先日テレビ東京で
「関口宏の“人口減少時代”」を視聴しました。
文字通り少子化や非婚化を題材とした討論番組なのですが・・・
女性ゲストには西川史子、飯島愛といったバブル女を象徴
するような面子が集まってなかなかに面白かったです。
個人的に注目した点を幾つか・・・
女性が弱者男性(ブサメン貧乏人)を忌避し、イケメンや金持ち(その他強者)に
一極集中している傾向は森永卓郎、大竹まこと、勝谷誠彦といった男性陣の
殆どが指摘し、また女性側(西川、飯島)もそういった空気を認めていた。
更に言えば女性側はそういった空気に対して非常に肯定的な発言をしている。
「何で弱い男なんかと結婚しなくちゃならないの?(飯島)」
「(森永氏の顔だったら)年収一億以上はないとダメ(西川)」
女性側(西川、飯島)は恋愛をチラつかせて、男性から搾取する行為に肯定的。
森永氏の「例えばブサメンは女性がコンサートに行きたいといったら、
一生懸命チケットを取って、女性を車で会場まで送って、コンサートが終わるまで
外で待っててあげて、そういう事を繰り返しても最後は捨てられちゃうんですよ!!」
という発言に対して以下のような回答を真顔で返していた。
「女性に優しくしてあげれば捨てられても時々思い出してもらえるからw(飯島)」
女性側(西川、飯島)は一夫多妻制に肯定的であった。
「お金のあるかっこいい男性が子供を沢山作ればいいんですよね(西川)」
ちなみにこれに対する勝谷氏の回答は
「その通り、一夫多妻制を解禁すれば少子化問題は解決される!!」
そして、この考えに異論を唱えたのは男性である森永卓郎氏だけで、
女性は一切の否定的発言をとらなかった。まあ喪男にとってみれば当たり前の内容ですね。
西川、飯島両名の発言は確かに慇懃無礼で不愉快ですが、誤解してはいけない。
彼女達は女性として
非常に正直者であるという事です。
彼女達と世間の一般的女性の違いとはその醜い考えを腹の中に隠して
奇麗事を吐いているのか、或いは躊躇無く口に出してしまうかの違いでしかない。そして喪男という恋愛弱者的立場からすれば、本当に害悪なのは
西川、飯島のような正直な毒吐き女ではなく、
上っ面の奇麗事を吐き出す蛇女です。
例として、非モテオタの
kagami氏の発言をご覧下さい。
■現代日本における恋愛観 -恐怖と絶望***************************************************************
若い女性代表として出演していた西川史子氏という女性の方の
発言が、凄く強烈で、これが女性なら、私は永遠にエロゲと
アニメの女性と付き合うことで良いと思ったよ…恐ろしかったorz
***************************************************************この発言、一見すると西川の発言によって心を傷つけられたように
見えるでしょうが、裏を返せば
「やっと女性に諦めがついた」のです。
そう、本心からの毒を吐きかけてもらうことによって、
自分が(現実での)恋愛ステージでは幸福を得られない
人間である事をやっとこさ確信する事が出来たのです。
これはとても幸福な事です。鯛男(もてたい男)と喪男(恋愛放棄)、どちらの道を歩めばよいのかと
悶々として苦しんでいた一人の男が西川の一撃で未練を断ち切る事が出来た。
そう考えれば、西川はkagami氏の人生を救ったとも言えるのです。
これがもし、中途半端に恋愛に幻想を抱かせるような腐った発言だったら
恋愛という泥沼に足を取られ、多大な金銭と時間を無駄にしたかもしれない。
最近は、電車男に端を発してか
「キモイ男性に辛く当たるのは悪」という
バブル期に反した気風を(男性側が)女性に求めているフシがあるでしょう。
私も喪男道を始めた頃は
「少なくとも敬意を払った態度を取るべき」と
考えていましたが、最近になってそれは間違いであったと考えます。
寧ろ女性には
「これでもか」とキモメンに冷たく当たってもらうべきだと。
キモメンを露骨に差別し、露骨に避け、露骨に侮蔑する。
その北風こそがキモメンから惑いを取り除き、強化外骨格を纏わせ
