】女の醜さの証明【中絶DQN】
http://pastlog.fc2web.com/dqnfemale/index.html

ちょっと過激且つ差別的なタイトルですが、まあ題名の通りです。
このソース群は元々が「女の醜さを証明するスレ」という
某掲示板のスレッドが発祥となったものです。

モテナイ男が集まってモラルの無い人間(特に女性)に対して、
「個人体験を愚痴っただけでは無意味だ、確たる証拠を持って論ぜねば」
という思想を元に公的統計やデータを集めた物です。
(まあブッチャけ元々は私が立てたスレッドなんですけど・・・)
あまり役に立たない個人レベルの証拠から、
中絶数や浮気率のような動かしようのない証拠まで色々とあります。
私も多大な影響を受けた内容が多いので、興味がある方は一見の価値有りです。

なお、これは女性のみのモラルの無さを責めている訳ではありません。
中絶も浮気も対になる男が居て成り立つ行為です。
そのことは重々承知していますし、我々はそういうモラルのない男性を
DQN男として同性として激しく嫌悪している事を明言します。

もっとも、本blogを読んで頂ければその事は十分に理解して頂けると思いますが。


※以下は客観性に欠けた邪推でありますが、ご容赦下さい※

以前に「中絶と浮気~意識差の謎」で語ったとおり、
私は現実、ネット上を問わず性モラルの乱れに対して
モテナイ男と同レベルに忌避を示し、それらを容認する人を
(同性異性問わず)糾弾する女性を私は見たことがありません。


昨日も某掲示板でこの様な事がありました。
浮気率や中絶率、性病率などの公的統計を持ち寄ってそれを論拠として
性モラルの低下を糾弾するという内容のスレッドでの出来事でした。
話題が中絶行為に対する糾弾でしたが、そこに女性と思しき書き込みがありました。
内容を要約すれば、

「中絶によって女性は著しく傷つく、そんな女性を責めるのは酷い、
男だからそんな酷い事が言えるんだ、男が悪い」


こういった内容でした。
我々はレイプや母体の命に関わる状況が例外で在る事は認めていますし、
そういった中絶ならば女性への同情は当然です。
ですが彼女は安易な性行為の果ての自分勝手な中絶にまでそれを適用せよと言うのです。
当然ながら私も含め、そこに元々いた住人は納得するわけがありません。
基本的な論旨は「中絶と浮気」の項で語ったとおりです。
中絶における最大の被害者とは
身体をミンチ状に砕かれて絶命する胎児です。
殺される胎児を中心に考えるならば、安易な性行為の果てに中絶を行う男女は
等しく鬼畜生であり、どちらがより傷つくだのどちらの罪がより重いなどの
言い訳は通用しません。

傷つきたくなかったらきっちり避妊しろよ、
そもそもそんなロクデナシの男を交尾相手に選ぶな!!
テメェにはその程度の知恵もモラルもねぇのか!!


それに加えて、私は常日頃思っていた不満を彼女?にぶつけました。
「我々モテナイ男は男でも女でも等しくモラルの無い存在(DQN)を糾弾してる。
ここはたまたま女性に刃が立ち易いがDQN男も大嫌いだし、その立場を明言してる。
なぜ女性はDQN男は批判するくせにDQN女(身内の悪党)は守ろうとするの?
なんで女性同士の中でそういう悪党を糾弾しようとしないの?
そうやって、女というカテゴリでかばい合うから信用が出来ないんだよ。
もしも「私はモラルの無いDQN女は同じ女として大嫌いです」
という立場を明言する女がいたら俺は尊敬する。
だけどそういう立場を明言した著名人、HP、blogを俺は殆ど見たことない。
同じようなスタンスの男は結構見かけるのにも関わらず。」


こういった返信を彼女に投げかけましたが、それに対する回答は貰えませんでした。
都合が悪かったから答えなかったのか
たまたま見逃したのかは分りません。
所詮は私の個人的体験で統計もクソもある訳ではありませんが、
私はこのような女性しか見たことがありません。

モラル批判をしてもそれは精々が男に対してで、同性に対しては著しい擁護ばかり。
その為には中絶も子殺しもどんなに自堕落な原因からの行為でも擁護擁護擁護・・・
絶対に同性を責めて、吊るし上げると言う事をしない!!
それでも「モラルの無い男」を責めるならまだ良くて、
大抵の女性はモラル云々などはまったく語りもしません。
「醜い容姿」、「内向的、自省的な性格」こういった要素を槍玉に挙げて男を批判するだけ。
所詮これも私個人がネット、現実で見かけた精々数百人の範囲の話ですが。

また本blogからは「しろはた」、「読書感想日記」、「夏の葬列」などの
私と比較的近い価値観で論述しているサイトがあります。
それ以外でもSPAの「非モテブーム」に記事が掲載されたkammy+氏も近いスタンスです。
更に言えば、巨大掲示板として有名な「2ch」でもこういった性モラルに関しての
話題が出そうな所は一通りチェックしていますが、私と似たような価値観を元に男性が
(異性同性差別せず)モラルの乱れを批判しているところはチラホラ見かけます。

なのになぜ、女性にはこのような行動が
一切見られないのでしょうか?


一昔前はインターネットでの男女比率は男が圧倒的に多かったので、
その影響も考えられますが、現在は併用者の重複を除いたインターネット利用数は
1,538万人(全人口の約13%)で、男性が972万人、女性が566万人で、
男女比は約6対4といったところです。
(エーシーニールセン・コーポレーションとネットレイティングス共同調査)
つまりは
1.男女で性モラルに格差がないなら、私と近い思想を持つ女性も少なからず存在する。
2.ネット利用者が男女で6:4ならば、本blogのような性モラルを批判する存在も
ネット上で男女比6:4で存在して然るべき。


こういう風に考えられるわけです。
勿論これは性による思考差を考えずに男女が同じであると仮定した上での話ですが。


この偏見と邪推に満ちた考察をみて、憤怒を感じる方も多いでしょう。
でしたらば是非、女性が本blogと近い認識を持って
モラルの乱れを批判しているサイトを紹介して頂ければと思います。
それが出来ないならば、自らの手でモラルの乱れを批判するblogやHPを立てて、
身銭を切って女性の潔白を証明して下さい。

何の証拠も示せない擁護ならば一切の無価値であると私は言い切ります。
私がそういう存在に出会わなかったのは単なる偶然であると、否定してみろ!!
私の邪推を打ち破ってみろ!!

そして私はそれを望んでいます。
私の邪推が決定的な証拠によって打ち砕かれる事を・・・


『・・・される、ころされる・・・こんなかおじゃ、ころされる』
『すてよう、かおをとったら・・・・きっとあたらしいかおがはえるんだ・・・』
『がまんしなきゃ、かおをとれば、父さんだって、母さんだって、みんなだって』
『ウギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


「ウッ!!」
時計の針は既に朝の10時を過ぎていた。
久々の柔らかいベッドが彼に寝坊をさせたのだろうか。
「うなされてたけど・・・大丈夫・・ですか?」
ラビが心配そうな顔で覗き込む。
「すまない、大丈夫だ・・・」
テーブルには既に朝食が並んでいた。
2人は卓につき、少し遅い朝食を取る。
「昨日は良く眠れたか?」
ラビは黙って頷いた。
「食事とても美味しくて、初めてベッドで寝ました・・・とても柔らかくて・・・」
「ベッドは初めてか・・・」
「今までずっと床で寝てたから。」
「そうか・・・」

少し重い空気のまま会話も詰まり、お互いに黙々と食事を口に運ぶ。
ジグムントは仮面をつけたまま慣れた手つきで口元に空けた穴から器用に食事をした。
やがて料理も食べつくし、暫くの沈黙の後ジグムントは口を開く。
「これからどうする?」
「・・・・・・・・・・」

ラビは俯いたまま、口を紡ぐ。
「親のところとか・・・帰る宛てはあるか?」

「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」


お互いに口も開かず、目も合わさず、数分の時が流れた。
その沈黙を破ったのはラビだった。
「家に戻っても・・・また売られる・・・帰る場所なんか無い・・・」
「そうか・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」


