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日刊スレッドガイド「優しい男は損ですか?」
http://guideline.livedoor.biz/archives/50752350.html


「優しい奴は損をするのか?」という議論ですが、これは
「何を得とするのか」という価値観に非常に依存する問題でしょう。
私的な見解を言わせて貰いますと「優しい」というだけで
金銭、物質的(性的資本含む)な利益が出る事は皆無です。
特に「異性から性的対象として評価される」可能性は極めて低い。
一般的に「優しい男性が好き」という女性は多いですが、
それには隠された真意があります。
彼女らの言う「優しい」とは「自分(とその子供)を庇護してくれる」という意味なのです。
要は「庇護者」を求めているわけですが、それに求められる能力は
優しさ(弱者を守ろうとする気質)だけではない。
外敵(暴漢やライバル)と戦って勝ち残れる強さがなければ庇護者たりえません。
更に言うと、「優しいだけで能力が劣る雄」と子供を作った場合、
当然ながらその子供は「能力が劣る」子供である可能性が高い。
父親は弱いながらも「優しい」のですから、子育ては楽かもしれませんが、
その子供が成長し、異性を探す年齢になっても能力が低くては
競合に敗北して子孫を残せない、或いは殺されたりする可能性が高い訳です。
つまり「優しさ」という能力が意味を持つのは
まず「強さ(美しさ、頭脳、腕力等)」が有ってこそなのです。
「力なき優しさ」などは弱肉強食の世にあっては糞程の意味も無い。
力を持った雄から優しくされるからこそ、雌は安心できる。
必須条件が"能力"であり、サブ条件が"優しさ"なのです。
こう考えると、イケメンDQNがモテるのも分かります。
彼らがサブ条件である優しさは欠如していても、
必須条件である能力(容姿)は持っている訳です。

オプションは付いてなくても、主条件は備えてる訳ですから
それなりにモテて当然です。

また、能力が必須条件とありますが必須条件項目が
優秀な方が必ずしもメスに選ばれるとは限らない。
実際はその女性の「理想値」を上回っているならば、
サブ条件の優しさの多寡によって選別される場合もあります。
具体的に言うと「モコミチ(容姿90点)は加藤晴彦(容姿80点)より
イケメンだが、どちらも理想値(容姿70点以上)ではあるので、
優しそうな加藤晴彦の方が好き」・・・なんて風に。
ですが、これがモコミチより加藤大(容姿20点)の方が
優しそうだから加藤大とSEXするとは絶対にならない。
最低限の足切りに満たない能力しかない男性が
優しさを持っていても、豚に真珠で猫に小判なんです。

更に突き詰めると「優しい人、真面目な人」でも語ったとおり、
その優しさは博愛的なものであってはいけない。
「弱い人を見ると誰彼構わず優しくしたくなる男性」
との間に子供を作ってしまうと、その男性は「どこぞの弱者」の為に
パワーリソースを割いてしまうので、その分女性や子供は
「与えてもらえる優しさ」が割損になってしまう。
例えば世の中には最低限の食費と住居しか与えてもらえないにも拘らず、
世界の貧しい国々を飛び回ってボランティア活動をしている人々がいます。
こんな男性と結婚したとして、どうなるでしょうか?
碌に家庭にお金を入れず、家にも居ない、帰ってきたと思ったら
また第三世界に飛び立って世界中の貧しい人たちの為に
エネルギーリソースの全てを注ぎ込んでしまうのです。
一緒に居ようと思ったら、自らもその人と共に
過酷なボランティア行脚をせねばならない。
こんな男性と「結婚したい」と本気で思う女性が
世の中にいったいどれだけいるのでしょうか?
「優しい人」と敬意は持ったとしても普通の女性なら
絶対に結婚しようとは思わないでしょう。
つまるところ「自分だけをエコヒイキしてくれる」
というのが女性の求める優しさなのです。
「ある一定ライン以上の能力を持ち、自分だけをエコヒイキしてくれる男性」
こそが女性にとっての(SEXしたいと思える)「優しい男性」なのです。