気高くたくましい喪男へと成長させてくれるのです。ただし、ここで注意して頂きたいのは私は何もこういった
侮蔑に対して無抵抗でいようとは微塵も思ってないことです。
こういった侮蔑を受けたなら、我々も思う存分に反撃すれば良い。
ただし、その反撃は
「理不尽な侮蔑を止めるべき」等という
お上品な正論である必要は無い。
「メスブタ、あまり煩いと目玉をくり抜くぞ!!」こういった罵倒で十分なのだと考えます。
なぜなら彼女らが仮に侮蔑を是正してしまっては困るからです。
本音が変わらず、上っ面だけソフトにされては惑わされるキモメンが増える。
そういった事態を避けるため
「要求を提示しないクソの掛け合い」が適しているかと。
こういった適度な敵対、憎しみあいはエネルギーをも生み出し
それらが日々の仕事や創作を支える糧(人生の糧)ともなっています。
仮に自分が死んだときに、悲しむ人間よりもプギャーと笑う奴ら(敵対者)
の方が多いと考えると絶対に死にたくなくなりますからねw
和解せず、妥協せず、理解を求めず、ただ叩き合う。
侮蔑によって惑いを消し去れるし、反撃によって自尊心も満たされるし、
怒りによってエネルギーも沸くし、自らの行動を律する事にも繋がる。
結局、我々が救われるには理解してくれる女性よりも露骨な悪が必要なのです。
我々はその事を理解し、決して悪を滅ぼそうとしてはいけない。
無理に滅ぼそうとして、悪が潜伏化してしまう事だけは避けねばならない。
悪は常に可視化され、我々に見える形で存在してもらわないと困るのです。
もちろん悪が蔓延りすぎても問題ですが、彼等を潜伏化させてしまう事は
我々が我々で無くなってしまう危険も孕んでいる事を認識すべきでしょう。
だから悪を
「生かさず殺さず」の状態に於いてそれを憎み続ける事により、
日々のエネルギーを適切に補給し続ける事が大切なのだと考えます。
つまり、我々喪男は現時点で既に救われていると言えるでしょう。
喪男仲間でつるんで、馬鹿にしてくる女や中絶女を叩いて遊び、
馬鹿にされる怒りをエネルギーに変換して仕事を頑張ったり、趣味を頑張ったり。
そうやって手に入れたお金で美味しい物を食べたりエロゲーを買ったりしてるんです。
寂しいときには友と語らい、ネコやワンコと触れ合って心を癒し、
チンコが猛り狂ったときはエロゲーで鎮める。
我々にはこれ以上求めるものなんて無い筈なのです。
もしもそれでも満たされないと言う人は、恐らく幸福というものを勘違いしている。
「心全てが満月の如く満ち足りた気持ちにあふれて全能感に浸る」幸福と言うものをこんなものだと勘違いしていないでしょうか?
だとしたら、それは大きな間違いです。
そんな感情が心に訪れるのはおそらく
「死の直前」だけでしょう。
たとえ不満感があろうとも、逼迫した状況が無く
のほほんとして居られる状況こそが既に幸福な状況なのです。
今ある幸福を認識できず、隣の芝生に目をやってしまった人間が
地獄への一歩を踏み出してしまうのはよくある事ですからね。※追記※悪が必要とは書きましたが、例えば身勝手な中絶をする鬼畜や
性病を撒き散らす国賊などは出来る限り殲滅した方が好ましいでしょうね。
(実際に人生を台無しにされる犠牲者が生まれるので洒落にならない)つまるところ喪男にとってどんな性格の女性が好ましいかと言うと、
1、キモメンに厳しく、イケメンや金持ちに女が殺到する事を当然と公言し
「弱い男を嫌って何が悪い!!」と悪びれもしない。
奇麗事で自らの精神まで着飾る事を極端に嫌う。
2、ただし性病や中絶、浮気などの性モラル違反行動に対しては厳しく
そういった事を行う人間には同性異性関係無く非常に辛辣。
3、家事育児などの「母親としての責務」に対して非常に真摯な態度を取る。
イケメンや金持ちを夫に持つ事を強く望みながらも、家に入ったからには
妻として母としての責務を十二分に果たさねばならないと思っている。こういった価値観を持った女性こそが、喪男にとってあり難く、
なおかつ尊敬できる最良の女性であると私は考えます。
ま、平たくいいますと
「細木数子」こそが我々の理想なのです。
(どーも細木数子には私生活で黒い噂がある人物らしいので、
あくまでテレビ上での細木数子を指していると考えて下さい)