また沈黙の時が流れる、その重圧に耐えきれなかったのかジグムントが口を開いた。
「なんだったら俺と一緒に来るか?俺は色んなとこを旅してまわってんだ。」
ラビは驚いたのか瞳がまん丸になっている。
「えっ?・・・いいんですか?」
「ああ、帰る場所がないってならそれで構わん、但し結構歩き回るから
相当に疲れるけどな。こんな上等の宿に泊まる事なんて滅多にないし、
野宿も多い・・・それでもいいなら。」

ラビは落ち着いた表情でその問いに答えた。
「野宿でも、歩き回っても平気です・・・もう、もうあんな家に帰りたくない・・・・」
「だろうな・・・・」

ズタ袋の仮面からはジグムントがどんな表情をしているか分らない。
だが、その声は悲しげだった。
「兎に角、旅に出るならそのボロの服装じゃ厳しいな・・・寝袋も食料も買わないとな。
これから買出しに出る、新しい服と靴も買うからついて来てくれ」

2人は宿を出ると、新たな旅路への準備を整えに向った。


ラビの寝袋にザックに靴、干し肉、乾パン、ライムの砂糖漬け、
ナッツ類にワイン、順調に買い物は進んだ、ある物を除いては・・・

「ハァ~まだ迷ってるのか?」
「ごめんなさい・・・・」

洋服屋で2人の買い物は難関に差し掛かっていた。
「スカートはなぁ、可愛いいだろうが旅には向かないんだよ」
「ごめんなさい・・・でも・・・」

ラビはいじましそうな目でワンピースのスカートを見つめていた。
白地とレモン色にささやかなフリルが付いた女の子が好みそうなデザイン。
「まあ、気持ちはワカランでもないけどな」
「・・・・・・・」
ラビの瞳は今にも涙が滴り落ちそうな程に潤んでいた。
(コイツ、思ったより我侭嬢ちゃんだな、トホホ・・・)
ジグムントは彼女の強情さにガックリとうな垂れるしかなかった。
「分ったそのワンピースでいいよ・・・但しスカートの下に薄手でいいからズボンを履くんだ」
「うん!!♪」
先ほどのドンヨリ曇った表情から一点、快晴の空のようなにこやかな笑顔を見せる。
(まあ、服を買ってもらうなんて今まで無かったんだろうな。
きっと同い年の女の子が可愛い服を着ているのを指を咥えて見るしかなかったんだろう。)

憧れのスカートを履いて上機嫌なのかラビは嬉しそうに軽い足取りでクルクルと回っていた。
昨日までの陰鬱な彼女とのあまりのギャップにいささか呆けに取られるジグムント。

「アイツまだ、子供なんだよな・・・あれが子供の本来あるべき姿なんだ」
(自分だけボロっちい麻の服着せられて・・・兄貴達は絹の立派な服だった
もしも欲しかった服が着れたら、あの時の俺もこんな風に笑えたのかな・・・)

はしゃぎまわるラビを見ているうちに、嬉しさと悲しさが混じった不思議な感情が胸を締め付けた。
「おい、あまり時間を無駄にすると後がキツイ。次の街へ向うぞ!!」
「うん!!♪」



続く


レンガ造りの町並み、澄み渡った空。
子供達の笑い声がどこからか聞こえてくる平和な街。

そんな光景に似つかわしくない異様な男がそこに立っていた。
身の丈は高く、筋骨隆々の肉体には所々傷が見える。
何より特異なのはその頭に被ったズタ袋の仮面だった。
「ハーイ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、世にも醜い髑髏男の顔は見たくないかね?
つまらなかったら御代は結構、払いは見てからのお帰りだよ」

ズタ袋を被っているせいか野太い声がくぐもり、やたらと耳に残る。

その声に興味を持ったのか、数人が男の周りに寄ってきた。
「なんだい?その髑髏男ってのは・・・お前さんの事か?」
お調子者風の若者が尋ねる。
「その通り、面白さは自負してるよ、御代は見てのお帰りだ!!」
それを聞いて若者はニヤリと笑う。
「なるほど、つまらなければタダってことか・・・そんじゃ一つ見てみようかな!!」
「はいー毎度あり、見たい方は後ろのテントの中に入ってくれ、
一度に入れるのは5人までだよ」

若者に釣られるようにぞろぞろと周りにいた野次馬達もテントの中に入ってゆく。

「うぉ!!」
「うっ」
「これは・・・」


テントの中から驚愕に息を呑む声が発せられた。
その様子に興味を引かれたのか次々と人が寄り集まる。
いつの間にかテントの前にはちょっとした行列が出来ていた・・・
そしてそれは夕方まで途切れる事は無かった。

日も半ば没した頃、
久々の大入りでご機嫌なのか男は軽快に後片付けを始める。
手早くテントを畳むと、巨大なザックに道具一式を仕舞い込む。
(ふぅ、久々にたんまり稼げたな 今日は宿でゆっくり休める)
肩をぽんぽんと軽く叩くと大きく伸びをした。

そんな中、ニヤニヤとしながら近づいてきた者がいた。
身なりからして堅気の人間ではない事は一目で分る。
「あんた、何か用かい?」
少し警戒しながらも、冷静に尋ねた。
「随分と儲かったようだね、幾ら稼いだんだい?」
「あんたには関係ないだろう・・・失礼だが、ひょっとして物取りか?」

身構えた相手に対し、とっさに否定のジェスチャーを取る。
「ちがうちがう、実はあんたに見てもらいたいものがあってね♪」
そういって男は苦笑いを浮かべた。
「見てもらいたいもの・・・?」
いぶかしげな態度に構わず、更に話を続けた。
「兎に角、あんたに買ってもらいたい逸品があるんだ、
ちょっと待ってくれよ・・・オイ、こっちに来い!!」

そう叫ぶと、街路の影から2人の人間が出てきた。
1人は相方と思われる若い男、もう1人は痩せこけた少女だった。
「・・・・・テメェ、人買か」
不愉快そうに荒げた声で答える。
「まあ待て、人買いといってもこれは合法に乗っ取った取引だ、
俺はコイツの親と借金のカタとして正式に取引したんだ、証文だってあるぜ、
決して人攫っての違法な人身売買じゃぁない♪」


ちらりと少女の方を見る。
歳は13、4といったところ、痩せた体に怯えた目が痛々しい。
「どうだい、兄さん今回は特別サービスで3000パンス羊3頭分だぜ、
貧相な身体だが、器量は中々のタマだ、へへお得だろ?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

「言っておくが値切りはダメだぞ、コイツのツラなら他に持っていけば
もっと高く買ってくれる奴は幾らでもいるんだぜ?」
「・・・・・・・・・・」

もう一度少女の方を見る。
少女は一瞬ビクッとしたが、虚ろな目はすぐに俯いた。
「・・・・分った3000だな、ほらよ」
3000パンス、3日分の上がりほぼ丸々だった。
「へへっ毎度あり、証文と枷の鍵はこっちだ、それじゃ今夜はお楽しみだなw」
そう言って下卑た笑いを浮かべながら男は町の暗がりへと消えていった。

「嬢ちゃん、名前は?」
なるべく怯えさせないように気遣って声を掛けるが、やはり野太い。
「・・・ラビ・・です」
乾ききった唇を開き、か細い声で少女は答えた。
「そうか、ラビか・・・俺はジグムントだ」
「・・・」
少女は返事をせず、黙ってうなずいた。
「待ってくれよ、今手枷と足枷を外してやるからな」
そう語りかけジグムントは手枷と足枷を外してやる。
長い間枷を嵌められていたせいか、赤く擦りむけ血が滲んでいた。
(・・・同じだ・・・)
ジグムントはその傷跡をじっと見つめた・・・刹那、ラビは突然走り出した。
「あ!!」
一瞬あっけに取られたジグムント。
しかし、彼女が走っていた方角をみて我に返った。
(まずい、あっちは賭博街だ、ゴロツキどもに目を付けられたら・・・ッッ!!)

