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数は減ったが…十代の出産で米国民の負担1兆円
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/worldecon/26209
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十代の女性の出産は1990年代初めと比べて激減したが、
なお1000人当たり41件の出産があり、これらの母子の生活を
支えるため、米国民は大きな負担を強いられているとする報告が発表された。
非営利団体「十代の妊娠防止キャンペーン」の依頼で、デラウェア大の
ソール・ホフマン経済学教授らが、おもに2004年のデータからまとめた。
十代の女性の出産は1991年の1000人当たり62件から3分の1も減っていた。
だが、十代が出産した場合、20歳以上の女性の出産と比べて、
医療費、保育費などの公的負担がどれだけ増えたかを試算したところ、
91億ドル(約1兆470億円)にものぼった。
計算には出産しなければ納められたはずだった税金額なども加味された。
巨額の負担のうち86億ドルは17歳以下の出産によってもたらされた。
同団体のサラ・ブラウンさんは「事態がなお深刻であることを
金額で認識してもらいたかった」と話している。
一方、ガットマッカー研究所の調査では、十代の妊娠中絶は91年には
1000人当たり37件だったのが02年には22件に減少している。
ブラウンさんは十代の中絶、出産の減少について
「少女たちがセックスを控え、避妊に気をつけるような
社会的傾向になってきた」と評価している。(ワシントン ウェンディー・コッチ)

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はっきりと言います。
子供を育てられないガキが妊娠する(させる)事「悪」である。
私はその思想を絶対に揺るがす事はありません。

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先日、仕事帰りにこんな事がありました。
駅のホームで電車を待っていると、酒に酔ったと思われる
若い女性が線路に向かってフラフラと歩いているのです。
"まもなく電車が来ます"の表示が出ていたので「ヤバイ!!」と思い、
咄嗟に肩を掴んで引き戻そうと思ったのですが・・・・

肩を掴もうとした時、一瞬脳に過ったのです。
私の今までの人生経験から、深層意識に染み付いてしまった危険シグナル。
「女の体に触れたら、キモがられる、セクハラ扱いされる!!」
そして私は途中まで出した手を無意識に引っ込めてしまいました。


その女性は・・・というと、私の隣に居たハゲチャビンのオッチャン
「危ない!!」と女性の両肩を掴んで後ろに引き戻して事なきを得ました。
ですが・・・その女は命を救ってくれたオッチャンに
「さわんなハゲ!!キモい、※○▲×あせふじk」と、
訳の分からない暴言を吐きかけ、オッチャンは困ってオロオロ。
私は見るに見かねて、30m程後方に居た駅員さんを呼びに行き、
その恩知らずの泥酔女をさっさと引き下げてもらいました。

この出来事を通して、一つ私の中に喪男としての悩みが生まれた。
我々喪男は今回のような「女性が事故、事件に巻き込まれそうな状況」
に於いて救うべきか救わざるべきか?という事。

「人としての義務」という面で見れば、助けるのが正解でしょう。
ですが、我々は人は人でも「喪男」という特殊な立場にある存在です。
我々は基本的に女性からは忌み嫌われる存在であり、
彼らから(ビジネスとしての場合を除き)利益を受ける事はまったく無い。
そればかりか、侮蔑や差別を受ける事が殆ど。
はっきり言えば我々に「女を救う義理は無い」のです。
更に言えば今回の事例で見れば、泥酔女性を助けたオッチャンは
「人として正しい選択?」をしたのですが、その結果と言えば
感謝されるどころか「ハゲ、キモイ」と侮蔑されただけ。
得が無かったどころか損害を蒙った訳です。
対して「人として間違った選択?」をした筈の私は
侮蔑されるかも知れなかった場面を無損害で済んでしまった。
過去の経験から得た「女性への恐怖心」に結果として救われてしまった。
しかし、それは結果として女性が死ななかったから言える事で
仮にその場に勇気あるオッチャンが存在せず、
その女性が「潰れたトマト」になってしまった場合は
私は(それ程でもないが)罪悪感を背負う羽目になっていた。
「オッチャン」という第三者が私の身代わりになって
嫌な役目を果たしてくれたから・・・偶然に救われたに過ぎない。
結局、喪男がこういった場面に遭遇すると、どの選択肢も暗いものです。