ここまで書いてしまうと「じゃあ喪男が他人に優しくするのは損なのか」
となるでしょうが、私はそうとは限らないと考えます。
「優しさ」という投資に対する利益として
「異性」や「金銭」を求めるなら確かに損です。
ですが違う利益を求めたとしたら、それは無駄な投資とはならない。
その期待できる利益とは「自己満足」です。
例えば私は駅などで重い荷物を持ちながら階段を
上ったりしている老人を見かけると必ず助けます。
その理由として「かわいそうだから」というのも有りますが、
それ以上に「今日もいいことシチャッタナー、俺ってエライねぇ!!」
という自分で自分を褒める(自己陶酔)が気持ち良いからです。
同じような理由で、捨て猫や捨て犬の里親探しのボランティアをしたり、
家の近くにいる野良猫にエサをあげたり、体調が悪そうな時は、
動物病院に連れていってあげたりしています。
犬や猫を里子に出す場合は、伝染病の検査や予防接種をしなくてはならず、
しかも一回5000円~7000円掛かるため金銭的には大損もいいところ。
(気の利いた里親さんだと検査代を肩代わりしてくれたりもしますが)
ですが、その子が優しい飼い主に引き取ってもらえたり、
しばらく月日がたって、その子の成長した写真と感謝の便りが
届くとなんとも言えない良い気持ちになるのです。
「ああー、俺っていい仕事しちゃったなぁ♪」と。
エヴァのアスカじゃないんですが、他人から褒められたい以上に
「自分で自分を褒められるような生き方をしたい」んですよ。

ですが、ここで問題になるのは「優しくした」としても
その相手によっては「恩を仇で返してくる」場合もあること。
例えば、重い荷物を持って階段で四苦八苦している人を助けたとして、
「ありがとうございます」と真摯に感謝されれば嬉しいですが、
「余計なお世話だ」だの、無言で立ち去るだの、
「汚い手で触るな、キモ」等と言われれば幾ら自己満足が
目的だと言っても激しい後悔と損な気分に見舞われてしまいます。
「優しさ」という投資をして「真摯な感謝」という利益を得るためには
「真摯な感謝を返してくれそうな相手」を選別して優しくする必要がある。
私的な意見で喪男にとって「期待値の高い人種」と
「期待値の低い人種」を分別すると、以下のようになります。

***************************************************************
[期待値の低い人種]
1.女性(生理が開始~50歳未満まで)
→キモメンには非常に厳しい相手、ヘタすると痴漢呼ばわり。
 特に会社の同僚などの継続的関係のある場合は要注意。
 露骨には嫌がらなくとも「便利な道具」として使われる可能性大。

2.ガラの悪い男性
→チンピラ(DQN)系ファッションに身を固めた奴も要注意。
 真面目な外見だから良い人間とは限らないが、見るからにDQNは論外。

[期待値の高い人種]
1.犬猫などの動物
→動物なので餌などを上げると素直に喜んでスリスリしてくれます。

2.老人
→この年代になると女性も性欲云々はどうでも良くなっている場合が多く、
 また、身体的に弱者となるので助けると素直に感謝してくれる場合が多い。

3.見た目が真面目(地味)な男性
→必ずしも善人とは限らないが、それなりの礼儀は弁えている場合が多い。

4.障害者
→障害者だから善人という訳ではないでしょうけど、
 一応今まで彼らから恩を仇で返された事は無いです。
 (但し、若い女性の場合はやはり喪男にとってリスキー)

***************************************************************


ここで難しいのは「子供」の扱いでして、彼らは一応は
弱者であるため道義上困っている場合は助力すべきなのでしょうが、
「おじさんキモ-ぃ」と騒ぎ出したり、イキナリ意味不明に泣き出して
児童誘拐犯と勘違いされそうになったりと結構厄介な相手です。
川や海で溺れている等の生死に関わる緊急事態以外は関わらない方が無難かも。
私も中学時代に動物園のサル山で柵から乗り出して落ちそうになった
子供を引っ張り上げた経験がありますが、子供が泣き出したため、
その両親に「子供に暴行を働いた」と勘違いされて
散々な目にあった事があります(目撃者が多数いたため事なきを得ましたが)
まあ、この場合はヘタすると生死に関わる事態なので
見捨てる訳にもいかんでしたので、これで仕方ないのでしょうけど。