ジグムントは荷物を放り投げ、懸命に追いかける。
が・・・夜の暗がりのせいか、すぐに見失ってしまった。
「クソッ、まずい・・・」
舌打ちとともに唇をかみ締める。
「キャァアアアアアア!!」
奥の暗がりから突然金切り声が聞こえてきた。
信じられないくらいの大声だが、確かに彼女の声だった。

博徒はバチンッとラビの頬を強く引っ叩いた。
「クソガキ、優しくりゃ付け上がりやがって!!」
「うっ、あぐッ」
ラビは目に涙を浮かべ痛む頬を押さえながら怯えたウサギのように震えていた。
「別に命まで奪おうってわけじゃねぇんだ、大人しくしてな」
「ヘヘへッ」

もう1人のゴロツキが下賎な笑みを浮かべながらズボンを下ろす。
男の一物を目の当たりにしたラビは恐怖のあまり全身が硬直した。
これから自分の身に訪れる恐怖から声も出せなくなっていたのだった。
「ヘヘへっ、気持ち良い事するだけだからよ、怖がるなや」
男がラビの股に手を伸ばした瞬間、

ドグッ!! 鈍い衝撃音が周囲に響いた。

「ウギ・・・・・アア・・・・・・・・・」
まるで酸欠の金魚の如くクチをパクパクさせながら男は悶絶する。
男の股間に丸太のようなブッとい足が潜っていた。
「あ・・・」
ラビはつい今しがたに見覚えのある顔に思わず声を上げる。
「おいクソ共、ガキ剥いて楽しいかよ?」
野太い怒りに満ちた声の主はジグムントだった。
「テメェ!!」
もう1人の男が殴りかかろうとした瞬間、
その顔面に顔の幅と同じぐらいの拳がめり込む。
断末魔を上げる間もなく、男は鼻血の海に沈みこんでいた。
「う・・・あ・・・」
その圧倒的な暴力を見てラビは完全に萎縮していた。
逃げようと必死で立ち上がろうとするが、恐怖で足がすくむ。
(逃げないと・・・逃げないと・・・殺される!!)


「酷い事はしない、安心してくれ・・・」
ジグムントは怯えた少女をなだめようと出来るだけ穏やかに話しかけた。
「俺も、俺も昔・・・人買いに売られた、親に・・・捨てられた・・」
「・・・・・・」
ラビは意外な言葉にキョトンとしてジグムントを見つめた。
「だから・・・お前の気持ちが分る、酷い事はしない
帰りたければ親元にも帰っていい、だけどもう夜だし1人じゃ危ないから
だからせめて今日だけは俺について来てくれ、宿で食事を取ってゆっくり休め」

雲の隙間から月明かりが差し込み、ズタ袋の仮面から彼の目が一瞬見える。
優しそうな目・・・ラビはジグムントが信頼できる人間だと思った。



続く


ネタが切れて更新が滞るようになってきたので、喪男小説でも書きます。
基本的に絶対ハッピーエンドにならないクソ小説が前提なのでご容赦下さい。


※以下は単なる邪推でありますが、ご容赦下さい※

8/16日のSPAでは、モテナイ男が好意的に注目されているという記事がありました。
キモオタと負け犬の恋愛を描いた電車男が100万部、
映画も公開2週間で100万人の動員を記録したとあるのです。
これを指して非モテブームと煽っているのですが、これは本当でしょうか?

そもそも何を目的として電車男を読んだのかが分らなければ断言はできませんし、
第一、独身女性がメイン支持層とは限りません。

1.単純に有名だから読んだだけ。
2.キモオタに(悪い意味で)好奇心があった、怖いモノ見たさ。
3.キモオタに(好意的な意味で)興味を持った。
4.妙な期待を持ったキモオタが、ブームに付いていく為に読んだ。


簡単に考えても数パターンの理由が考えられ、3のパターンで
独身女性が興味を持ってなければブームとは言えないでしょう。
どのような層が主に支持しているか詳細は分らないのですが、
仮に3のパターンだとして考察をしてみましょう。

女性側はどうか知りませんが、恋愛放棄派モテナイ男にとっては
このブームを好ましく思う人は少ないようです。
・今まで差別されたのに今更態度を軟化されても納得できない。
・もう恋愛は捨てたので注目されると逆にウザイ。
・容姿が圧倒的に悪いモテナイ男は余計に惨めになる。


上記が主たる原因のようです。
確かに私も同様の感情を持ちますが、どうせブームなら
好意的に考えてこの状況を利用するのも良いかも知れません。
その前に電車男に共感していると言われる「負け犬」について考えてみましょう。

一般的には電車男のようなモテナイ男に注目しているのは
いわゆる「負け犬」だと言われています。
負け犬とは、若い頃はイケメンや金持ちなどとを追い掛け回したものの、
婚期を逃して三十路に差し掛かってしまった独身女性を指しています。
恋愛社会における価値は相当に低い存在と言えるでしょう。
追い詰められて「仕方なく」モテナイ男で妥協しようという発想なのでしょう。
彼女達は自分達が恋愛社会で価値が低い存在である事を自覚しています。
更に酷い事を言えば肉便器として玩具として恋愛社会上層者(イケメン)と
関係を持つ事は出来ても、純愛ましてや結婚などという関係を期待する事は困難なのです。
彼女達はそういった現実を薄々認識しているので、
「イケメンと純愛を紡ぐ」妄想にすらリアリティを感じられないのではと思います。
だから、「一見ダサいオタクだけど服装を整えると割とカッコいい」
という制約をかけて妄想に現実性を持たせた事が
電車男の魅力だったのではないでしょうか?
「騙し易いオタクならば、負け犬の私にでも・・・」という発想です。

実はオタクやモテナイ男も似たような妄想に駆られる人が大勢います。
・地球人と美的感覚の違う宇宙人の女の子ならブオトコの俺を愛してくれるのでは?
・美的感覚を持たないアンドロイドの女の子なら・・以下同文。
・幼馴染として長年過ごした子なら・・・以下同文。
・目が見えない女性なら・・・以下同文。
・知能発達障害の女性なら・・・以下同文。


こういった制約を付けなければ妄想にすら没頭できないのです。
容姿差別などにより現実における自分の惨めな立場を
イヤと言うほど認識してしまっているからです。
逆に負け犬は若かりし頃にブサイクな男を散々と見下した立場であるので、
恋愛社会で価値の無い者がどれ程周囲から冷遇されるかを身に染みて分っています。
自分がどのような目で周囲から見られているか・・・
今まで他人にしてきた侮蔑を今度は己が受ける恐怖に駆られているのです。
だからこそ、オタクやモテナイ男の中でも比較的マシな存在に
期待せざるを得ないのではと考えます。
また妥協とはいっても、一応はモテナイ男にもメリットはあります。

1.服装を整えればソコソコ見栄えがする奴もいる。
2.真面目で気が弱く浮気やギャンブルをしない。


こういった点での利用価値がある訳です。
逆に言えば上記のメリットがないなら
モテナイ男と言えど価値はありません。
つまりは私を含め、本blogのメイン対象である「ブサイクキモオタ恋愛放棄派」
彼女らにとっては何の価値も無いと言えるでしょう。
逆にモテタイ男(モテタイ男分析を参照)のような存在が好まれると考えられます。

ここで私はある考えが頭に浮かびます。
そうだ、恋愛放棄派にとって目障りなモテタイ男と
これまた目障りな負け犬をくっつけちゃえ。
そうすればギャーギャーピーピー煩かった彼奴らが
黙ってくれるのでは?
と・・・

モテタイ派と恋愛放棄派はブッチャケあまり仲が良くありません。
同じモテナイ男ですが女性を意識している男と女性の存在を
無視している男では考え方に隔たりがあり過ぎて、
むしろ一般人よりも激しく衝突する事がしばしばです。

すぐにブームが終わるならそれはそれで良いし、
ブームが続くならば、この機に乗じて不穏分子(モテタイ男)
粛清がてらに引き取ってもらうのも良いでしょう。
奴らがギャーギャーうるさいのは
「発情してるのに相手が居ない」からであって、
ツガイになれば黙ってくれるんじゃねーかと思うわけです。
同じ崖っぷちギリギリ同士、案外仲良く静かになってくれるかも知れません。
あくまで希望的観測に過ぎませんが・・・

どの道我々恋愛放棄派には大した悪影響もメリットもないブームなので、
憤怒などしなくても、適当に鼻糞穿りながら見ていれば良いのではないでしょうか?