1.女性を助ける。
 →憎しみを抑えてまで助けたにも拘らず侮蔑を受ける。
2.女性を助けない。
 →女性が死傷した場合、若干罪悪感を感じる。
3.第三者が助けてくれる事を祈る。
 →上手くいけば無損害だが、所詮は運頼み。


本当の意味で我々が楽になるには、心を凍らせるのが良いのかも。
クソ雌が目の前で潰れたトマトになっても、
何の罪悪感も感じずに冷笑できる凍てついた心

これを手に入れた時、真の意味で女から解放されるのかも知れません。
そう考えると、咄嗟に手を差し伸べようとした
自分はまだまだ修行が足りないのでしょうね。
修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ!!


※追記※
もしもこの記事を読んでいる女性が居たら考えて貰いたい。
これからの時代、私のような男は少しずつ増えていくでしょう。
女性から侮蔑されたトラウマから、女性に冷淡な考えを持つようになり、
仮に女性が身体生命の危機に陥っている場面に遭遇しても、
それを救おうとしない、できない男性が・・・

もしもそういった男性が世の中に増える事を良い事と思わないなら、
貴女は貴女のやれる範囲で「そういう男性が増えないように」
気を付けて言動を選んだ方が良いかもしれない。
勿論、それを受けて自身を改めるも改めないも自由です。
ですが、改めないのだとしたら・・・
例えば貴女が殺人鬼に襲われて殺されそうになったとして、
通りがかった男性に救いを求めたとしても・・・
その男性は冷たい笑顔を浮かべて貴女を見捨て去るかもしれません。
そうなったとしても、それは自業自得である事だけは理解して下さい。


もう一つ、前の記事と関連して思った事を。
「DQNに萌えを教えれば、凶暴性を消す事が出来る」
という考えを主張している喪男?サイトがあるのですが、
ネタじゃなくて本気だとしたらマジで馬鹿としか言いようが無い。

そもそもDQNとは何か?私個人の定義としては・・・
「利己の為なら他者が傷つく事も厭わない、自制出来ない強度のエゴイスト」
平たく言うと「我慢の出来ない野獣」って事ですね。
なぜ彼らは自分の欲求を自制する事が出来ないのか?
大まかに2つのパターンが考えられます。

1.脳にある種の障害がある。
2.欲求を抑制する訓練(教育)が不足している。


最近は人間の様々な感情の起伏(喜怒哀楽)は、
脳内物質によって制御されている事が分かっています。
例えば、過度に興奮した場合はそれを抑制するために
セロトニンが放出されたり、敵に襲われたときは
ノルアドレナリンを分泌して興奮状態となったりするのは有名です。
当然ながら興奮を抑えるセロトニンが何らかの原因により不足してるなら、
何らかの事態が起こったときにノルアドレナリンによる興奮を
抑えることが出来ず、些細な事で他人を殺傷に至るかも知れません。
アメリカで重犯罪(殺人、レイプ等)を犯した犯人の脳を調べた結果、
理性を司るといわれる前頭葉の未発達やセロトニンの分泌不足、
ノルアドレナリンの過剰分泌などの異常を持った場合が
少なからずあるという研究結果が存在するのです。

また、人間は基本的に原始状態では暴力的な場合が多いです。
インドネシアやアフリカなどの原住民達では闘争(喧嘩や戦争)
による死亡率が全体の6割に達する場合もあり、
(第二次世界大戦でのヨーロッパ諸国の死者はせいぜい人口の数%程度)
人間は特別にモラルやルールなどを守る訓練(教育)を受けない限りは
その殆どがDQN状態なのです。

当然ながら親や教師、周囲の環境がその人間にモラルや
ルールを守ることを強制しなかったとしたならば
(破っても咎めなかったなら)その人間は極めて原始的(幼児的)な
価値観を持ったまま成長し、欲望を抑える事は出来ないでしょう。
これらの理由で強度のエゴイストとなってしまった人間が
果たして萌え(生きがい)でモラリストとなれるのか?