まぁとにかく「優しい人は損をする」と考えてる喪男は
「優しくする事で得られるメリット」と「どんな相手に優しくすべきか」
という事を正しく把握してないんじゃないかと思うのです。
正しい目的を持って、正しい相手に優しくすればそれなりに報われるモンです。
そして(優しくする価値のある)人に優しくする事の本当の大切さを知るのは、
自分の命の灯が消える瞬間、走馬灯を見ている瞬間なのだと私は考えています。
その時に「俺はお天道様に恥じない生き方をした」
と胸を張って死ねるように生きたいのです。


※追記※
「結局、自己陶酔したいだけで善意の人助けじゃないじゃないか!!」
憤る人も居るでしょうが、人間はまったく私心無く他者だけの為に
自分を犠牲にする事は出来ないと私は考えています。
つまるところマザーテレサにしろ誰にしろ、その「自己陶酔」を表に出すか、
決して他人に悟られないように心の中に隠し続けるかだけの差ではないかと。
ましてや世の中の大抵の人間は「自己陶酔」どころか
「物質的見返り」を期待してるザマですから。
「美しい異性に対してだけ献身的に尽くす人間」
などはそこら辺に吐いて捨てるほど居ます。
(これは相手の持つ性的資本による物質的見返りを期待しての行動)
そして何より、「藁にも縋りたい状況の人」にとっては
身銭を切って自分を救ってくれて、なおかつ「物質的見返り」を
求めずに真摯な感謝だけで勝手に自己陶酔してくれるなら、御の字でしょう。
「誰も不幸にならず、実際に助けられる人がそこにいる」
その結果こそが大切だと思うのです。
といっても、糞肉便器なんて絶対助けねーけどさwアヒャヒャヒャ!!

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※訂正とお詫び※
WATA氏、およびhazama氏の意見を参考とした結果、
相対主義自体が悪いかのような記述よりも、
DQN行為を認めさせたい人は相対主義を悪用したがる
(DQNは自己正当化の為にあらゆる主義を利用する)とする
記述の方が正しい結論に至りましたので一部を改定しました。
なお、相対化を推進するhazama氏は本ブログが肯定する、
DQN行為は認めない上で(部分的に人道絶対主義を適応した上で)
他人に過度の迷惑を掛けない部分に関して相対化するという
スタンスで在るのでご注意下さい。



何となくですが、女性や恋愛資本主義者(DQN含む)に対して、
柔和な態度を取るモテナイ男の人たちを見ると
共通点がある、最近はそう感じているのです。

DQN行為(私利私欲で理不尽に弱者を踏みにじる)を
容認させる手段として相対主義を体よく利用しているという事です。

要するに「人それぞれだよね」「この世に正解なんてないよね」
こういう考え方(相対主義)を極端に活用し、何が良くて何が悪いか
どうすべきかどうすべきでないかという指針をぼかして
結果として相対化すべきでない道徳すら疑念を持つように
錯覚させる
論展開を利用するのです。
ちなみに相対主義が行き過ぎると
「この世の全てに価値は無い」「ただ虚しいだけ」
こういった虚無主義(ニヒリズム)に陥ります。

私は「差別撤廃」などの偏見を打ち破る価値観として
相対主義はとても大切だと思いますが、
世の中には絶対に相対化してはいけない行為があります。
例えば「罪無き人を殺す」なんて事とか。
これすら相対化してしまうと後に残るのは畜生と同列
例えばマッドマックスや北斗の拳のモヒカンが跋扈する世界を
容認する事になってしまいますから。

原典的な相対主義とは「自由放任主義」的な側面もあります。
「だれでもやりたいようにやればいいじゃん」

「異性を騙して搾取してもいいじゃん」

「やり捨て、貢君もいいじゃん、だらしない中絶もいいじゃん」
こういう風に悪用しやすいんですねぇ・・・DQNにとってすれば。


一般的に平和的な法治国家に相対主義の理念を活用する場合は、
こういった相対化してはいけない、相対化したら治安が脅かされるような部分、
こういう相対化してはいけない部分については
「理由如何関係なくダメなものはダメ!!」とする
「絶対主義」を適用すべきではないかと。
そして「人として自分はこれだけは許せない」という部分を
価値観の骨子として持ち、そこを軸として世間の価値観を
相対的に見ていかないのなら、それは(社会的にみれば)
相対主義の悪用と言っても良いかも知れません。