今までに示したとおり、性モラルの回復についても絶望的です。

実は私が恋愛放棄というスタイルをとっている意味は
単純にリスク回避や絶望という意味以外にも
男が性モラルの崩れた女性に対して堂々と「NO」を突きつけて、
男は無条件で女性だからと(マ○コがあるからと)チヤホヤするという
悪しき常識をぶち壊して性モラルを回復させてやろう
という
信長もビックリの馬鹿げた野望があったのです。

その為に自分が一生孤独で、苦悩しながら死ぬなど取るに足らない事です。
未来の国民の為に1世代、2世代が犠牲になるというなら
耐えねばなるまいなどと思っていました。
どうせ、青春時代に汚いモノを見過ぎてトラウマ化して救われようがないのですから。
その後、日本が元々性モラルに疎くて子供の命を軽んじる民族である事、
男女比から考えて、30歳以下の年代は男性側は5~10%程度余っている為、
少なくとも500万人程度の男が恋愛放棄をしてNOを突きつけないと
無意味という事を知り、覚悟の野望は打ち砕かれました。
ですが、私にはもう一つの強固な意志が残っています。

世に悪しきがはびこり、それに絶望し諦観するのは
致し方ないこと・・・されど世に悪しきがはびこるからと
己も染まるのは愚劣の極み!!


残ったのはこの意地だけです。
この意地は前記した野望が打ち砕かれて更に強まりました。
無駄死にとしても己だけは流れに逆らって生きたいと強く思っています。

※以下は単なる戯れの上に右翼思想が混じるのですが、ご容赦下さい※


熱い風が 喪男には良く似合う

怒りを隠して 立ち上がれ

尊き理想守るため 傷つくこともあるだろう

荒野に 血が流れても

明日の 平和があればいいのさ

誇りを 忘れた 人々の代わりならば

(恋愛)放棄の 他には 選ぶ道は何もない

夢を 繋ごう 未来を信じて永久に


私の大好きな歌、
「戦士よ立ち上がれ(遠藤正明)」の歌詞をパクらせて頂きました。
元ネタは此方です
http://www.geocities.jp/m_murakata/kaku.htm

スマートに生きている方にはこのような泥臭い思想は極めて馬鹿馬鹿しい、
無理無駄無意味の塊のように見えるかも知れません。
実際に無理無駄無意味の塊です、ですが私は本気でそれを信奉してます。
「昔の武人はとても勇敢だったんだ、未来を信じてもっと苦しい事に耐えたんだ」
などと本気で思ったりしてます。
恋愛資本主義を米国、それを奇襲(真珠湾攻撃)した山本五十六が本田透(電波男著者)ならば、
私はそれに付き従う名も無き二等兵か・・などと妄想したりしてます。
そしてその結果訪れるのは無残な敗戦でしょう、ですがそれでも構いません。
自分でも俺マジで馬鹿と思いますが、まあ馬鹿は死ぬまで直りませんから。


豬花さんからのお便りです。
彼からは以前より度々ご意見を頂いていたので、現代日本の
一般的恋愛観という意味で、ご意見を私の方からお願い致しました。
管理人である私を含め、このblogを愛読して頂いてるメイン層から見ると
異議を感じる部分もありますが、一般人の主観的思想としては
当たらずも遠からずだろうと感じるところであります。



へっぽこ恋愛論
遅くなりましたが、以下私の考える「愛」と「恋」です。

【愛とは】
ただ、何の理由もなく、相手がそこに存在するだけで
相手を好ましいと思うこと。
相手をどうしたいと思うでもなく、見返りを求めるでもなく、
ただ相手の幸せそうな顔を見て好ましいと思うこと。

友愛、家族愛、恋愛、いろんな愛の形の
究極形態です。

【恋とは】
ただ、何の理由もなく、相手がそこに存在するだけで
相手を好ましく思い、その上で欲しいと思うこと。
自分および対象の社会的・精神的・その他の
リスクもリターンも一切考えず、ただ相手の
身も心をも欲すること。

フィクションだと……
『曽根崎心中』『ロミオとジュリエット』『メディア』
あたりがぴったりくるかな、と。
(もちろん現実にこのシナリオを実行したらただのアホです、
恋に社会性を持たせるためには常識と良心が必要)

どちらにせよ、要は「好きになった理由がない」
というのが大事じゃないかな、と考えます。
お金持ちだから、ハンサムだから、人格が優れてるから…
と、理由をつけて恋をするとします。
そうすると、
世の中にもっと条件のいい人は探せばいるはずなのに、
手近なところで妥協したのでしょうか。
恋人はリスクとリターンを考えた末の産物なのでしょうか。

私は、恋の原動力は「何でか知らんが好き」
という、理性では制御できない感情だと思っています。
ただ、だから「何でか知らんが好き」で
突っ走れ、とは思いません。
それは純粋さ故に美しいですが、大変危険です。
良心や常識でうまく舵をとり、ブレーキをかける。
それもまた、苦悩するが故に美しいです。

いかがでしょうか。
とりとめもない文章になりましたが……。
覚悟さんの逆鱗に触れないことを祈ります(笑)


日本では江戸時代以降は相続が重要となる上流階級(とくに武家社会)では
婚姻や性モラルは比較的堅く守られてきました。
勿論、家督を守る為に側室(妾)を持つことを認められてはいましたが、
これはあくまで家督存続の為であり、性モラルとはまた別個の問題です。

対して民衆の方はというと・・・ほぼ乱交状態だったようです。
江戸などの大都市では吉原のような大風俗街が賑わい、
それ以外の一般市民でも既婚者であろうがお互いを気に入ったら
即日でSEXというのも日常風景だったようです。(なんか現代と同じですね)

また地域差が大きいものの、農村でも夜這いを代表とする
フリーSEXが当たり前に横行していました。
こちらも既婚者未婚者関係なく乱交をし、生まれてきた子は
我が子云々関係なく(というか見分けられない)
村ぐるみ(地域共同体ぐるみで)で協力しあって育てたらしいのです。
つまりは浮気されて血筋が途絶えるリスクを皆が浮気しまくることによって
プラスマイナス0で無理矢理イーブンにしていた訳です。

また、江戸時代以前では上流階級でも性にいい加減な部分がチラホラと見られます。
平安時代の貴族達の性モラルのいい加減さは源氏物語を読めば分ると思います。

当然ながら性への規制が緩い分、望まれない子も多く生まれるわけで、
それに対する扱いもかなり残酷だったようです。
「ヨーロッパ文化と日本文化(ルイス・フロイス(著)岩波文庫 )」では、
当時(戦国時代)の日本の様子をヨーロッパ人の視点で語られており、
「ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということは滅多に、
というよりはほとんど全くない。
日本の女性は、育てていくことができないと思うと、みんな喉の上に
足をのせて殺してしまう。」

という記述から、キリスト教圏と比べて
子供に対する命の尊厳が低かったようです。

近世日本の中絶数や嬰児殺害率はちょっと見つかりませんでしたが、
「科学 (岩波書店 2000年7月号)」という雑誌に以下のような内容があったようです。
「日本は、殺人率全体では先進国では最低レベルにあるのに、
こと嬰児殺し(母親による実子殺し)に関しては欧米より群を抜いて高い」
「とくに他の殺人率がコンスタントに減少した1970年代に、
嬰児殺しは反対に増加傾向すら示した」
「別の角度からみると、日本人が一生のうちでもっとも殺されやすい時期は、
出生直後ということでもあり、1980年までのその率は
現代アメリカの平均殺人率(100万人あたり約100件)にも匹敵していた」