どー考えてもなれるわけが無いw

そもそも萌えによる暴力抑制効果を説いたのは電波男著者である本田氏ですが、
彼はその効果を都井睦雄のような暗黒化した喪男」に対してのみ認めているだけです。
つまり元々はルールやモラルを守って大人しく生きる事を好んでいた人間が
何らかのトラウマを抱えて暗黒面に転落しそうになった場合に
心の支えとして萌えが活用できるというだけであって、
生まれながらに端っからルールもモラルも守らないで生きてきた
「ナチュラルボーン」に対しての救済効果があるとは一切言ってないし、
私もそんな相手に萌えによる思想改革が出来るとは到底思えません。
荒んだ喪男にマルチを与えたら、明るくなってマルチと愛を紡げるかもしれませんが、
DQNにマルチを与えても精液便所にした挙句、飽きたら捨てて終わり。
郁井睦雄を萌えで救う事は出来ても、コンクリ殺人犯の神作を救う事は無理なのです。

更には「DQNはファンシーグッズをやたら好むから心の奥では癒しを求めて云々」等と
訳の分からないこじつけに近い理論展開までしていましたが、馬鹿も休み休み言えと
DQNがファンシーグッズ等で車内なんかを飾り立てているのは確かに多く見かけるが、
それは単純に「派手で目立つものを好む」だけでしょう。
実際にそういったものだけでなく、チャラチャラしたアクセサリーや
ドクロや死神などの禍々しいデザインや派手な原色カラーが彼らは大好き。
特に拘りも脈絡も無く、適当に派手なものを集めているようにしか思えない。
(ファンシーグッズは派手なだけでなく安価ですから集め易いのでしょう)
そしてなぜDQNはそういった「派手なもの」を好むのか?
ネイティブアメリカンやアフリカの原住民の酋長を見ると分かると思いますが、
「原始的な価値観では派手で目立つ事が力の象徴」だからです。
これが高度な文化や周囲との対人関係を通して幼児的な全能感を捨て去った
人間(一般人)であるならば「派手過ぎる格好(過度の自己主張)は恥である」とか
「落ち着いた服装の方が理知的で格好良い」等と考えたりしますが、
ルールもクソも無く、自分が本能的にやりたい放題に生きてきた人間は
そういった「社会からの目」を意識せずに原始的な美的感覚をそのまま曝け出します。
要するに癒しもクソもなく、孔雀が羽を広げる感覚でファンシーグッズを買ってるだけ。
まあ、DQNは「快楽に対して従順」なのでオタク化させるだけなら可能でしょう。
個人的経験ですが「面白い漫画」「面白いゲーム」を与えると
サルのように嵌まって気が付けばオタクになってたDQNも少なくないです。
ですが、彼らはそれでオタクになる事はあっても
モラリストになる事は決してない。

快楽の為なら平気でアニメも見るし、漫画も読むし、女も犯す。
それがDQNですからね

結論として彼等を人畜無害の人格に矯正しようとするなら、
薬を常用させて興奮状態にならないようにし、戸塚ヨットスクールに
ぶち込んで自制する事を覚えさせる事ぐらいしか無いでしょう。


はてな系喪男?サイトの一部で時々以下のような論旨を見かけます。

「喪男と女性が敵対するのはお互いの誤解が呼んだ不幸」
「DQNに萌えを教えれば、凶暴性を消す事が出来る」

上記の論旨に共通する観念を探っていくと、とどのつまりは
「DQN(或いは女性)と喪男の違いをキチンと考察し理解してあげよう」
こういう話になると思うのですが・・・実に胡散臭い
確かに「攻撃パターンを熟知する」「懐柔手法、手練手管を熟知する」などの
自衛のために相手の戦略を看破しようとするのは大切です。
そういった意味での理解(というか分析)は必要ですし、
実際に喪男道でもその手の記事は幾らでも書いています。
ですが我々が考えるべきはそこまでで十分。

そこから先・・・彼らがなぜDQNになったのか?
女性はどうして喪男をイジメるに至るのか?
なぜ女性はそういった行動に駆られるのか?