ちなみに私の絶対に譲れない骨子として持っているのが
「これが俺のジャスティス」で語っている内容、
「利己的な欲望で他人を傷つける事を出来るだけ自制する」
(上記が守れない人への糾弾、攻撃は例外として認める)

こういうことですね。


※追記※
いつも思うのですが、こういった相対的な思考を極端化している人は
仮に自分の思想が一般的になったとしたらどういう結果が訪れるのか?
こういうところにまで思考を伸ばしているのか疑問に思うのです。
上記の相対主義、「この世に正解なんてないよね」をあまりに深めてしまうと
例えばDQN(チンピラ、ヤンキーなど強度のエゴイスト)が他人の命や
財産や肉体を犯すことすら「他人に糾弾する権利は無い」として
DQNを擁護してしまう事になりかねません。

「やったもの勝ちのやられ損」
「殺し得の殺され損」


こういう理論が成立して、要するにDQNに有利な隠れ蓑を与える
結果となりますが・・・それを見越して声高に叫んでいるのでしょうか?
DQN(治安を乱す存在)が跋扈できない「規制」を正しくガイドした上で、
限定的な範囲で「相対的」にモノを見るから意味があるのでは?
悪く言えば、自身のDQN行為を容認させたいが為に
有利な価値観や社会を容認させたいとしか思えない。

そのためのオブラートとして相対主義を利用しているんじゃないかと。
其処まで悪どく無いとしても、「かくあるべし」という理論理想が先行して
その結果訪れる「DQN天国」という状況に興味はないのではと。
それも一つの考えと言えば考えですが、そうするならば
「俺は結果的にDQNの味方だし、それでいい」と堂々と言えと。
中途半端に「俺は平等だよ~ホントは喪の味方だよ」的な態度は止めろと。
実際に自分が行っている事、向おうとしている場所
自分が望む理想像のズレを正しく認識しておためごかしは止めろと!!

ちなみに私はほぼ完全な絶対主義者です。
そのくせ、オタク趣味を「人それぞれだからいいじゃないか!!」と言い放ち、
相対主義者っぽいような言説もいっぱい吐いています。
要は私は「DQNが生き難い」思想であり
「利己的な欲望で他人を傷つける事を出来るだけ自制する」人が
生き易い思想であるならば理念が破綻しようが
何がどうなろうが知ったことじゃないんです。
上記の価値観を正当化できるなら絶対主義だろうが相対主義だろうが
都合の良いところを抜き出して徹底的に利用します。

DQN(チンピラ、ヤンキー、ヤリチン、詐欺師)
「利己的な欲望で他人を傷つける事を出来るだけ自制する人」普通
※注意※
ここで指している、チンピラやヤンキーとは外見で区別される
分類ではなく、例えば見た目がヤンキーでケンカっぱやくても
卑怯なマネや弱い者イジメをせず、漢(おとこ)を貫こうと
するような硬派不良、熱血番長、バンカラなんかは含みません。


こういう価値観が押し通せればそれでいいし、
そのための手段は一切問いません。

精々が「暴力は最後の手段として出来るだけ使わない」
制限らしいものはこれぐらいですかね・・・


某所にてこんなblogを見つけました。


http://ameblo.jp/0rip-62ds/
http://ameblo.jp/0rip-62ds/entry-10003899504.html
*************************************************
>ちゃんと愛し、愛される人ができたときは
>複数の人と関係を持つのはやめます。
>人生一度きり。
>若いときも一度きり。
>やりたいようにやらなきゃd(´∀`*)ネッ!

*************************************************

これを読んで何を感じ、何を思うかは人それぞれでしょう。
ただ、極々ありふれた極普通の女性の感覚だと思います。
それを念頭に於いて考えて、後悔の無いように
人生設計を考えて頂きたいと思います。
ちなみに、この女性は結婚したいと思った男性が現れた時には

自分が二股三股当たり前のどうしようもない
アバズレだということを男性に宣言した上で
正々堂々と結婚するつもりなんでしょうか?