(ただし嬰児殺しについては1970年ごろが昭和以降ではピークであり、
現在では大分減少しているようですが)
このように中絶や子殺しを軽んじる忌むべき風習は、
古来より日本に連綿と受け継がれた文化のようですね。
出来る事ならば一刻も早く断ち切らねばならない恥ずべき文化ですが、
断ち切れそうもないのが現状です。

日本人(特に日本女性)は明治以降~昭和初期の貞操が硬い大和撫子
という印象がありますが、それは明治期の改革によって法整備に伴い、
村社会で横行した乱交システムで社会を存続する事が困難である為、
海外のキリスト教的モラルや武家社会の規律が大衆に降りてきただけで、
実際は大して根付いていない思想なのです。
実際に明治、大正期でも夜這い文化が残っていた地方はチラホラとあり、
電波男で紹介された都井睦雄が住んでいた岡山もその文化が残っていました。
表沙汰には大人しくしていたが、裏ではちゃっかり乱交していたわけですね・・・
現在先進国と言われている国家で、ここまで性モラルの低い文化が
極最近まで残っていた所を私は日本以外で知りません。
まあ、ミクロネシアのような現在でも原始的生活が残っているような地域では
乱交的な文化が残っているところは結構あるようですが・・・
これはあくまで原始社会だから成り立つシステムです。

結局のところ日本人は元々がエロエロ民族であり、
挙句に以前にも述べたように性モラルを縛る国民思想も、国民宗教もありません。
これで性モラルが良くしようなんて期待する方が無理です。
今更国民に宗教思想を植え付ける事など極めて困難ですし、
元々エロエロなんで守るわけありません。
せいぜい、性教育で堕胎シーンを見せてトラウマ化したり、
性病の恐怖でビビらせて性病対策、避妊対策を真面目に取らせる程度でしょう。

しかし、その性病についても
高一の非処女の性病罹患率が26%(旭川医大調査、全国平均に近い県で実測)
都内の風俗嬢の性病罹患率が13%(順天堂大浦安病院調査)
高校生、10人に1人が性病(旭川医科大調査)
挙句には男子生徒が7.3%、女子生徒は13.9%で16歳の感染率がもっとも高く、
男子が8.6%だったのに対し女子は23.5%と男子の約3倍
という救いのないオマケまで付いてしまっています。
また、エイズ(HIV)患者は累計で1万人を突破し、
(殆ど誰も受けないであろうエイズ検査で見つかった人だけの数で、
潜在患者は遥かに多いと推測される)

増加率という点では先進国中トップクラス(他の国は減少傾向が殆ど)という
どうしようもない現実が展開されています。

まったくもって修正の糸口も救いようも見当たらないと言えるでしょう。
私も考察しておきながら、この現状をどうして良いのか方策が思いつきません。
どうなるんでしょうか、日本は・・・

修正どころか・・・
100年ぐらいしたらゴミ溜めのようなロクでもない国家が出来て
面白い事になっているかも知れませんね。


モテナイ男にとって性モラルの回復は、モテナイ差別の撤廃と共に悲願の一つと言えます。

ですが以前に本カテゴリで考察したとおり、モテナイ差別の撤廃は
(我々が生きている間には)実現不可能と言える程に困難と結論付けました。
そこで、今度は「性モラルの回復が可能かどうか?」について考察してみましょう。
たとえ自分はモテないままでも周囲の若人が清い恋愛を謳歌してくれるなら、
それはそれでモテナイ男にとっても精神的に住み良い社会といえるので・・・

性については欧米、とくにアメリカは日本よりもオープンであるようなイメージがあります。
つまり性モラルは日本よりも緩そうなイメージがありますが、実際は違うようです。
アメリカでは1970年代から80年代にかけてが最もモラルが退廃した時期と言われており、
売春婦の数が過去最も多かったそうです。
ですが、現在は過去に対する反動として、性モラルが見直されつつあるようです。
最近、日米中韓合同で高校生の性に対する意識調査が行われたのですが、
「結婚前は純潔を守るべきだ」という設問に対しての肯定的回答は、
米国 52・0%
中国 75・0%
韓国 73・8%
日本 33・3%

(財団法人「日本青少年研究所」発表、各国およそ3500人程度を調査対象)
となって、日本が他の国と比較してかなり低い値を示しました。
アメリカは前述の理由に加えて元々キリスト教国家であると言う面も大きいでしょう。
中国、韓国に関しては家系や儒教を重んじる風潮の結果であると思われます。

日本はアメリカの世情に対して数十年送れで影響を受ける傾向があるらしいので、
現状をアメリカの70~80年代と重ねて、
「アメリカを例に取るならば、暫く後に性モラルは回復傾向を示すのでは?」
という楽観的イメージを描く人も居るようですが、私はこの意見に疑問を感じます。

日本には他の国のような、
性モラルを規制する強固な国民宗教も無ければ、
国民思想もありません。

家制度についてもほぼ崩壊状態と言って良いでしょう。
現在は日本人が共通認識として当たり前にもつ倫理観(自己規制)は
ほぼ存在しないと考えて良いと思います。
つまり、現代日本人は確固たる基準を持たずに、
オリジナルな価値観とその場の空気で行動を選択しています。
場所、時勢を超越して守らねばならない基準を持ち合わせていないのです。
ですから中絶が許される風潮ならば堂々と中絶するし、
浮気が許されそうな風潮ならこれまた堂々と浮気します。

風船や浮き草のようにフワフワと流されて生きている感じですね。
これでは性モラルの回復(自己規制)など期待は難しいでしょう。
人間は基本的に放って置くと快楽と怠惰を追求しがちですから・・・

またご存知の方も多いでしょうが、日本人という民族は古代から近世まで
「世界でも有数な性モラルが低い民族」でもあったのです。
これについての詳細は次の考察で詳しく述べていきます。


傍観者さんから
カテゴリ:投稿コーナー
カンナさーん (著)深谷かほる」に対して返信を頂きました。



今回のエントリ、大変面白かったです。私だったら漫画喫茶にあっても多分手に取らないであろう漫画をレビューしてもらい、視野が広がりました。しかし、カンナさんに自分の理想を具現化した女性を見出すとは、覚悟さんは度量が広い方ですね。私だったら、そんな男を選んだ時点でその女は馬鹿であり、同情する必要はない、と決め付け、それ以上思いが至らなかったと思います。

さて今回のエントリを読んで思い出した漫画がありましたので、書き込みさせていただきました。

少し古い話ですが、『モーニング』に『天才柳沢教授の生活』という漫画が連載されていました。結構人気があり、ドラマ化もされていたような気がします。

漫画そのものはとても面白く、作品自体は私も大好きでした。設定やエピソードが秀逸で、個別のストーリーも考えさせるものが多く、青年誌に掲載された女性作家の漫画としては、成功した部類に入ると思います。

ただ、私はどうもこの作者(女性)と登場人物(特に女性)が好きになれませんでした。性格が悪い、好みのタイプじゃない、というのではなく、この作者が書く作品からは、多くの非モテが感じるであろう、ある種の女性に対する不信感がビシバシと伝わって来るからです。

例えばこのような回があります。就職活動が終わった時期、出席する学生がほとんどいない教室で、柳沢教授が経済史についての講義をします。たまたま出席した女子学生は居眠りをします。女子学生は金色夜叉風の夢を見ます。夢の中、女子学生は和服を着付けて海岸を歩きます。彼女には三味線引き(現実の世界ではロッカー)の彼氏がいますが、卒業を機に銀行家(柳沢教授と同じ顔をしている)と婚約することになっています。自分の後を追う三味線引きに対し、女子学生はもうついてくるな、と逆ギレします。

なぜ三味線引きと分かれるのか?と聞く銀行家(教授)に対し、女子学生は以下のように答えます。

「私は中学ではツッパリ、高校ではヤンキー、大学ではロック野郎とそのご時世で相応しい男と付き合ってまいりました。そして世に出ようという今 また人生に節目をつけなければいけないと思うのです」