そういった敵側の(我々にとって不利益をもたらす)
行動のバックボーンに対してまで考慮をしてやる必要はないだろうと。
仮に彼らに何らかの「可哀そうな事情」があったとして、
それ故に我々をイジメてしまうのだとしても、
そんな事はイジメられる側の我々にとって歯糞ほどの価値も無い
奴らが我々を攻撃するという事実。
そして我々は自力でそれを防衛するしかないという現実。
これら「今、目の前にある直面した問題」から身を護る事こそが重要で、
その防衛戦の結果、仮に相手側が精神的或いは肉体的に
再起不能なほど傷ついたとしてもそんな事はどうだっていい。
私は私を護る事が最も大切で、侵略者を返り討ちにして殺したところで
そんな事に心を痛める余裕は無いし、そんな甘さも持ち合わせていない。
そもそも他人の人権に侵略してきた方が悪いんだから。

そして何より、相互理解したところで争いが無くなる訳が無い
争いが起こる原因とは、大半が「利害の不一致」によるものです。
例えば我々が「なぜ女性はキモメンをイジメるのか?」という理由を探り、
「キモメンのような劣悪な遺伝子を持つ雄と仲良くなって
交尾に至り、劣悪な子供を身篭ってしまうと、子育てのリスクを
負っている女性側としては恐怖を本能的に抱いてしまうから」

という原因を理解したとします。
これは本能的な要素ですから、当人に責任は無いと言えば無い。
ある意味で「本能的欲求に縛られている可哀そうな人」とも言えます。
だが、だからと言って攻撃を仕掛けてくることが容認できるだろうか?
そんなこと、出来るわけが無い!!
殴られれば殴り返したくなるし、悪口を言われれば言い返したい。
それが極普通の、極正常な神経なのです。

同じような事は相手側にも成り立つでしょう。
我々喪男がその醜い容姿のせいで、女性から酷い虐待を受けて
心身ともに傷ついてしまったという「可哀そうな過去」を持つ故に
性モラルや恋愛モラルに厳しくなり、女性を煩く糾弾してしまう。
仮に女性がこれを理解したところで、
「じゃあ、自身の性モラルを戒めよう」
「じゃあ、甘んじて糾弾を受け入れよう」
等と思うだろうか?
絶対に思うわけが無い!!
なぜなら、そう思ってしまったら自分が損をするから。
喪男のバックボーンに同情し、その正当性を認めたならイケメンと
浮気する事も出来なくなるし、アッシーメッシーを持つ事も出来なくなる。
自分自身の行動を「悪業」と認めなければならなくなる。
大抵の人間は相手の「可哀そうなバックボーン」に気が付いても、
相手の意見に含まれる「幾つかの正当性」に気が付いても、
それが自身の既得権益や尊厳を奪うものであるならば絶対に認めない。
何よりも誰よりも、自身の利得が奪われる事が嫌だから。。

だから、自分と利害が不一致する人間の考えや立場を
敢えて理解しないように目を瞑るし、仮に理解したとしても
理解していないように振舞う人々は少なくない。
そういった「確信犯達の自己正当化演技」を見て、
「ああ、彼らは相互理解できてないから誤解してるから争うんだ」
そう思うのはあまりに軽率すぎるのではないかと。


注目すべきは自身の利益不利益と、相手側の利益不利益、
そして相手側が我々に対してどういった行動を取り、
その行動が自身にどういった影響を及ぼすのか?
その影響に対して自身は協調を取るべきか、敵対をとるべきか?
どちらが「満足できる結果」を導き出せるのか?
ただそれだけを考えれば良いだけなんじゃないかと思うのです。
それ以上の理解は、自分の首を絞めるだけじゃないかなと。

ライオンは何も考えずにシマウマを殺して食うだけですし、
シマウマはライオンを蹴り殺す事か、逃げる事しか考えない。
シマウマがどんな生き方をして、何に笑い、何に悲しんでいるか?
そんな事はライオンにとってどうでも良いし、知ったところで
シマウマを食う事を止めるわけにはいかない(自分が餓死してしまう)
それはシマウマも同じ事でしょう。
仮にライオンがどんな事情を抱えていようが、黙って食われるわけにはいかない。
必要とあれば彼等をただ無感情に冷徹に蹴り殺すだけなのです。

もしも、ライオンの気持ちにシマウマが共感してしまったら・・・
そのシマウマはライオンに食い殺され、クソとしてヒリ出されて終わり

ま、こんな事はわざわざ記事にして掘り下げなくても
イスラエルのレバノン侵攻等を見れば簡単に理解できるでしょう。


面白い記事を発見したのでご覧下さい。


【ファンキー通信】ニート事情に変化? 「カジテツ姫」って何?
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2170270/detail?rd
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カジテツとは、「家事手伝い」のこと。よくテレビや雑誌などで、
「職業=家事手伝い」と紹介されている女性がいますよね?