某所の議論で質問された事なのですが、モテ側からすると
「モテナイ男」「モラリスト(性モラル)」である事は別次元の事で
あるように思われているらしいので、その部分について
詳しく書いてみようと思います。
「派閥分類と相互協力」でもおおまかな事は書いていますが・・・


[喪男ジェダイ派が生まれるまで]

1.容姿が醜いなどの理由で女性から侮蔑や差別を受けた(モテなかった)
  ↓
2.モテなかった故に一歩はなれた地点で、他者の恋愛を観察する機会が出来た。
  その中でドロドロした欺瞞、エゴ、他人を踏みつける行為を目の当たりにした。
  ↓
3.また、恋愛資本主義者の容姿至上主義、拝金主義に基づいた自分(モテナイ男)と
  イケメン達の扱われ方の格差をいやというほど見せ付けられた。
  ↓
4.己が傷つけられる事で、罪の無い人を理不尽に踏みにじる行為の醜さを強く学んだ。
  すなわち道徳の大切さに目覚めた(モラリストとなった)
  ↓
5.今まで憧れた恋愛だが、なんだ奴らのあの醜さは!!
  これが恋愛の正体ならば、むしろモテタクナイ!!
  ↓
6.そして喪男派閥表によるところのジェダイ派へと辿り着いた。



この一連の流れを見れば我々がモテナイ男であることと、モラリストである事が
密接に関係している事が理解できると思います。
モテなかった(侮蔑された)からこそモラルに目覚め、
モラルに目覚めたからこそ未だにモテナイ男を続けている。

つまり、我々は「今まで自分を苦しめてきた人間」真逆の価値観(性モラル)
死守する事によって彼らに復讐をしていると言えるでしょう。
自分を苦しめてきた価値観に反逆して否定することで自我を保っているのです。
逆に自分を苦しめてきた相手の価値観を認め、迎合する事は何を意味するでしょうか?

それは完全なる自己否定による自我の崩壊「魂の死」です。

肉体が死ぬのはそこまで怖くはありませんが、
魂が死ぬのは、自分の存在意義が消滅するのは非常に恐ろしい事です。
だからこそ我々は「ヤリチンDQNみたいな真似をするなら死んだ方がマシ」
こんな事を言えるのです。
「自分の魂を殺すぐらいなら、肉体が死んだ方がマシ」という事ですね。

勿論この流れはジェダイ派の生まれるまでを記したもので、
体験した出来事の程度、生まれた環境、人生経験、様々な差異によって、
タモリ倶楽部派になったり、解脱派になったりと
全てのモテナイ男が一様ではない事は理解しています。
私は自身がジェダイ派なので他の派閥の人がなぜそうなったのかは
イマイチ分らないので書く事が出来ないので割愛します。


ですから、モテナイ男の中でもジェダイ派は異性を容姿で
差別する事を忌み嫌う傾向が強いです。
それは「真実の愛」の考察で語った
「人道的行為に自己満足を感じられる人間」であると同時に、
異性をブスと美人でより分けて差別するという行為が
「身を引き裂きたくなる程の苦痛」であるからです。
人格の貴賎よりも容姿の貴賎を重視するということは、
かつて自分を苦しめた相手への迎合であり、
自分の魂を殺す行為に他なりません。
その苦痛に比べれは、美人を求める本能欲求は歯糞程度ということです。

まぁ、最終的に辿り着いた結論とは、我々にとっては
ブスも美人も等しく価値がない!!ですけど・・・


モテナイ男のルサンチマンの記事がかなり多くなってしまったので、
モラル観(性モラル)に強く関わる記事は此方のカテゴリに
置く事にしました。

※追記※
護身関連の記事も新規カテゴリ「護身法」に移しました。



※以下は全く無意味な余談ですがご容赦下さい※

今日仕事帰りの電車で女子中学生?と思われる女の子が居ました。
アニメ「かみちゅ」の主人公に似た一見純朴そうに見える子でしたが、
「あーきっとこの子も○○はキモイとか言ったり、彼氏とだらしないSEXしてるんだろうな」
とか勝手に思っていたら、友達とおびただしい数のプリクラ?を見せ合って
この男は顔がキモイ、こっちとはヤリタイとか楽しそうに語っておりました。
何時からでしょうかねぇ、こういう光景を見ても悲しみを感じなくなったのは・・・



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まとめ






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