あなたの愛には節目が必要なのですか?と聞く銀行家(教授)に対し、彼女はこう答えます「そうでございます やはり社会人はバリバリのエリートでなくては」

しかし銀行家は彼女に対し、まもなくアメリカのウォール街で起こる恐慌の影響で、彼の銀行も倒産するであろうと述べます。そして取り残されるのはあなたと私、二人きりです、あなたの過去の節目よりずっと長いのです、それでもあなたは私について来れますか?と問いただします(このシーンは、現実世界での教授による金融恐慌についての講義とシンクロしているようです)。

それを聞き、彼女は我に帰ります。そして急に姿がみえなくなった三味線引きを探し、以下のように言います「私一人で 出口のないトンネルに入るのはいや」

ここで彼女は夢から覚めます。教授からは、この次は目を開けて講義を聞くように、と言われて終わります。その後、彼女は現実世界のロッカーとよりを戻して話が終わります。

この話は一見、エリートとの結婚に目がくらんだ女子学生が、あるきっかけから真実の愛に目覚めた、という純愛話のように見えます。しかし私はなんともいえない不信感を感じてしまいます。

先ず、「私一人で 出口のないトンネルに入るのはいや」とは、どういうことでしょう?彼女には新たな節目で選んだエリート銀行家という伴侶がいるはずです。出口のないトンネルには、彼女一人ではなく、結婚相手の銀行家もいるはずです。なぜ彼と二人でやっていこうと思わないのでしょう?

第二に、ではもし銀行が倒産せず、出口のないトンネルに入らなくてすむのなら、彼女はどうするのでしょう?その場合は人生の節目に従い、そのままエリート銀行家と結婚すればいいわけでしょうか?それでもやはりロッカーの彼氏を選ぶのでしょうか?収入も社会的地位も上り調子の男ではなく、学生という社会でのみステータスの高い男を選ぶべきなのでしょうか?

すべての女性がそうだとまでは言いませんが、このエピソードは、ある種の女性にとって、恋愛対象がいかに戦略的に選択されているかを如実にあらわしているような気がします。それぞれのステージごとに、いかに高く評価される男を選ぶべきか、ということです。そして次のステージに進むと、前のステージの評価は無視されてしまいます。そこで選ばれる評価に首尾一貫性はありません。

穿った見方をすれば、作者自身も自分にそうした打算的な恋愛観があることを自覚しており、それで社会的地位や収入にとらわれない恋人選びというストーリーを描いたのではないか、とも思われます。その意味では、必ずしもきれいごとだけではすまない世の中で、女性がどのように考え、行動しているかを描いたという点で非常に正直であると言えます。しかし、それをいかにも純愛であるかのように描くのには、うそ臭さを感じてしまいます。

例えば、このエピソードの中では、銀行家は柳沢教授がモデルになっています。しかし、もしその銀行家が一人の個人であり、その女子学生を本当に好きだったとしたらどうなるでしょう?結局、その女子学生は彼のステータス目当てに近づいてきただけであり、彼の前途が危ういとなれば、さっさと昔の恋人のもとに走ってしまったわけです。それをさも純愛であるかのように描くのは、なんだかあまりにご都合主義のような気がします。

もっとも、これは男性(というか私)の側から見た意見なので、女性の側からはまた違った意見があるかもしれません(しかしこのブログを見る女性は皆無に等しいと思いますので、検証は不可能でしょう)。もっと色々書きたいことがありますが、ご迷惑でなければ、また別の機会に書き込みさせていただければと思っています。覚悟さん、今後ともブログの管理と興味深い文章の執筆、頑張ってください。


「モテナイ差別について」の項で述べた通り、
モテナイ男は容姿や気の弱さ故に見下されて侮蔑を受けることが多いです。
それに対し、モテナイ男の中でも色々と態度が別れています。

1.ネット上や現実世界で言論を主張して真っ向から反骨を示すタイプ。
2.どんな侮蔑を受けても一切の無抵抗を通すタイプ。
3.言論よりも嫌がらせ等で対抗しようとするタイプ。


1に関しては私自身も同じタイプとなります。
3に関しては状況にもよりますが、褒められた行為ではないので論外とします。
ですが、ここで問題としたい存在は2です。

基本的にどんな態度を取ろうが、個々人の勝手です。
侮蔑に晒されてもヘラヘラする事が自分にとって一番良いと思うなら
どうぞご勝手に・・・としか掛ける言葉はありません。
ですが、心に少しでも燻りを感じているにも関わらず、
「声を上げるのはみっともない、我慢するのが大人として正しい対応」
そう思い込もうとしている人には再考を薦めたい気持ちもあります。

昔、「特命リサーチ200X」という科学考証番組で
「キレやすい人間」の特集をやっていました。
そこでは「他人の悪口を良く言う人」よりも
「他人の悪口を過度に自重する人」の方がキレ易いと述べていました。
例えば上司に理不尽な理由で怒られたとして、
それを愚痴として出せる人はその事でストレスを発散して、
「酷い事をされたが、俺も仕返ししたからアイコだ」という気持ちになれるが、
そこで陰口を叩かない(叩けない)人はそのストレスを丸々溜め込んで、
次にさらに理不尽に怒られたときに
「理不尽を受けても、陰口はしないでやったのに貴様は相変わらずか!!」
不平等感からキレ易くなってしまうとの話でした。

勿論、己の手落ちにより怒られるべくして怒られた事や
人としてあるまじき行為を責められたのなら、
それに対しては怒りを抑えて冷静に受け止めるべきですが、
客観性や正当性に欠ける理不尽に対しての怒りであるならば、
「言論」で反骨を示すことは、むしろ人間として正常であると私は考えます。
ただし、暴力などは余程の危機的状況以外で使うべきではないですが。
ガンジーもキング牧師も非暴力主義者でしたが、無抵抗主義者ではありません。
彼らもまた白人を言論では厳しく糾弾しています。

どんなに侮蔑を受けても無抵抗、暴虐に晒されても無抵抗、それで心には
何の痛みもストレスも感じないという人であれば、無抵抗も適当と言えます。
ですが、何らかの無理をして「強引な痩せ我慢」をしているのであれば、
それは最終的により大きな「暴走」を生みかねないと言っておきます。
確かに理不尽に対する形とはいえ、声を上げることは大人気なく見えます。
この思考は日本男性には特に強いでしょう。
女性にのみ専用車両を与えるという理不尽をなし崩しで認めたりとか。
これも「イチイチ反論してたら格好悪いから」という考えからでしょう。

また、何らかの生きがいでストレスを発散する事は出来ますが、
愛されないストレスと、侮蔑に晒されるストレスは質が違います。
愛されないというのは特に憎むべき対象が存在するわけでもなく、
漠然とした寂しさのようなものです。
ですから何かに夢中になれる時間をもてればかなり軽減が出来ます。
ですが、侮蔑に晒されるストレスは特定の憎悪の対象が生まれてしまいます。
○○さんにバカにされた、××さんに差別された、女が憎い、男が憎いetcetc
これらに対しても生きがいである程度ストレスは発散できますが、
やはり(言論で)殴り返すのが最も容易いストレス発散なのです。
直接論争を行うのは元より、陰口レベルだとしても・・・

単純にカッコつけるだけではなく、
より大きな破綻を生み出さない為のストレス管理という観点で
今一度自分に適したスタイルを考え直すのも良い事だと私は考えます。


※以下はかなり私的な話なので適当に読んでください※


「カンナさーん」という漫画をご存知でしょうか?