~中略~

ほほう~、つまり花嫁修業にかこつけて、趣味の習い事やら、
エステやら、リラクゼーションやら“気ままな道楽生活”を
職業としているわけですね。なんとも羨ましい限りです。
でも待てよ? 「家事手伝い」って職業なのか? 
「自分で金を稼ぐ必要がないから働かない」→「親の金をあてにして生活している」
って、れっきとした「パラサイトシングル」じゃないですか! 
それに働く気もないとなると、むしろニートなんじゃないの!?

~中略~

厚生労働省では、ニートの定義に「家事の手伝いさえもしない」ということを
加えているから、「家事手伝い」をニートと見なさないのだそう。
一方内閣府では、「家事手伝いは、求職活動をしていない・する気もない」
ということから、ニートの分類のひとつとしているんだって。
ちなみに厚生労働省の統計では、ニートの数が約64万人(平成16年度)、
内閣府の統計では84.7万人(平成13年度)だそうな。
調査した年は異なるとはいえ、その差20万人って・・・。
優雅な暮らしをしている「カジテツ姫」って、そんなにたくさんいるの!?

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最近、「貧しい負け犬女(干物女)」を取り上げた記事や
こういった「女ニート」の正体を暴く記事などを見かける事が増えました。
恐らくですが、男女平等という思想を女性が過剰に訴えた結果として、
今まで「女性だから」で許されてきた領域(この場合は家事手伝いという合法的?ニート)
に対しても非難或いは中傷のメスが切り込まれるようになったのではと。

今まで女性は女性特有の既得権益(過激労務の免除、扶養される権利など)を
守りながらも、男性と同様の発言権及び権限を得ようと暴れてきましたが、
世の中、半分以上が男である訳ですから、その矛盾に気付かれない訳が無い。

当然ながら「そんなに平等がイイなら、手前らの隠れ蓑も剥ぎ取ってやる!!」
そう考える人々がマスコミや知識人の中から出てきても当然な訳です。

私は基本的にジェンダーフリーなどの考えに対して否定的な立場を取りますが、
よくよく考えると「完全な自由」というのも悪くないかも知れない。
なぜなら完全な自由の元では温情的な隠れ蓑はアッサリと剥ぎ取られ、
男も女も丸裸の状態で弱肉強食の世界に晒される訳ですから。

女を傷つけた?笑わせんじゃねぇ!!

今は自由社会だぜ?男も女も関係ねぇ!!

強い奴が生き、弱い奴は死ぬんだよ!!

傷つくのが嫌なら社会に出て来るんじゃねえ!!



こういうフレイザード理論が跋扈する社会もある意味良いかも。
実際に足立区の「まっちゃん」という有名な焼き鳥屋では、
女性は土曜日以外はお断りという男性専用方式を取っています。

その理由を同店長は以下のように語っていました。
「女性は少ない注文しかしないのに、大勢で
 長居するから回転率が悪くて利益が上がりにくい。
 彼女らが男性客(注文を多くしてくれる客)の邪魔に
 なっているから、経営を考えると追い出さざるをえない」


そしてこの店の方針に対してある主婦の女性は以下のように述べていました。
「美味しいお店なので、土曜日しか入れないのは残念。
 でも、女性専用の飲食店や女性専用車両があることも
 考えると致し方ないですし、男性がそういった場面で
 どんな悔しい思いを感じているのか理解できた」


人間は自分が同じ目に遭わないとなかなか他人の痛みを理解できない。
そういった意味で、女性にもこれから少々痛い目を
見てもらう必要があるだろうと私は思うのです。



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