私はモテナイ仲間と久々に一献交わした帰りに漫画喫茶でこの作品と出会いました。
どう見てもガングロデブスとしか言い様がない女性がドンッと描かれた表紙を見て、
何か只ならぬオーラを感じ、手にとってしまいました。
2巻までを読み終えて感じた感想は・・・

「何、この俺の理想を具現化したような女は!!」でした。

簡単なあらすじを言うと、
デブスな人妻のカンナが夫の浮気が原因で離婚となり、
子育てと仕事の両立に悪戦苦闘する話です。
話自体はありがちですが、このカンナという女性は常に一本の筋を通して行動します。
良い意味で女性らしくない女性なのです。

優しいは優しいが無責任で情動的な夫は妻カンナと息子レオがいながら、
かつての恋人と浮気関係となってしまいます。
息子が病気でも妻が看病で倒れても、出張と偽って浮気相手に会いに行く極悪さです。
そして、その事がカンナにバレてしまいます。
ここでカンナは自分が裏切られた事よりも
レオが病気で苦しんでるのを知った上で浮気相手に会っていた、
浮気相手に会ってた挙句にレオの誕生日祝いも誕生日プレゼントも忘れた」
という、
子供をないがしろにした事が許せなくて、離婚という選択を選びます。

実はこの時点でカンナはまだ拠りを戻すことを薄々期待していたようですが・・・
結局旦那はカンナを引き止める事もせず、あっさり浮気相手の下に走りました。
離婚後、事故で怪我を負ったカンナを心配して夫が現れますが、
ここでの会話が非常に印象的でした。
「私の事心配してくれるのは嬉しいけど・・・
今の彼女が妊娠してもこんな態度で浮ついてるつもり?
あなたは優しい人だと思うけど、優しさが中途半端過ぎる。
それじゃ皆を不幸にするだけ。
私も彼女も幸せにするなんて都合の良い事は出来ないのよ。」

そのような旨を伝えて夫との未練を断ち切りました。

普通であれば、未練のある相手が此方に気をかけてるならば、
それをシメシメと思い奪い返す算段を立てても不思議ではありません。
意中の男を捕まえる為には他人が不幸になろうが知ったことではないからです。
実際に夫と浮気相手はカンナの幸せを踏みにじって、
テメェ勝手の幸せを掴みました。

ですが、カンナは違います。

・夫から浮気相手にアプローチした事を認識している
(一方的に浮気相手を責めず、夫の方がより非が大きい事を冷静に理解している)
・既に壊れた関係を(女としての)私情で無理に取り繕う事は子供の為に良くない。
・女としての感情と母としての感情を天秤にかけて、母で在る事を優先した。


冷静な客観的なそして慈愛に満ちた判断から、夫との関係を断ち切ったのです。
ですが、愛した夫と拠りを戻したい気持ちを諦めたショックは大きく、
土砂降りの中、元夫に背を向けて
不細工なカンナはボロボロと涙を流していました・・・

その後、このダメ元夫は浮気相手とも意見の相違から別れる事となります。
そして今までの自分を恥じたのか、カンナへの罪悪感に今更ながらに駆られ、
彼女にマンションをプレゼントする為にまさに決死の覚悟で仕事を始めます。
カンナはそんな事を知るはずもなく、
彼女を甲斐甲斐しく世話をしてくれた家庭的な男性と再婚を考えていました。
そんな矢先に突然元夫が現れてカンナにマンションをプレゼントします。
復縁を迫っての意味ではなく、あくまで償いとしての完全な無償提供でした。
(今更なんて突拍子も無い事をするアホだと呆れる部分もありますが)
カンナはかつて酷い裏切りをされたとは言え、
自分のために幽鬼のようにやせ細ってまで働いてくれた元夫に心動きます。
ですが、ここでもカンナは一本筋の通った態度を示します。
後ろ髪引く思いを感じながらも、あくまで過去の関係は過去とし、
甲斐甲斐しく世話をしてくれた男性を夫として向かえる意思を示します。
元夫がプレゼントしてくれたマンションは丁重に返却して、
その償いの気持ちだけを受け取り、彼を許そうとしました。
ですが、再婚予定の相手はカンナの苦悩を察し、半ば強引に自ら身を引きます。
カンナの優しさと元夫の身体を張った贖罪があった上だからこそ、
身を引く価値もある、安心して身が引けると思ったのでしょう。
結果として元夫とは再婚とはならないものの、半復縁のような状態となります。

その後も仕事(一流デザイナーを目指すのが夢)と育児の両立で苦しみますが、
子供の為には夢を諦める事も、仕事を変える事にも躊躇はありません。
(元夫は事業で大穴をあけてしまい、援助が期待できない)
彼女の行動原理は全て「母として我が子を守る」に終始しています。

私が読んだ2巻までの内容はこんなところです。


一見するとカンナの優しい性格が苦境を好転させたように見えますが、
実は「幸運によって支えられている」に過ぎません・・・
・夫がたまたま浮気相手と縁が切れたから復縁出来ただけかもしれない。
・夫が自分の悪行を恥じて、それを命懸けで償おうと出来る人間であった事。
・周囲の人間がカンナを温かくフォローしてくれた事。

よき友を多く持っていたのは人徳の為す所でしょうが、
「夫が心からの反省が出来る人間だった」という幸運?に救われた面は大きいです。
こういう自分勝手に裏切る人間は現実では大抵が「一生そのまま」です。

これは私の身勝手な持論ですが、
他人を心底踏みにじる裏切りが1度でも出来る奴は、大抵2度目も裏切る。
そして2度以上の裏切りを犯せる奴は九分九厘で永遠に直らない。

と考えます・・・

彼女のようなお人好しが救われたのは、マンガの世界だからであって、
現実では食い物にされる可能性が高いです。
例えばこのような夫の場合はカンナの優しさに付け込み、
反省したフリをして「温かい家庭ゴッコ」の為だけに家族を繋ぎとめ、
裏では刺激的な浮気を継続するという汚い手段をとる事もありえるでしょう。
(というか作品中でも最初はそうしようとしていたフシが見える)

まだ2巻までしか読んでないので、断言は出来ませんが、
カンナの行動にはモテナイ男が憧れる真実の愛に近いものを感じました。
逆に序盤の旦那の行動は寧ろ(悪い意味で)女性的な印象を受けます。
色々と考えさせられる部分ですね・・・

また、身勝手な行動が伴侶をどれだけ傷つける事になるのか、
将来結婚を夢見るモテナイ男ならば己を戒める意味で読むのも良いかも。

私もじっくりと読むべく、アマゾンで早速取り寄せる事としました。


傍観者さんから
カテゴリ:電波男考察
電波男を真に理解する事」に考察を頂きました。



恋愛の構成要件

某巨大掲示板で「恋愛の構成要件」について書き込みをされていた人がいました。恋愛放棄を主張するこのブログの趣旨とはちょっと方向が違うかもしれませんが、『電波男』の可能性や、管理人さんへのラブレター?などについて考える際に参考になると思うので紹介します。もし本ブログの趣旨に合わない、あるいは、もともとこれを書いた方が望まないのであれば、この書き込みは削除していただければと思っています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

741 :('A`):2005/08/07(日) 02:05:51 0
>>729
恋愛の構成用件を考えてみよう
(1) 相手を探すためにいろいろな作戦を行うこと
(2) 相手と語らったり行動をともにして、相手を良く知り、自分にとって大切な人であることを確信し、その相手といっしょに居られることに喜びを見出すこと
(3) セックス

本来は、ひとりの生身の人間を相手として(1)―(3)は得られるべきものであるが、それが難しい場合があるので、かわりに個別に商品として提供するのが、キャバクラや風俗であり、
(1) キャバクラ
(3) 風俗
となるだろう。

747 :('A`):2005/08/07(日) 02:19:18 0
741つづき

(1)と(3)の重要度はひとによってまちまちである。それぞれの守備範囲を踏まえたうえで、適切に利用すれば良いだろう。

しかし、(2)はパーソナリティが関わるため商品化が難しく、これまでそのようなサービスは登場しなかった。そこへ、脳内恋愛あるいは二次元恋愛という手法を提案したものが電波男である。ここで注目すべきことは、(1),(3)は商品が直接望むものを提供するのに対し、(2)に関連した商品、すなわち、ポルノゲームやアニメは支援するだけであり、最終的に(2)を手にいれるのに必要なものは、己の妄想能力である。本田氏は、この点を強調して、金や容姿によらないまったく平等な手法だと主張している。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

何をえらそうに、といわれそうですが、通常の恋愛が(1)→(2)→(3)の順番で進むのはほぼ間違いないと思われます(通常の出会いでもいきなり(3)から始まる人はこの際、除外して考えます)。そして異論はあるかもしれませんが、男女に限らず、もてない人は、(1)の段階でシャットアウトを食らうのがほとんどではないかと思います。(2)の段階でシャットアウトを食らうのは、そもそも、もてない人とは言えないと思います。

そして(1)の段階でシャットアウトされる人は、管理人さんの言葉を借りれば、雄としての魅力のない人々、雌としての魅力のない人々になると思います。いわば、気が弱くて世渡り下手なブサイクと言い換えてもいいかもしれません。博愛主義者もこの中に入るかもしれません。その場合、もし(2)の段階に進めた場合には、相互によい関係を作ることが出来たかもしれないにも関わらず、その機会が失われることになります。

実生活での(1)の段階は、偶然をはじめ、かなり色々な要因に左右されます。ただ、雄や雌としての魅力のない者は、魅力のある者よりもはるかに不利な立場におかれることとなります。しかし、(1)の段階でシャットアウトされる人が、もし何らかのかたちで(2)に進んだ場合には、他の雄や雌としての魅力のある人々と同じ土俵に乗ることが出来るのかもしれません。「男は外見ではなく内面」という非常に胡散臭い、虚飾に満ちた台詞も、この限りにおいてのみ当てはまるのかもしれません(ただし(1)の段階では絶対に当てはまりませんが)。

出会い系サイトが流行ったり、ネットやブログで知り合った者が付き合い始めたりするのは、そういう理由があるのかもしれません。要するに、インターネット上での仮想空間では、構成要素の内の(1)の障害が比較的小さいのではないかと思います。そしてイタズラ目的かもしれませんが、管理人さんや『電波男』の本田さんにメールを送る人が存在するのは、(1)の段階では分からない、(2)の段階の魅力を知ることが出来たからではないかと思います。

そうすると、もともとの構成要素が転倒し、(2)→(1)→(3)になる可能性があるのかもしれません。この場合の(1)は、相手を探すためにいろいろな作戦を行うこと、というよりも、相手の第一印象や、恋愛対象としてもいいかどうかという直感的な判断に近くなるかもしれません。

こうやって書いてみると、なんだか当たり前のことですね。長文失礼しました


本blogも来場者数が増え、色々とご意見を貰う事が多くなりました。
そこで一応ながら本blogの姿勢を示しておこうと思います。


モテナイ男の「道徳に乗っ取った理想主義的恋愛観」
「恋愛放棄」を基準に色々と主張をしていますが、
別段にそれ以外の人々に「是正」を求めては居ません。

ヤリチン村の人はヤリチン村の住人同士で勝手に乱交してて下さい。
モラリスト村のモテナイ男は同じ村民同士で仲良くてしますので。

※この場合のヤリチンとは真実の愛を軽んじる人と捉えて下さい※
こういうことです。

我々は「ヤリチン村」の人間がハッキリ言えば大嫌いです、
馴れ合う気もありません。
これはもう嫌いなものは嫌いなんですから仕方ありません。
嫌う理由は本blogを読んで頂ければ分ると思います。
ですが、それはあくまで個人的感情です。
ヤリチン村の人間をモラリスト村に引きずり込む気は毛頭ありません。
好き勝手に振舞って頂いて結構です。
勿論我々に対して「お前もヤリチン村に来い」と言う人がいれば、
断固拒否します。

ただ、モテナイ男は現実社会と乖離した存在の為、
正しい理解がされていない部分があります。
そこで「モテナイ男ってこんな存在です」と広告するのがこのblogの目的です。
また、モテナイ男の価値観に否定的な意見を述べたblogも見受けられるので、
それらに対してのカウンターアタックという意味もあります。
やられっぱなしじゃ、ストレスが溜まりますからね。
もちろん、反論(罵詈雑言含め)が付く事は覚悟の上で運営していますが。

別に性モラルの回復なんて事を期待しているわけでも何でもありません。
というか既に怒りを通り越して絶望と諦観に近い感情ですので・・・
本blogの内容を読んで「自分の存在が否定されている」
憤怒を感じる人も居るかもしれませんが、別に是正も求めていませんし、
物理的にどうこう出来る権限も持って居ない事は理解して下さい。

ですから、
イケメンが好きなら好きなだけ容姿差別して下さい。
金持ちが好きなら好きなだけ金銭差別して下さい。
乱交したければ好きなだけまぐわって下さい。
浮気をしたければ好きなだけ浮気して下さい。
中絶したければ好きなだけ堕胎して下さい。
子殺しをしたければ好きなだけ殺して下さい。
種違いの子を産みたければ好きなだけ産んで下さい。


我々にはそれを止められる権限はありません。
ただ、傷つけられた人の無念に涙を流し、
自分だけは流されまいと己を戒めるだけです。


いずるさんからのお便りです。
ジャンル:電波男
「恋が真実の愛へと変わるまで」への返信です。




 多分自分が「喪男」とは違うカテゴリーに入る人間であるせいで理解がおぼついていないのだと思うのですが、ひとつ質問させて下さい。

 何故 「真実の愛」を求める必然があるのでしょう?

 私は基本的に、女性とは基本的に自己愛に基づいて生きており、自分の利益と世間体の良さを両立させることに腐心している存在である、と思っています。でもそれでいいのではないでしょうか? 他でもないこの私自身も自己愛と利益と世間体を大事にして生きています。私自身がそうした穢れた主体である以上、他者にそうした潔白さを要求することは身勝手であると考えます。

 もしかすると「覚悟#o25/X8aE」さんは私と異なる方なのかもしれません。私とは異なり、本当に尊重すべき他者に対して「常に」誠実でいられる方なのかもしれません。私はそういう人間ではないし、今後誰かを愛したとしても(とはいえその可能性は皆無です。後に述べます)その誰かのために本当に誠実であり続けることが出来るかどうか、自信がありません。そして、相手が私の与り知らないところで嘘をつき、利己的な行動に走ったとしてもそれで相手を断罪出来る厳格さもありません。

 何故なら、まさにそうした嘘や腹芸や利己心を交えた世界の中に私は生きているからです。そういう世界で私は仕事をして、ブログを更新して、本を読んで、眠ります。そうした嘘や腹芸や利己心は、それだけを取り上げれば悪でしょう。しかしその人物にそうする必然が生じたと思うなら、私はその人間を責めたいとは思いません。

 美容整形について考えてみれば分かりやすいと思います。美容整形とは恐らく覚悟さんの視点からすれば「悪」でしょう。それは美醜を云々する世俗的で唾棄すべき価値観に染まったからこそ成される行為なのですから。私も美容整形を基本的に肯定するつもりはありません。ただ、その人がそうする必然があると己の中で結論付けて成した行為なのだとしたら、私はその人を裁くことは出来ません。

 何が言いたいかというと、この世の中は腹芸と騙し合いと自己愛に満ちていて、三次元の女性も(もちろん私も)倫理的に振る舞うことなど出来なくて、人格的にも完璧とは言えないでしょう。しかし、私はそれが「当たり前」だと思うので、そうしたノイズを排した恋愛を(己もまた無垢である、という確信の元に)求められる気持ちが分からないのです。

 ちなみに私が誰かを愛する可能性が皆無であるというのは、私は異性・同性を問わず他者に恋愛感情を抱いたことが全くないからです。あるのはその人物を全面的に受容する恋愛の経験ではなく、たまたま言葉を交わすことでお互いの何かを共有したと思える、そんなささやかな記憶です。……それだけで十分ではないか、と思うのです(それをこそ「友愛」と呼ぶべきでしょう)。それ以上のもの、あり得ない「真実の愛」を誰かに求めることも誰かから求められることも、私にとっては非常にうざったいです。

 既に長ったらしいコメントになってしまいました。不都合なら削除してもらっても構いません。ただ、過去にこういう文章を書いたことがあります。これらについてのみ目を通して、こういう人間がいるのだと理解していただければ幸いです。
http://d.hatena.ne.jp/iduru/20050201
http://d.hatena.ne.jp/iduru/20050214
http://d.hatena.ne.jp/iduru/20050217



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